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27歳になりました。

3月18日の20時頃に産まれたそうです。
長男ということもあり、祖父は大変喜んだそうです。

自分の父は結婚していた。その1年後に長男(私)誕生。
って考えると、ちょっと焦りとか恐怖が芽生えます。
高校までの知り合いの情報が登録されていた携帯は不注意からLINEアカウントがなくなり電話番号で登録した人々以外が居なくなり、「他人と比較しなくてもいいんだ」と当時は安堵しましたが、「あいつ、現在(いま)何やってるんだろ」と気になるときはあります。久々にFacebookを覗いたらとある人がトレーナーになってダイエット本を出版していたのは驚きました。おなか周りと頬周辺の脂肪が落ちにくくなっているので買おうかな。

でも、だからこそ無駄に時間を浪費していた訳ではなかったという事実を残す為だけに書こうと思います。1年を振り返ったときにどうしても1番最初に出てくることは祖父との別れです。

4月ごろに祖父がもしかしたら危ないと言う話を聞いたとき「あ、そうなのかついにその時が来てしまったのか。」というのが正直な感想でした。というのも大学の長期休みで帰省した際に「80代だから、もしかしたら次は会えないかもしれない」と友達の親族や知っている芸能人の訃報と重ね合わせて、ふと寂しくなり帰りの列車の中泣いたこともあるからで。
だから覚悟はしていました。
でもコロナ禍ということもあり2年近く会うことができなかった比較的ふくよかだった(と思う)祖父は別人のように痩せていました。入る病室間違えたのかなと思ったけど身の回りの品に知っていたものがあったので今目の前にいる人は自分の祖父なんだなと思いました。そのあと仕事場では明るくふるまってみたものの、祖父のことを思うとご飯に味がしない日がたびたびありました。
その後GW最終日の帰る直前に手を握りました。4月の時と比べて温かくて、力をもらったような気がしました。その数時間後家に帰宅し、少ししてからLINEで父から受け入れがたい事実が告げられました。
すぐもどることもできましたかもしれませんが、僕がいないとうまくいかない仕事が翌日に控えていたため翌日の会社で様々な手続き、仕事を済ませてから帰りました。

直接会ってしっかり記憶がある知人が亡くなったのが初めてだったので、お葬式、その後の四十九日にこの年になってちゃんと参列しました。マナー本読みましたけど意外と知らないことだらけでした。果たして自分が喪主と呼ばれる立場になったときにちゃんとできるのだろうか。これは来てほしくないいつかのために備えて準備しておきたいなとふと思いました。

祖父は大のお酒好きで「社会人で大事なことは楽しくお酒が飲めることだ(意訳)」ということをよく言っていました。今思えばどちらかと言えば繊細だった自分にアドバイスしてくれたのではないかとコンビニでよく飲んでいたカップ酒を見るたびに思います。
ちゃんと飲めた機会は数えるほどだったけどそれを今でも覚えています。
GWに帰省するときは愛知の地酒を持って帰ります。

そして最後に。孫として産まれてよかった。
ラーメンが、銭湯(サウナ)が、ゲームが好きになって今の自分を作ったのはあなたのおかげです。

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