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ガンにかかったらヒールを履いてはいけないのか


新しく始めた仕事で覚えることも多く大変な中でも日々学びを得られる毎日の中で、ことnote投稿は少しペースダウンしてしまっているのが現状なのですが…

私の中で衝撃的な内容のニュースがあり、今感じたことを残しておく必要がある…!と本能的に私の脳が心が体が訴えているので、その内容についてここに記します

(疲労感満載の頭から紡がれた文章…読みづらかったらご愛嬌)



ヒールを履いているなんてがんが詐病な証拠だ

ヒールを履いたらガンを装っているのか サムネ (1)

数十分程度の時間でお昼を食べるときに
テレビをつけた瞬間出てきたこのワード

とある芸能人の方のがんの公表後にこういった書き込みがあったようで

シュウマイがのどに詰まりそうになりました


こう言った誹謗中傷や心無い言葉に関して
メディアでもたびたび取り上げられることがあるとは思うのですが
やはりそこに
自分の置かれている環境が近ければ近いほど
自分のセンサーは反応するものなんだなあとあらためて感じます


それと同時に
そんなこと言うなんてひどい
という端的なものの見方ではなく

今回は3つの視点から物事を考えてみたいな

と思いました



1:がんファイターの視点

まずがんファイターである云々の前に
大前提として私はヒールの靴が大好きで
我が子を妊娠したときに最初に買ったのはスニーカー
というくらいヒールのある靴ばかり履いていました

ヒール

デザインが好きなのはもちろん
スラっと背の高い人への憧れもあり
なにより

素敵な靴はあなたを素敵な場所に連れていってくれる
そしてその素敵な場所で素敵な出会いを与えてくれる

というフランスのことわざが心に刺さって
素敵だと思える靴を選ぶことを大切にしてきました


さて話は戻って…

ガンになったらヒールを履いてはいけないのか

という事ですが
今回の番組の中の話だけを聞くと

ガン患者=ヒールなんて履けないほど具合が悪いはず

という前提条件があるんだなあ
と感じました


もちろん
病状の程度や、がんに限らずどんな病気でも
立てないほど具合の悪い日もあれば
がんを患っていたって快適に過ごせる日もあります


大切なことは

ガン=重い病(大変な病気)
という認識だけでストップするのではなく
その先を知ろうとする姿勢と理解を

がんファイターも、そうでない人も
知ろうとしてみる
そこから理解をし合うという風潮や習慣が
当たり前の社会になったらいいなあ
と素直に感じました



この記事でも

白血病を抱えながらの転職はうまくいくばかりではなかった
という事に少し触れていますが
それでも
今の会社の方や、内定を下さったり、親身に話を聴いてくださり
理解しようと努めてくれた人には
心からの感謝を今でも感じています

理解してもらおうとこちらからアクションすること
ももちろん大切なことだと思っているのですが
やはりそれは

理解しようとしてくれている人がいてこそ
知ってほしいな、理解してほしいな
という他者との関係性の中にこそ存在するもの

なんですよねえ





2:大切な人ががんファイターの視点

2つ目は
大切な人ががんや病気などと向き合っているよ
という人の視点

ヒールを履いたらガンを装っているのか サムネ (2)

私はここに該当する人が
実は一番悲しい思いをするのではないかなあ
と思っています

あくまでこれは私のここまでの経験から思うことですが

「白血病ですよ」と告げられた私より
家族の方がまざまざと不安を感じたり弱っていく様子を
白血病の可能性が高まり
実際に告知される前から感じていました


自分の事なら案外我慢できたり
なんとか頑張るぞと思えることも
物理的に変わってあげることができない
という苦しさは
相手が大切で守りたい存在であるほど
生きていてほしいと思える存在がいるほど
大きいものなんじゃないかなと思います

実際私は
自分が罹患したときより
娘が具合悪そうにしているときの方がよっぽどつらいです


また
人が怒りを感じるときというのは

自分の守りたい大切な何かが傷つけられているとき

という事を思うと
それが人であれ物であれ自分の感情であれ
深く考えない言葉が
無作為に大多数を傷つけてしまうという事は
改めて肝に銘じなければいけないな
とも思うのでした




3:こういった言葉を投げかける視点

3つ目は、今回私がシュウマイを詰まらせそうになった
インパクトのある言葉を投げかける人の視点

こういう報道を見て単純に
(ひどい人がいるもんだな)
とか
(そんなこと言うなんて信じられない)
みたいな感想ではなく

こう言った鋭い言葉を投げかけることで
この人が守りたかった自分は何なのだろう

というところまで
思いをはせられる自分でいたいな
と思うものです

ヒールを履いたらガンを装っているのか サムネ (3)

その言葉の裏には
本当に心がないのか
そんな言葉をかけるほど憎い何かがあるのか
と考えてしまったりしますが

もし何か傷ついたり悲しい思いをした経験を胸の奥にしまい込んで
その自分に気づかないように
その自分を守るために
鋭い言葉で自分を守ろうとしているのであれば


お守りとしてたくさん投げかけてきた言葉で
自分自身ががんじがらめにならないように
本当に大切にしたいお守りの言葉はなんだろう


そんなことを聞いてみたいな
と思うのでした


言霊と言ったり
自分の言葉や行動はブーメランとなってくると言ったり
周りは自分を映す鏡だと言ったりしますが

本当に
巡り巡って自分のもとに帰ってくるかもしれない言葉なのであれば
優しい言葉で溢れるのが人と人とのかかわりであってほしい

心のお守りを持ちすぎて苦しくなってしまった人ほど
がんじがらめになっている心の蔦を
ほどきやすい世の中であってほしい

そんなことを思うのでした

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