イスラエルとヨーロッパのエリートの親和性はもうこれ以上固定化すると困ることになるのはわかっているとはいえ。

 アフガニスタンの外敵に対する強さは強烈な男性支配からきているらしい。ジェンダー問題を無視しているように協調されるイスラムについてはそれ以外のことについては全く日本では知ることがないから何とも言えない。  イスラムも強いがもっと強いのがキリスト教徒で西側の強さは彼らが人権をかかげるのと強い関連がある。正しさを自分たちのものにすることの重要性がわかっている。
 ところが、周辺的なところではコントロール不能なことが起こり強さと強さはぶつかる。それが大きな問題なのか些細なことなのかこの先に何が起こるか予想はつかない。反ユダヤ主義も反イスラムもどうにもならない。経済がうまく回っているうちはどうでもいいことでよかった。
 
 文明化されている社会では野蛮さが避けられるようにその社会組織の上層では強さと正面からぶつからないようにいつでもつじつまをごまかすためにいつでも偽善が使われていた。
 ところが周辺ではそうはいかない。知識の面でも行為の面でも厳格さが呼び出されてしまい社会にのこっている制度的な残虐さも野蛮さも抑圧されることがほとんどないことがある。
 偽善や誤魔化しは裏側の共通感覚のなかで生き生きしているときは残虐さや野蛮さも抑え込むことが出来てそう悪いことではないのだが。偽善や誤魔化しに意識的であるうちはいいのだがそれに慣れてしまうと残虐さや野蛮が事実上野放しになってしまうこともある。最近話題の「見て見ぬふり」問題はそういうことなのかもしれない。
 イスラエルにとっての「正しさ」が、それはかなり偽善的な誤魔化しで仮装されているがそれが厳格さに置き換えられて肥大化して残虐さや野蛮さに変わっていくときに誰がそれに反対するだろうか。これはパレスチナにとっても同じかもしれない。
 今の自分の意識が客観的で中立だということはまずないので、それはこれまでの経験とかの経緯依存性にかなり影響されてしまう。例えば旅行をするときにどういうルートをとってきたかで見える景色も違ってくる。山のふもとから頑張って頂上に立つのといきなりヘリコプターで頂上にいくのとでは全く違う景色にみえるみたいなこと。そういうことがあるので自分の意識がどこから来ているのかについてさらに意識的で懐疑的であることが求められるがそんなこと自分でできるとは思えない時もある。偽善や誤魔化しが明るみに出るまで、問題がつきつけられる時までは退屈な日常があるばかりだから。
 これからイスラエルの問題パレスチナの問題について西側のエリートたちはどういう態度を見せるのだろうか。もはや単純にテロリスト問題ということを繰り返すことは偽善や誤魔化しのにおいがついていて難しいだろう。かといってパレスチナを単純に支持するのもどうかと思う。人道支援すら覚束ないようでは先を予想するのが怖い。うまく棚上げにして先送りができるのかどうか。そんな頑丈な棚があるのかという不安もある。軍事技術は万全という驕りもあったのだろうし予期しないエラーもある。
 いまさらながらに「見て見ぬふり」問題の怖さがわかる思いがする。危機というのは進行するものだしそれのうえで偉い人もしがない庶民も退屈な日常とたまに集まってバカ騒ぎをすることが「見て見ぬふり」問題を肥大化していくことにつながるようではある。ということなら、結果責任は政治家に限らずいまではだれにでもあるという事態に陥っているように見えるけれども、だからと言って心情だけでは答えになっていない。
 
 イスラエルとパレスチナでは非対称性が大きくなりすぎてそれに引っ張られてしまっていたということなのだが、こういうことはテクノロジーの圧倒的な発展についても言えそうだ。私とテクノロジーの非対称あなたとテクノロジーの非対称そうして地球の生きものたちみんなとテクノロジーの非対称。AI問題は「見て見ぬふり」問題になってしまうのだろうか。話はとんだところに脱線してしまいましたねぇ。
 日本はどうなるんだ問題を考える方が必要なのだけれどどうしても心情で語られ過ぎてしまって困ってしまう。アベノミクス後始末問題はいっこうに進まないし、これは第三次世界大戦が来るより前に日本崩壊が来てしまいそうだし、その時やけになって中国や北朝鮮にミサイル打ち込むとかやって第三次世界大戦の先頭に立つとか悪夢の種は尽きません。結局は「見て見ぬふり」問題になるんだなぁと思います。これで脱線から戻ったね。とはいえ答えは見えてきません。

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