見出し画像

今の日本に、「祭り」を、復活させる

今年中にやることに中に「祭り」というワードがある

【「まつり」を起こす】

これは友人との会話で、ふっと湧いてきて言葉であって
自然と「やるんだな~」って思えたことです

よく話すことだけど
お寺や神社から「芸術」の世界観が離れてしまってから
「場」が死んでいってしまったんだなと、僕は考えている

同時に、その「場」で行われていた「まつり」も
どんどんとカタチを無くしていってしまった

→祭りがなくなって、場が死んだか?
→場が死んで、祭りがなくなったのか?
どちらかは明確な答えはもっていないけど、実態として無くなってきている

では逆に
「まつり」を復活させることで「場」が蘇るかもしれない!
「まつり」という言葉と一緒に居ることにより、そんなワクワクの中に存在できる

*****

【僕の考える「まつり」とは】

調べてみると、やっぱり興味深い

僕にとって一番ピンときた説明がこれ(日本に特化してないものとして)
=====
一般に集団によって行われ,そこでは「われ」と「なんじ」の区別が薄くなり,「われわれ」という一体感が強められる。祭儀はまた非日常的なもので,王が乞食に,女性が男性になるような役割の転倒が行われる。これに関連して,祭りにはある役割を演じる演劇的要素がある。
(引用元:https://kotobank.jp/word/%E7%A5%AD%E3%82%8A-136801
=====

で、僕の解釈はこうなる
「普段表わすことのできない感情や想い(欲を含め)を表現していい安心安全の場」
そう捉えている

つまり
普段「抑えてしまっている自分」を解放することにより
自分としっかり繋がり直し、また自分という枠を超え他者や社会と繋がり直す
その儀式が「まつり」である。

自分の中の“神の存在”に気がつく「場」=まつり

そう今
自分を解放する場
自分を表現する場
この「場」があまりにも少なくなり、人々が何をどう表現していいのかが見えなくなっていってしまっている

“自分”から“自分”がどんどんと乖離していき、自分との繋がりが薄れていっている

だからこそ、今の日本には「まつり」が必要なんだ

「繋ぐ」ために、統合するために

*****

【「まつり」のスタイルは、時代に合わせ、自由でいい】

僕は昔ながらのスタイルの祭りが好きだ
その「場」に触れるだけでワクワクするしエネルギーに溢れている!

劇場の上演前の雰囲気に似ているって思う

何が始まるんだろう?
何を気づけるんだろう?
何と繋がるんだろう?

そのワクワクが導火線となり、自分のコアに火を点ける

「まつり」も同じだろう

この本質さえ捉えていれば
「まつり」のスタイルは自由であっていいと思う

逆に今だからできるスタイルもあるはずだ!

だから、僕は「まつり」に『アート』を持ち込みたい!

どんな想いや感情であってもいい
身体さえあれば表現スタイルは問わない
失敗はない
発見と繋がりと循環がある
生まれ無くなっていく
場にいるみんなが参加者であり創りあげる

そんな「まつり」を創っていく!

【集まり、そして、生み出す】

2月16日に第1回の集まりを開催します!
そして3月には「まつり」を!

3月の1回目は、僕が、舞います!
今までやったことないけど(笑)

できる、できない
経験の有無

そんなことで「やってみたい!」にブレーキをかけることはもったいない!

ということで
「お寺で、舞う」

詳細が決まったらお知らせしますね!

場を一緒に創りたい!
ピンときた方は一緒にやりましょう!

さ、さ、準備しよ(^^♪

*****

第1回:蟠龍寺(目黒)にて開催

↓詳細↓
https://www.facebook.com/groups/2029364557153975/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?