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海外への初めの一歩 ーSUIJIプログラム 2015.8-2017.3

大学1、2年生の時(2015夏から2017年春)には大学のSUIJIプログラムに参加しました。
中学校の時に、シンガポールマレーシア研修があって、これが英語学習のモチベーションになったことには変わりないのですが、
大学に入学してこのプログラムが、私にとって海外への初めの一歩となりました。

今思うと、
研究室選びや、大学院進学、ケニアへの留学もこの時の経験が影響してきていると思います。
初心忘るべからずの意味も込めて、この時に書いた成果レポートをもとに学びをシェアしておきます。


1.SUIJIプログラムとは

SUIJIプログラムとは、香川大学、愛媛大学、高知大学とインドネシアの3つの大学の計6つの大学の共同でで行われる実習です。
2つの国の大学生が、夏には四国の農山漁村で、春にはインドネシアの農山漁村で寝食を共にしながら、互いの国の地域が直面している課題にについて考えることがプログラムのこの目的です。
このプログラムは2年間参加できるので1年目に学んだことを生かせるのも特徴です。
今回の記事は、2年目の春に、インドネシアで活動したときのレポートになります。

2.参加のきっかけ 

私が今回海外SLPに参加したきっかけは、ベーシックとして参加した昨年の海外SLPで、またバニュソチョ村に戻ってきたいと思ったからである。自分にとって見るものすべてが新鮮だった一年前は、学ぶことばかりが多く、それらを結び付けて考えたり、SUIJIの趣旨である「持続可能な社会」について考えたりするところまで及ばなかった。
今回は、アドバンスド・コース(1年目のベーシック・コースを経て、2年目の参加はアドバンスド・コースと呼ばれます)として海外SLPに参加するにあたり事前にPEP-BLに参加して、自分のサイトを再訪したり全サイトを巡ったりしてサイト間での比較ができた。またインドネシアを一つの国として俯瞰することが出来た。そして帰国後は、アドバンスドの学生を中心に情報交換・共有をしてきた。これらの事前活動から、サイト活動では、村から「学ぶ」ことだけではなく、村に「伝える」ことも必要だと感じた。村人の中には「日本の農業はどうなっているのか」と、興味を持つ人がいた。また先進国日本で生きる学生として、インドネシアの今後の発展を担う各村の重要人物や、ともにプログラムを遂行する学生に対して、日本の状況を伝えたいと強く思ったのである。私が活動したグヌンキドゥル県バニュソチョ村は、自給自足を基盤とした観光村を目指し、村を整備している。半年もの間に、夜には真っ暗で何も見えなかった道に、街灯が照らされるようになったり、半年前には、何もなかったところに人工的に滝が出来上がっていたりと、そのスピード感はすさまじい。今回、持続可能な観光村を作るためにはどうしたらよいのかを、村の人々の幸せも一緒に考えられたらいいなと思い参加した。またSUIJIの集大成にしたいと思い参加を決めた。


3.サイトの概要とプログラムでの活動内容について
3-1.サイトの概要 

表 1 バニュソチョ村の基本情報


 今回滞在した村は、ジョグジャカルタ特別州グヌンキドゥル県バニュソチョ村である。管轄のガジャマダ大学からは車で1時間30分ほどの場所である。この村は8つの集落に分かれている。その中の、村役場があるクタンギという集落の4つの家庭に分かれてホームステイをした。バニュソチョ村は5月から10月が乾季で、11月から4月までが雨季である。今回は雨季に行ったので川には水が流れていたが、乾季には川の水が干上がってしまう。そのため農業は雨季に盛んに行われる。ここの土地は、グヌンキドゥルは水が少ないことで有名なのにも関わらず、バニュソチョ村には水源があり、水がある場所として知られている。主な産業は、ナマズの養殖、チークの苗木を育て出荷、パームシュガー(ヤシ砂糖)やアボンレレ(ナマズを使ったフレーク)が有名である。100m以上地下を掘ると、カルスト地形と石灰岩からなる地層により濾過されたきれいな水が採水できる。村は観光化に向けて急スピードで整備が進んでおり、つい2カ月前には滝(ATG)が完成し、オープンから1万2千人が来場したり、街灯が設置されたりしている。

3-2.サイト期間中の活動スケジュール

サイト期間中の主な活動の軸は、
①事前に予定されていた活動 
②村を散策(ジャランジャラン)しながら、村の人に突撃インタビュー 
③ミーティング
の3つであった。
①の事前に予定されていた活動としては、小学校を訪問し、日本語や英語を教えたり、衛生教育やゴミ教育を行った。カルチャーシェアリングの位置づけとしてJAPAN EXPOの開催したり、チークの木を育生、輸出をしている会社の訪問、農業グループとの懇談会、アボンレレ製造工場の見学に行ったりした。村の人と仲良くなりたいと思い、個人目標として「村人30人覚える」ことを目標とした。出会った村の人を覚えるために、なるべくその人の名前をメモ帳に書いてもらうようにしたり、インドネシア語で話かけてみたりして、相手に自分の印象を残してもらうように努めた。

4.バニュソチョ村で見えてきたこと

今回私は「バニュソチョ村が自給自足を基盤とした観光村と村人の幸せと両立のために必要なこと」をテーマにサイトを見て回り、発見したいくつかの現実や事実を結び付けて自分のテーマを考えた。これまでのことをまとめると、この村は湧水を中心にいろいろなことを結び付けられると思った。

4-1.ホームステイファミリーの生活

身近なところでホームステイ先の家族の生活を観察してみた。家族構成は、お父さん、お母さん、娘さん、娘さんの旦那さん、息子さん(高校生)の5人家族だった。お母さんは朝の5:00前には起床し、朝ごはんを作っていた。その日私は朝ごはんの手伝いをすると朝から、ピーナッツをミキサーでつぶして、その傍ら石製の臼と棒でニンニクとしょうがをすりつぶし、そこにつぶしたピーナッツペーストを混ぜてソースを作っていた。その次に揚げ物をして、という風に日本では考えられないほど手の込んだ料理が毎食出てきた。日中は自分たちが活動しているので、家の様子は分からないが、夜は家族団らんしている姿が見えた。今の日本ではあまり見られなくなった家族のカタチがまだ残っていると思った。
 

図 2 ホームステイ先の手の込んだ料理

4-2.各家庭は生活用水をどこから得ているのか

昨年訪れなかった集落に行ってみた。すると水のパイプが見つかったので、そのパイプを追っていくと5 m×5 m×2.7mほどの大きなタンクのようなものがあり、そこに蛇口が2つついていた。村の人にこのタンクについて聞いてみると、山からの水をここに蓄えて、パイプで各家庭へ水を分けているといっていた。どこの山からの水なのかは、語彙力が足りなくて分からなかったのと、採水地からタンクまで水のパイプのようなものは地上には見えず、地中に埋まっていたため分からなかった。そのタンクから更に集落を進んでいくと村の人に出会ったので、ここの水はどこから来ているかを聞いてみると「グダの水源から、Sawah Loh という滝から来ている」と教えてくれた。先ほどのタンクから50 mくらいしか下ってないのに採ってくる水の場所が違うらしい。そして、その時に出会った高校生の女の子がSawah Loh まで案内してくれた。のぼり道を経て1 kmほど歩くと、滝が現れた。確かに大量な水が流れ出ていた。おそらくこの滝の水は水源からとってきているものと思われる。実はこの滝には昨年も来ていた。しかしその時にはまだ作りかけで完成していなかった。一年ぶりに来てみると、周りも整備されてい立派な滝が出来ていた。
同じ集落、近所同士であっても生活用水を引いてきている場所が違うことがほかにも判明した。それは私のホームステイ先である。昨年クタンギのホームステイ先では毎日決まった時間に断水があったが、水源に近いグダにあるホームステイ先では断水がなかった。今年の私のお世話になった家では3 km先にあるグダの水源のほうから水を引いていたことが分かった。

図 3 タンクと各家庭につながるパイプ


4-3.新しい観光名所ATG(Air Terjun Gedad)

ATG(Air Terjun Gedad) は2か月前にオープンしたバニュソチョ村の観光名所である。ATGはインドネシア学生から事前に写真を見せてもらっていた。あんなところで水を上から流しているだけで、どこまで観光スポットとして成り立つのか疑っていてところがあったが、およそ15 mくらいの高さの壁から水が出てくるような滝になっていて、滝の前にはデッキがあり、観光客はそこで写真撮影を楽しんでいた。入り口にはウェルカムボードの位置づけの垂れ幕があったり、入り口から滝までの通り道沿いには20件ほどの露店が並んでいたりした。また建設中の商店もあったりした。その露店を営んでいたり、新しい露店を建てていたのは、去年のホームステイ先の家族であったのにも驚いた。私たちがATGに行った日は平日だったのにも関わらずデッキを譲り合わなければならないほどには人が溢れていた。帰国後、インターネットで検索をかけるとヒットして思いのほかホットニュースであることが分かった。現段階では、滝を眺めながら露店で買った食べ物を食べられるようなベンチがあったり、廃タイヤを使ったゴミ箱(4つ確認)、トイレの看板が設置されていたりした。HPによると今はまだ出来たばかりで、観光客に向けてよりよい施設を建設中だそうだ。



図 5 ATG

4-4.これらの事実から考えたこと

個人的に深めた事実から、バニュソチョ村にとって水は重要な要素だと考えられる。サイトの概要でも述べた通り、もともと水の少ない場所の中でも水源があることで有名である。村人の視点で考えると、今回は限られた地域しか水の出ところを解明できなかったが、生活用水をどこから得ているのかということは、今後バニュソチョ村にとってキーポイントであると考えられる。また観光地化の視点で考えると、このような土地で水を売りに観光化を盛り上げようとすることはとても良いと思った。観光名物を作っただけで終わらず、ハード面の整備を進め、観光客にもリピートしてもらうためには、この滝だけではなくバニュソチョのいいところを感じてもらえるような観光地にして、村の人にとっても利益が得られるような仕組みにしていく必要があると考えた。バニュソチョには、パームシュガーやアボンレレ、イブが作る鞄といった家内工業が盛んである。これらの製品は仲介業者によって安く買い取られ、高く外部に売られている現実がある。しかし、これらの家内工業を生産者にとって適正な価格で地元で販売したりすることは、生産者のモチベーションアップや、家内工業の保護につながると考えられる。ジョグジャカルタから1時間半のロケーションで自然豊かなところでリラックスできるということを売りにするならば、環境保護にも力を入れていく必要があるのではないか。水のなくなる乾季にはどうするのかという問題や、人が増えたらゴミも増えると考えられるが、基本的に現段階ではすべてのゴミを各家庭で焼却している。今後予測されるこれらの問題に対して対策していくことで、バニュソチョ村の自然環境のポテンシャルを持続的に保護することに繋がるはずである。そして観光化が進み、経済発展していくと、村人の幸せと経済発展がトレードオフの天秤にかけられてしまう。私が恐れているのは、村が発展していく一方で、私が感じた、家族団らんのカタチや、手の込んだおいしいご飯、子どもたちの遊ぶ声が消えてしまうのではないかということだ。この天秤を釣り合わせるためには、村人の生活を守る規制を観光業にかけてもいいと考える。たとえばゴミは持ち帰らせたり、夜9時以降は静かに過ごしたりさせるという決まりがあったほうが村人の暮らしが邪魔されないと思ったからだ。


 

 
5.自分自身の変化や学び
 

今回実際にサイトに入ってみると、人や道を往来する車が増えたように感じ、こんなところから村の観光化が進んでいることを実感できるとは思わなかった。実際に車両の数を数えたわけではないので本当に増えたのかどうかは分からないが、去年は道いっぱいに広がって歩いていても何ともなかったのに、今年は隅を歩いていないと車にひかれそうになることが多く、常に意識しながら歩いていた気がする。またマウンテンバイクに乗ってサイクリングを楽しんでいる人も見かけた。 村の人たちをもっと理解したいと思い、参加前から簡単なインドネシア語を覚えて、現地ではなるべくそれを使っていこうと試みた。一人でふらっと村の人に話しかけては「Saya bisa Bahasa sedikit (私はインドネシア語を少し話せます)」と伝えると、喜んでインドネシア語で話しかけてくれる。逆に「Tidak bisa Bahasa(インドネシア語分かりません)」と伝えても、「いや、話せているよね(私の想像)」と言われてしまった。全く話せなかった昨年は、ニコニコしてその場を凌げていたものの、少し話せることを明かしてしまった以上、そんなごまかしも通用しなかったので、(実際ニコニコしていたら、相手の顔色が変わったことがあった)会話の中のごく少ない知っている単語で話を想像して会話していた。これでも何となく会話が出来た。また日本人だけでジャランジャランしてしまった時には紙とペンを使って絵をかきながら、「あれがこれで、それがこれね」というような感じで、尋ねたおじさんの家の水がどこから来ているかを聞き出すことが出来た。このbahasa チャレンジを通して、言葉が通じることは、自分にとってだけではなく相手に対しても安心感を与えることが出来ることを感じた。当たり前だけど、言葉が通じたら意思疎通もとれるし、聞きたいことを聞くことが出来る。 もっと時間があったら、バニュソチョ村の水のサイクルを解明したい。具体的には一件一件を訪ねて、どこから水を引いているのかを聞いたり、生活排水はどうしているのかを聞いたりして、水の流れマップを作ってみたい。またバニュソチョ村の食料自給率も調べてみたい。



6.これから取り組んでみたいこと
 

私はもともと「世界中の人たちがご飯を食べられる世界にしたい」という大規模な夢があって農学部を志望した。しかし具体的にはどんなことが出来るのかわからず、大学に入学してからずっと模索してきた。4月から3回生になり、夏には研究室分属が差し迫る中、私がこれからやっていきたいことが、これまでのSUIJIでなんとなく輪郭が見えてきた。その一つが、地域づくりと農業を一緒にやることで食料問題の解決につながるのではないかという考え方である。バニュソチョ村の農業は農業組織もあり村人が協力している姿があった。農業をすることで、地域のコミュニティーとしての役割をはたすと思うし、地域で作った作物を村の中で流通することが出来たら、これも一つの食糧問題の解決の糸口になると思ったのである。世界の現状を見るためにも、留学という形で日本の外に出ていろいろなものを見てみたい。また当初の目的であった、外部への発信はインドネシアに対してだけではなく、日本に対してもこれまでSUIJIを通して経験したことを他の人に発信していきたい。

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