書いたきっかけ。

いきなり記事が脱線するが
私は今までのことをはじめて
振り返って書いている。
昔を思い出し、もっと
胸がしめつけられるのかと
思っていた。

しかし、そうでもないことに気づいた。
もう過去になっている。書くことで
実感した。そのことが嬉しかった。
書くきっかけを与えてくれたのは
保科さんという友人だ。
私は坂爪圭吾さんのブログのファンで
坂爪さんのブログを読むと世の中って
温かいのだなぁとか生きづらさを
感じるのは自分だけじゃない。
など、言葉にできないが、自分の心の置き場所をブログに感じていた。
世を渡る上で悪意に触れてしまい
息苦しさや絶望を
感じる瞬間、慌てて坂爪さんの
ブログを読み、心を整え、生きる希望を取り戻していた。私にはどんな残酷な真実
であろうと
嘘がない感じがするものや
真実である。と自分が感じる瞬間に
安心感に包まれ救われるようだ。

坂爪さんのブログを読むと
その安心感に包まれ、生きる希望を
感じることができた。
いよいよ坂爪さんに会いたいと思い、
冷蔵庫が余ってます。ごちゃまぜの家に
使ってもらえませんか?とLINEをした。
勇気がいった。何日もかかってエイっとLINEした。

すぐ返信を頂けた。
その1時間後坂爪さんと保科さんと
ごちゃまぜの家の管理人の稲村さんと
お会いした。
結果的に会えて本当にによかった。
ブログ以上に生々しいほど命を燃やし
生きてるって生命を感じる方だった。
変な言い方になってしまうが
あのままブログだけでいたら
神様のように神格化してしまったかもしれない。会えたことで、生身の人間が

傷ついたり葛藤したりしながらも
命を燃やしている。これほど生きているという純粋で真っ直ぐな命のパワーを感じる人に
会ったことがなかった。

また嘘がないと思わせくれる
優しい空間であった。
人間でいてくれ
ありがとうございますと心の底から思った。

そこから野球好きが通じて、保科さんと
野球談義に明け暮れた。
野球の話ばかりだった頃
ごちゃまぜの家で、少し
私の過去の話をした。

パーソナルな話をしたことは
なかったが保科さんは聞いてくれた上
受けとめてくれた。
稲村さんは、なぜか他の部屋から
移動してきてまで、聞いてくれた。
保科さんは
ぜひ、自伝を書いてみましょうと
言ってくれた。
竹谷さんという友人も
自伝を書くために録音までしてくれた。
結果自分の言葉で書くべきだと
思い、書いてみている。

私は彼らに
なにか評価されるわけでもなく
可哀想がるわけでもなく
聞いてくれた。心で聞いてもらえたような、、
ただただ
受け入れてもらえる安心感。
それがなにより嬉しかった。

書くのに時間がかかってしまったが
書いてみて
よかった。書くことで
もう過去なんだ。過去って感じることは
今を生きれてるように思える。

正直、乗り越えたかはわからない。
乗り越え方を聞かれても答えられない。
ただ時間が解決するという昔は信じられなかった言葉が今はわかる。
傷ついたまま止まりたくても
止まれない。

また傷つくかもしれなくても
どうしても
幸せを目指して歩きだしてしまう。

今友達の家族がメンタルで苦しみ
ヤバい状態だ。乗り越え方を聞かれても
わからない。乗り越えた自信もない。
無力だ。
ただ今、笑顔が多い日々を過ごしてはいる。
だから、相手の歩き出す力
立ち向かう底力を
信じて祈るしかできない。
私は信じてもらえることで
歩き出せた気がしている。
信じてもらえることはなにより力になることがある。

書くことを進めてくれて
ありがとう。

好きな友がいるという今が
嬉しい。
彼達が幸せでいて欲しいと
願う瞬間、私のまだ残っているかわからない
自分の優しさやわずかだけど
自分に残っているであろう
誰にも汚されることがない
自身の心の綺麗な1部を感じることができる。
また、好きな友人に恥ずかくない自分でいたいと思う、それは人が見てないとこで
ゴミをポイ捨てしちゃおうかなぁって
瞬間、好きな人たちの顔が浮かび
やめられたりする。
それどころか私も一生懸命生きたい。
なにかを頑張ってみたい。
命を燃やしてみたい。そして失敗も含め
頑張ったことを彼らに話したい。
見守り、私が命を燃やすことを
応援してくれてるような気が勝手にしてしまう。

そう思う安心感と
まだまだ老け込む歳じゃない、
挑戦し続けたい。私は生きたいと
思える。

だから心込めて、この自伝をひとまず
書き上げてみたい。




サポートは大変励みになります!!!