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小説が生まれるまで…私の場合

はじまり

 ひょんなことから人生初の小説(短編)を書き、「第一回 星々短編小説コンテスト」に応募。まさかの受賞の知らせが届いたのが四月初旬のこと。作品が雑誌「星々vol.1」に掲載され、更に「星々vol.2」への寄稿依頼をいただきました。これが第二作目の小説(短編)になります。

 ところで、一作目を書こうと決めた時から二作目を書き終えた現在も、自分にはエンターテインメント作品は書けないのではないか、と感じています。私は真面目が取り柄のごく平凡な人間で、それなりに挫折はあったものの、特別な苦労もなく穏やかな人生を歩んできました。そんな平凡な人間の発想には限界があるだろう、人々をドキドキさせたりワクワクさせたりするような、魅力的なキャラクターや物語を作り出すなんてできないだろう、と。なので今のところ、予めキャラクターや物語を設計してから書き始める、ということはしたことがありません、というよりできませんでした。まだ二作品しか書いていないのですが。
 ではどうやって書いたのか。
 そもそも小説を書くつもりはなかったので、これまでに書き方を勉強したことはありません。友人に勧められて急にコンテストに応募することにしたので、準備や心づもりのようなものもありませんでした。応募期限が近かったこともあり、とにかく間に合うように今書けるものを書くしかない、ということで、自己流で手さぐりでなんとか完成させました。二作目も概ね同じ方法で書きました。その過程について、主に二作目に関して言葉にしてみようと思います。美しくレイアウトされ素敵な装丁を得て雑誌という形で目の前にすると、サラサラと流れるように生まれてきた作品のように見えるかもしれません。しかし、先にも書いたように私は本当に初心者で素人です。いつも迷いながら悩みながら書いていて、自分の作品が小説と呼んでいいものなのか、正直未だによくわからないような状態です。そんな状態だからこそ、それをまとめることで何か見えてくるもかもしれません。また、舞台裏はこんな風になっているんだ、と少しでも楽しんでいただけたら、これなら自分も書けるかも、と少しでもだれかの背中を押すことができたら、嬉しく思います。

イメージを言葉にする

 主人公が自然と動き出すのでそれを書くだけ、結末は自分にもわからない、と語る作家さんがいます。また、推理小説ではないけれど、登場人物のキャラクターや人間関係、出来事や伏線、結末を綿密に設計してから書き始める、という作家さんもいます。ついこの間小説を書き始めたばかりの素人の私がどんな書き方をしているのか、説明するのは大変恐縮ですが、私の場合はイメージを繋いでいく、といった表現が近いのではないかと思います。

 これは、私がこのnoteに投稿している記事をご覧いただくとなんとなく想像していただけるかもしれません。私の主な記事は、短歌または俳句と、イラストと、その風景やそれにまつわるエピソードなどを綴った千から数千字の散文で構成されています。どうしてそのような構成になったかについてはここでは省略しますが、とにかく、それらは共通のイメージから生まれています。
 そのイメージは、私の中にあります。短い動画のようなものだと思っていただければ近いでしょう。一般的な動画と違うのは、音や映像だけでなく、香りもあれば手触りもあることです。そして、なにかしらの感情も伴っています。それは記憶ではないのか、と思われた方もいらっしゃるでしょう。確かに実体験から得られた感覚も多いです。私がそれをイメージと呼ぶのは、実際に体験した情報に、空想や連想や創造が混ざり合って混然一体となっているからです。あるイメージは、実際に見た景色から思い出した夢の一場面と重なっているいうこともあります。それは、実際に見たり触れたりしたものではありませんが、確かにありありとした感覚は残っているし、実際の体験も夢の体験も、私の中に残る情報としては同じこと、といえるかもしれません。とはいえ、記憶という言葉でまとめるには私の思い浮かべるものは少し雑多な気がしますので、ともかくここでは、それらをイメージと表現してみます。

 そんなことで、きっかけはある風景だったり香りだったり、テーマとして与えられた言葉だったりするのですが、それらに喚起されてイメージが浮かびます。そのイメージが見せてくれる風景や感じさせてくれる手触りや感情を言葉で表現します。すると、私の場合はだいたい千から数千字になるというわけです。
 そんな風にあるイメージを追って言葉にしていると、別のイメージが浮かんできます。それで、また言葉にします。それらは互いに、たしかに関連しているな、と感じる場合もありますし、正直言ってどうしてそのイメージが浮かんできたのかはわからない、ということも多いです。それに関しては考えず、文体も気にせず、とにかく書き出すことに専念します。

イメージを繋ぐ

 最近気づいたのですが、これって文章で書いているので見た目は文字の羅列ですが、やっていることは「イメージマップ」や「マインドマップ」と呼ばれるものに近いですね。思考法の一つで、小中学校の国語の授業で使われることもあります。意識したわけではなかったのですが、まあ、人の思いつくことなんてそんなに大きな差はないものです。
 さて、そんな風にキャラクターも物語も関係なくイメージをどんどん書き出していくと、二万字を超えていました。まだ全く物語は見えませんし、すべてのイメージが使えるとも限りませんが、二作目の上限、一万五千字は達成できそうです。私はここで人心地つきます。これまで書いたことがない長さの文章を書くという、第一の関門を突破した、というところです。そして、そのようにイメージを文章にしているうちに、どうにも気になる中心になるようなものが決まってきます。今回の場合は、賞状を燃すイメージでした。
 実際に賞状を燃やしたわけではありません。念のため。ただ、今回の依頼のテーマ「紙」というものについてなんとなく考えていた時、思い浮かんだのが実家の物置にあるだろう賞状の束で、その古さに思い至って改めて驚き、こんなに長く保管しているのなんて私くらいなものではないか、一般的にはとっくに処分されている物なのではないか、と思いついたのです。そして同時に、それを思いつきもしなかったこれまでの自分に気付いて、その差に我ながら衝撃を受けてしまって、この変化はいったいどこから生まれたのだろう、と考え始めたのです。

イメージを組み替える

 とはいえ、私はこんな風に理路整然と言葉で思考するタイプではありません。あとから思い返して言葉にしてみるとこういうことだったのだろう、というような具合です。ただ、この賞状を燃やすイメージが思い浮かんだ時、私の体の中をさっと風が通り抜けたような感覚がしたのです。実際に経験したわけでもないのに、その、清々しいような寒々しいような、空虚なような軽やかなような、そのなんともいえない感覚が忘れられなかったのです。
 この感覚はどういうことなのだろう、どうしてこのイメージが気になるのだろう、といういうことや、このイメージを含む他のイメージ達が、どうして浮かんできたのだろう、ということや、それぞれのイメージはどう関わっているのか、いないのか、ということを、ずっと考えるでもなく考え続けることになりました。考えると言っても、言葉はあまり使っていないような気がします。イメージの順番を入れ替えてみたり、イメージのトーンというか肌触りを変えてみることで、その時起こる、全体、あるいは部分の変化を確かめながら、しっくりくる場所を探す感じです。
 そして、それらのパーツがいい位置に収まり、それまで感じていた違和感がなくなってしっくりと心地よく落ち着いた時、全体として絵が出来上がっている、という具合でした。同時に達成感と高揚感に満たされました。私はこういう絵を描きたかったのだ、と気付く瞬間でもありました。私はこの絵に出会いたかったのだと。

 ところで先に書いたように、二作目のイメージを書き出した時点で二万字程度、五千字ほどオーバーしていました。イメージを組み替えていくうちに減るだろうと思っていたのですが減らず、結局は、全体を少しずつ削ることでなんとか一万五千字に収めました。例えば、説明を簡潔にして一文減らしたり、言葉を入れ替えて数文字減らしたり、というようなことです。イメージを一つ二つ削ればいいことだったのですが、どうしてもできなかったのです。それは、単純な執着だったのかもしれません。削って小さくなった細かいイメージを積み重ねるより、大きなパーツで大胆に描いた方が印象的だったかもしれません。ですが、私としては、どれも必要なパーツだと思えて、これはいいとか悪いとかではなく、細かい筆遣いを重ねて描くような作風なのだ、と理解しています。

私にとって小説を書くということ

 今のところ、こんな風に、私の小説は出来上がります。
 私は、小説を書くことで多くの気付きを得ます。自分を知り、世界を知ります。奇妙な話に聞こえるかもしれませんが、私自身が私の作品に驚きます。それは作品を賞賛する、という類のものではありません。作品を書くことで得た気付きに感動し感謝してしまうのです。未来の自分からのメッセージを解読したような気持ち、とでも言えばいいでしょうか。私にとって小説を書くということは、自分や世界に出会いなおすことなのだと思います。こんな遠回りをしないと、私はそれがうまくできないのでしょう。こんな不器用な私ですから、誰かを楽しませよう、なんて器用なことはできないようです。それでも小説を書くとなれば、これまで書いたようにイメージを繋ぎ組み替えるという作業をしないでは書けないのですが、こんな地味で根気のいる作業は、それはそれで私にしかできないことなのではないか、とこの頃は思っています。ゆっくり歩くことでしか見えないものもある、それが私の感性、私の小説の特長なのではないか、と。
 それを読むことで誰かがその視点を疑似的に体験して、自分をより多面的に味わうきっかけになるのではないか、そんな風に考えて、戸惑いながらも、このようなごく私的な自己探求の軌跡を作品として提出しました。もし、私の作品を読むことで、あなたがあなたをより理解し人生をより味わうことができたなら、少しでもそんなお手伝いができたなら、とても嬉しく思います。

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