嫁十夜(第一夜)

 こんな嫁を見た。

 両手で一人の女性を抱きかけている。どうやら私の嫁のようだ。念のため尋ねてみると、やはり「今日からそうよ」との答えが返ってきた。

 今日は私と彼女の結婚式であり、二次会までをとどこおりなく終えたたところではあったが、散々アルコールを飲まされた私はすっかりと酩酊してしまっていた。最後にゲストたちを会場の出口で見送りをしているところで、酔っ払った友人が「お姫様抱っこ!そして登れ!」との囃し立てをしたのであった。振り返ると繁華街の広場へと続く少し幅の広い階段があった。

 時刻は夜の22時を超えたようであるが、季節は夏であるため――真夏の夜の闇にミッドナイト・ブルーのドレスが良く映えていた――空気は蒸し暑い。大した段数のない階段でも、酔っぱらいの自分とカラードレスを着た彼女の組み合わせでは難易度が増す。半分まで来たところで足取りを揃えるために小休止をすると、額のじんわりとした汗に気づいた。

「私、重くない?」という彼女の問に、「重くなんてないさ」と答える。

 彼女が体重のことを気にかけたことは意外であった。彼女は生来の痩せ型でどんなに暴飲暴食をしても一向に太ることはなかった。数年におよぶ交際期間中に私が驚いたことのひとつである。ダイエットという概念がなく、このドレスを選ぶ際にもウエストとの相談というものは一度も行われなかった。そのため私達の会話で体重の話題が出ることはほとんど無いはずなのだが、先ほどの彼女の質問――およびそれに対する私の回答――は実に自然に行われた。何かの既視感かと考えるが、一日中緊張しっぱなしだった私の脳にそんな余裕はない。――まあいいさ。さっさと登り切ってしまおうと、階段の後半部分に足を踏み出す。

「あの時と同じだね――ちょうどこんな感じの夜だったわ」

「何が?」とうわずった答えを出して聞いた。

「何がって、忘れてしまったの」と彼女はクスクスと微笑みながら答えた。そう言われると私が忘れてしまっている――あるいは意識的に記憶を封じている――出来事があったような気がしてきた。けれどもはっきりとは思い出せない。ただこんな夜であったように思えてきた。そしてもう少し考えれば分かるように思えてくる。分かっては大変だから、思い出してしまわない内に登りきってしまって、今日という日を無事終えてしまわなければならないとも思える。私は段を登るペースを早めた。

「あなた、初めて喧嘩した時のことを覚えている?」

「もちろん覚えているよ」と思わず答えてしまった。

「付き合ってからちょうど三ヶ月目だったね」

 なるほど春に交際を開始してから三ヶ月がたった時だったような気がした――確かに夏の熱い夜だった。その夜はふとしたことから口論になり、最終的には涙を流しながら訴えられた――どれだけあなたのことを愛しているか伝わっているのか――と。アパートを飛び出し、近くの公園でうなだれている彼女を、ちょうど今と同じように抱きかかえながら戻った。

「その時あなたは私のことを、重たい女だって言ったのよ」

 階段を登りきりっても、彼女は私の腕の中から下りようとはしなかった。そのままの状態で振り返ると、階下で寄り集まっているゲストからひときわ大きな声援を受けた。そんな中で彼女はグッと頭を起こし、私の耳元でそっと囁くのであった。

――これから、もっと重くなるわよ

 パートナーを重荷に感じていたことを思い出した途端に、両腕の彼女が急に石になったように重くなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?