せかい

連休明けから幼稚園に行かない、と言い出したものの、家にいるより100万倍いい環境だからと、今週も休むわけには行かないと腹をくくり、私も居るよ、と、幼稚園のあいだも付き添いした。

娘ははっきりとものを言うところがあり、知らない人とは遊ばない!と強く言う。

娘の緊張がほぐれてきた時に遊び出して、私は枝や草になりきるためにひっそりとしようと、木に腰掛けたらば、アリや毛虫の道で蜂や羽虫たちの通り道だったり、空間と思っていたところは、道だったり。

知らない虫、知らない草、木がたくさんなことに気がつく。毛虫みながらこの子が大きくなったら何なるのかも知らない。行ったり来たりしている毛虫が何を目指して歩いているのかさえも。

トゲのある草を刈る子たちをみながら、注意深くトゲを見る子とランダムにチョキチョキ切っていたり、私に説明してくれたり。子どもたちでさえもその子の顔と何歳でお母さんの顔くらいしか一致しない。

知らずに傷つけたり、虫や植物だと殺してしまってたり、怖い、動けない、と、久しぶりの感覚。でも、これは、きっと、娘の知らない人とは遊ばない、と、同じじゃなかろうか。

命の上に生かされている。時々思い出す言葉。目の前に見える世界。私の世界。私の知りうる限りの世界。個々に世界があって、知ることでそこに存在する。

知りたいと思うことで広がり深まる世界。

そこに存在するだけで愛なのだろう。私しかいない世界に存在を許し、相手をうけいれる。そして、相手の世界にも存在する私。

唯識論を少しばかり教えてもらったけれども、ようやく腑に落ちてくる。

全てのいきとし生きるものが幸せで平和でありますように。

Lokah Samastah Sukhino Bhavantu


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