普通の23歳になりたい。

彼と疎遠になってから
家にただいて20時間寝るような
生活が続いた。体重も30キロ代になることかまあった。
医者の方針で私は頭が働きすぎて
疲れ切っているから薬で眠らせて疲れを
とるということだったようだ。
薬で前にも書いた通り、
歩けなくなったり、色々な当たり前が
出来なくなっていた。

ただ前に書いたように
両親との関係を改善する中で
このまま人生終わりたくないという
気持ちが強くなっていた。
手首を切ってしまうことが
多かったが、あれは恐らく死んでしまいたいからではなかった。
寧ろ生きていたい。
ただ身体が生きてれば、、ではなく
死んだように生きていたくはない。
幸せに向かっていたい。
なのに全然程遠いことに絶望して
消えてしまいたかったからなように
思う。
絶望しやすい、感受性が強かった自分に疲れ
私は岩になりたいと友達に言った。
その友達は自分は流れる水のように
なりたいといった。それすら羨ましいほど
やっかいな自分の性質に疲れていた。

そんな中、字を書く練習をはじめた。
ドリルを買ってきて練習をした。
今のこの経験を書いて将来見返すつもりで
日記を書きたいと思っていた。
おかしな話で消えてしまいたいのに
未来に見返す日記を書きたくなる。
私はすぐ死んでしまいたくなり
すぐ生きていたくなる。
未だ、そのような自分がいる。
日記がいよいよ書けるように
なってきたとき、薬で震える手で
普通の23歳になりたい
と書いた。
母はなぜかそれを見て泣いた。
そうだよね。みんな見たく恋をしたり、
お友達とご飯食べにいったりオシャレしたり
したいよね。
って泣いていた。

普通って実はなにかはわからない。
でも、母が言うような23歳になりたかった。

母の涙を見て、なんだか
幸せになりたいなぁって思った。
もう泣いて欲しくないなぁと。

まずは歩けないとって
毎日16時から18時まで
歩く練習をすると決めた。
怖かったらすぐ迎えにきてもらえるよう
母にはいつでも電話に出れるよう
待機してもらった。
1人では怖いけど、1人で歩けるようになりたくて、リッチという愛犬に毎日付き合ってもらった。毎日リッチと歩いた。
リッチは私の中で天使だった。
散歩をしながら
毎日リッチと丘の上で夕焼けを見て
花を見て、お地蔵さんに挨拶をして
ゴミを拾って、神社にお祈りして
帰宅していた。
なるべく小さな自然の変化に
目を凝らし、花が咲いていたら
話かけ、次の日は水をあげにいく。
花や木とか星とか一つ一つに
ありがとうって言って歩いていた。ブツブツ独り言をいったり

リッチと話している女、、、
周りは頭がおかしく見えたかもしれないが
なるべくできることをして
帰りたかった。そうやって心を一つ一つに込めないと、
普通の23歳にはなれない気がした。

ただのちのち書く予定だけど
何年後かに再び絶望するような
出来事が起こったときも
そうやって過ごして
確信を得たが

絶望したときは、いつもより
日常の小さな出来事にも
丁寧に心を込めること。
この行動に救われることが
多い。
多分、小さな出来事に気づくと
当たり前が当たり前じゃないことを
思い出せるんだと思う。
そうすると恵まれてることを体感できたりする。また丁寧に暮らす自分が
ちょっといい感じってなる。

また一つ一つに心が
こもるから、
悩みに心が集中しなくなる。悩みがあるときは自分のことより
他人の評価みたいなものに気がいっていることが多い。自分に集中することを
思い出せる。

なにより
小さなことを積み重ねたり大切にすると、
なぜか
温かい気持ちになる。

余談だけど
絶望するときは
無意識でも、少し傲慢になり
謙虚さを忘れている時が
私は多い。
自分には
良いことがあったり
良いことをしてもらえて
当たり前だと思っているような感覚なときや、
自分より他人に軸が行き過ぎてるとき
に私は絶望しやすい。
そしてとにかく心が退屈しているとき
が最悪だ。ただ
丁寧に心を込めると心が途端に忙しくなる。

今もなんか、むしゃくしゃしたり
落ちやすいときは
この方法を採用して
心が安定することが多い。
今日の朝、なんか落ちそうだと思って
作った味噌を
丁寧に話かけながら混ぜた。
シンクをクエン酸で丁寧に磨いてみた。
旦那さんの薄くなった靴下を縫って強化してみた。
多分
そんなささやかな誰も気づかないようなことでいいんだと思う。
でも
あっという間に心が軽やかになった。


歩く、字を書く話で
今日は終わってしまった。

次もまた社会復帰までを
書きたいと思います。


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