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【創作小説】『いとぐるま』第8話

遅めのゴールデンウィークが始まって数日が経った。

あんなに高かった熱もすっかり平熱まで落ち着き、頭痛もめまいもどこへやら。ただ、寝込んでいた数日間が結構ダメージになったようで、家の中にいても少し動いただけで疲れてしまう。離れたところに行って帰ってこられなくなるのが不安で、買い物で近所のスーパーやドラッグストアに行く以外は外に出ていない。編み物の道具を揃えるためにmoumouに行きたいとも思っているけど、運転中に集中が切れて事故でも起こしたら大変だと思って、まだ行けていない。
でも、さすがにあまりに外出しないのも考えものだし、あまり身体を動かさないとますます身体が鈍ってしまう。身体が動かなくなってしまったら、それこそ仕事どころではなくなってしまう。

わたしはうーんと唸ると、棚の上のムームーを見た。
この数日で、彼はまた何本か新しく糸を紡いでくれた。黄緑をベースに、ピンクや白、黄色がところどころに散ったお花畑のような糸や、深い青からほとんど白に近い水色まで、ブルーのグラデーションが美しい糸、淡い紫色に妖精が飛行粉でもまぶしていったような、ラメが乗ったきらびやかな糸…など、糸のバリエーションは日に日に増えていく。

わたしのココロのコンディションと、そのとき考えたり感じたりしていること、そしてわたしが見聞きした物事など、それぞれのパラメーターの移り変わりによって、糸の色や趣きは多種多様に変化するようだった。そして、ムームーが紡いでくれた糸を、夢の中でいっしょに毛糸玉にする(当たり前のように言ってるけど、こんな不思議なことあるんだなって、ずっとココロの中では思ってる)。そうしてできた毛糸玉は、大きさに多少の差はあるけど、とうとう10玉を超えた。やっぱり最初に作った灰色の毛糸玉が1番多いけど、これから先色んな色の糸が増えたら、それもバリエーションの中の1つになっていくんだろう。

だらだら、ぼーっとしていたら、お昼を過ぎていた。今日は雨は降らないまでも、どんよりぼってりとした雲が空を覆っている。今の時間の降水確率は60%らしい。降るのか降らないのかよく分からないけど、気温は20℃を切るくらいで割と涼しく、天気が良くて暑い日に出かけたら余計疲れてしまいそうだと思って、せっかくならとmoumouに行くことにした。どうせ車に乗って行くんだから、雨が降ってもそんなに濡れないだろうし。

わたしは軽くお昼ご飯を済ませると、出かける支度をして部屋を出た。でも、鍵をかけようとして手を止めた。

せっかくだし、ムームーを連れて行こう。それに、今まで作った毛糸玉も持っていって、どの針で編めばいいのかも教えてもらおう。

わたしは一旦部屋に戻ると、ムームーと、この前お風呂に入っているときにムームーが紡いでくれたあの黄色い毛糸の玉を持って車に向かった。


助手席にそっとムームーを乗せて、束の間のドライブを楽しんでいると、ぽつりぽつりと雨が降り出した。幸い小雨で、傘がなくても大丈夫そうだ。
moumouに到着すると、毛糸玉とムームーを濡れないように服の裾に隠し、急ぎ足で店内に入った。

ムームーは、久しぶりに戻ってきたmoumouのことを覚えているんだろうか?きっと覚えてないだろうな、あの頃はまだ、ただの毛の塊だったし…などと思いながら、お店の奥の毛糸コーナーに向かう。
太めの、明るい色の毛糸…。色も素材も太さも様々な毛糸が目の前に並んでいて、どの毛糸を使えばいいのかよく分からない。
わたしが毛糸の前で悩んでいると、横にあったバックヤードの入り口から店員さんが出てきた。

「いらっしゃいませ〜。あ、この前の!」

小柄なショートボブの女性は、この前わたしにあの糸車を見せてくれたあの店員さんだった。今日は生成り色とブラウンの細いストライプの柄のエプロンをしている。

「あ…どうも。この前はありがとうございました」

「いえいえ。あの糸紡ぎ、どうですか?どこかに飾ったりされてます?」

「え、ええ…はい。実際に使ってみています…この子と」

引かれるかな、と思いつつ、わたしは右手に持っていたムームーを店員さんに見せた。

「わあかわいい!羊さんですか?この子、もしかしてお客様の手作り?」

「はい。ここで羊毛と目とニードルを買って、だいぶ前に作りました」

「へえ〜。いつもありがとうございます。この子、お名前とかあるんですか?」

「このお店で買った道具で作ったので、ムームーって名前にしました。ちなみに男の子です」

「ムームーくん!とっても優しそうな目をしてますね。かわいい〜!」

店員さんはムームーの頭をやさしく撫でてくれた。ムームーはわたし以外の人間に会ったことがいままでなかったので、ちょっと緊張しているように見えた。

「今日は何かお探しですか?」

「えっと…はい。かぎ針編みを始めようと思ってて、毛糸と針を買いに来たんですけど…どの毛糸がいいのか分からなくて」

「それなら、おすすめの毛糸がありますよ」

店員さんについていくと、目にも鮮やかな色とりどりのカラーバリエーションが揃った毛糸のコーナーがあった。

「これ、ヤマウチってメーカーのメリーっていう毛糸なんですけど、初心者の方におすすめです!アクリル100%の毛糸で、アクリルたわしとかを作るのに買っていかれる方が多いですね。並太っていう太さで、初めてでも編みやすい太さだし、まずは明るい色の糸を買って練習されたらいかがかなと思います。実は今セール中で、1玉300円もしない値段でお買い上げいただけますよ」

商売上手な人だなと思う。そういえば、あの糸車の載っていたメールマガジンでセールになっていたのは、確かにこの【ヤマウチ メリー】だった。
店員さんも、あのホームページと同じように明るい色の毛糸を使った方がいいと言っている。色の種類が豊富でどの色にするか迷ってしまったけど、わたしは明るいオレンジ色の毛糸を1玉手に取った。

「あの…かぎ針はどれを使えばいいんでしょうか」

「毛糸の帯にいろいろ書かれているんですが、その中に使う針の号数も書かれています。メリーだと、7号か8号の針がいいと思います」

そう言いながら、店員さんは編み針のコーナーに案内してくれた。かぎ針も棒針も、細いものから極太のものまで様々な種類が並んでいる。

「金ピカで両側で号数の違うかぎのついた針もあるんですけど、細くて使っていると指が痛くなることが多いので、手が疲れないようにグリップの付いたかぎ針を使うことをおすすめします。うちの店だと、これを買っていかれる方が多いですね」

店員さんは、銀色の針に黄緑色のグリップが付いた、まるでペンみたいなかぎ針を渡してくれた。メーカーのロゴと思しきハトのマークがグリップの表面に彫り込んであって、その隣に「8/0(5.0mm)」の文字。値段は…600円ちょっと。羊毛フェルトの、しょっちゅう折れてしまうニードルを買うことを思えば、初期投資としては安いものだと思う。とてもすぐ折れてしまうようには見えないし。

「あの…ありがとうございます。あと…いつかは、糸車で紡いだ糸も編んでみたいなと思ってるんですけど、何号の針を使って編めばいいのか分からなくて…」

わたしはおもむろに、カバンにしまっていた黄色の毛糸玉を取り出して店員さんに見せた。

「え、この糸あの紡ぎ機で紡いだんですか!?」

わたしが紡いだわけではないのでちょっと語弊があるとは思いつつ、はい、と答えると、店員さんはたいそうびっくりした様子でわたしと糸を交互に見た。

「へえぇ〜。あの糸紡ぎで、こんな糸が作れるんや…すっごいなあ…。…あ、えーっと、この糸の太さだったら3号針がちょうどいいかなと思います。刺繍糸で編んだりとか、あとは極細の毛糸で編み物をしたりするときに使う太さですね」

わたしは紫色の3号針を手に取った。グリップには「3/0(2.3mm)」と記されている。当然ながら、8号針より先端はとても細い。こんな細い針で編むのか。手先がそこまで器用ではない自負のあるわたしに、こんな細い針がうまく使いこなせるだろうかと、少し不安になる。

「最初はこっちの太い方の糸と針で練習して、慣れてきたら細い針とその糸で編んでみたらいいと思います。楽しみですね〜!何を編まれる予定なんですか?」

「いや、まだ特に決めてはないんですけど、何か簡単なものから編めたらいいなと思ってます」

「あ、編み物初めてだったら、編み方の教則本があった方がいいですね。もちろん動画やネット検索でもいいんですけど、1冊持っておいたら何かと重宝すると思いますよ」

ほんとうに、商売の上手い人だ。店員さんはわたしを書籍のコーナーに連れて行くと、たくさんある編み物関連の本の中から、「基礎から学ぼう!かぎ針編み」という、少し分厚い本を取り出した。

「この本、私も持ってるんですけど、本当の基礎の基礎から、ちょっと発展した編み方とか、モチーフの作り方とか、色んな情報が分かりやすく網羅されてて使いやすいと思います。…すみません、私しゃべりすぎですよね!これから編み物を始めるって聞いたらいてもたってもいられなくて。編み物ってほんとに楽しいので、ぜひ練習して、色んなものを作ってみてほしいです」

笑顔の素敵なこの店員さんがそう言うのだから、きっと編み物は楽しいに違いない。ますますやる気が湧いてくる。

「たくさん説明してくださってありがとうございます。助かりました。じゃあ…この毛糸と、かぎ針と、本、買っていきますね」

「ありがとうございま〜す!」

毛糸1玉とかぎ針2本、そして教則本1冊を合わせた金額は3,800円くらいだった。これで準備が整ったので、かぎ針編みを早速始めることができる!わたしのココロはうきうきと弾んだ。

「うちの店で月1回かぎ針編みのお教室も開いてるので、もし何か分からないところがあればぜひお越しください。詳細のご案内、袋に入れときますね。製作がんばってください!」

わたしは店員さんにお辞儀をして、がんばりますと伝えると店を出た。
さっき来たときは小雨が降っていたけど、いまは止んで、ところどころ青空が覗いている。
わたしはカバンと買った道具一式を助手席に置いて、はやる気持ちを抑えて家に帰った。


ちょっとした遠出から帰ってくると、わたしはまるで空気の抜けた風船のようにくてっとへたり込んでしまった。店員さんと面と向かって話すのに緊張してしまって、疲れが出てしまったみたいだ。でも、店員さんに手伝ってもらえたおかげで、スムーズに必要な道具を買い揃えることができて大満足している。

道具一式をテーブルに置いて、その隣にムームーを座らせた。ムームーに、わたしが初めて編み物に挑戦するところを見ていてほしかった。

パックを開けてかぎ針を取り出すと、針先を見た。このかぎの部分に糸を引っ掛けて編んでいくのか。そして次に、買ってきたオレンジ色の毛糸に目をやった。帯の後ろ側を見ると、矢印といっしょに「糸端はこちらです。引き出してお使いください」と書かれている。どうやら、毛糸玉の中にある糸端を引き出して使うらしい。わたしは毛糸玉の中に指を突っ込むと、糸端っぽい毛糸を1本摘んで引っ張り出した。
ずるずるずる!と、大きな毛糸の塊が、玉の中から飛び出した。糸端だと思った部分は糸端ではなかったらしい。思わず、あちゃー、と頭を抱える。毛糸の帯の周りに何度も何度も糸を巻き付けて、やっと糸端を見つけた。これを一発で探し当てるのは至難の業だろうと思った。

買ってきた教則本を開く。必要な道具は揃ったはずなので、早速編み方の勉強をしよう。
…ふむふむ、まずは基本の構えから。わたしは右利きなので、左手で糸を、右手で針を持って編むようだ。
えーっと…糸を薬指と小指の間に挟んで手のひら側に糸端を持ってくる。その糸端を人差し指に引っ掛けて、中指と親指で糸端をつまんで軽く引っ張る…と。かぎ針は鉛筆持ちをすればいいようだ。構えはこれでいいらしい。

ページをめくると、さっそく編み方の指南が載っていた。横に倒した楕円形のマークの横に、「鎖編み」と書かれている。
ピンと張った糸の向こう側から針を当て、糸を絡めるように針を回転させてループを作る。そして、針に糸をかけたらループから糸を引き出す。この一連の作業でできた最初のひと目は「作り目」と言って、目の数には数えないらしい。
針に糸をかけてループから引き出す…を繰り返して、鎖のような編み目ができるから鎖編み。かぎ針編みの1番の基本だそうだ。わたしは教則本の上に昔買った分厚い洋書のペーパーバックを置いて重しにし、教則本の写真を見ながら鎖編みの練習を始めた。

左手に力が入りすぎているのか、かぎ針に上手く毛糸を巻きつけることができない。構えの姿勢を無視して指で無理やり巻きつけ、再び構えてかぎに糸を引っかけようとすると、今度はなかなか引っかからなかったり、糸が割れてしまったりしてやっぱりうまくいかない。また力技で針に糸をかけて、ループから引き出そうとすると、今度はループにかぎが引っかかって針が抜けない。

何度もやり直し、構え直して、格闘すること約5分。やっと、「作り目」ができた。
わたしは針と糸を置いて、ふぅ〜っと溜め息をついた。やっぱりわたしは手先が不器用で、こんな簡単そうな基礎の基礎の編み方にこんなにも時間がかかってしまう。編み物をやってみる、と意気込んだはいいものの、ただ針を刺すだけに近い羊毛フェルトと違って、さまざまな操作が必要になるであろう編み物を前にして、わたしは少し尻込みしてしまった。

ムームーと目が合った。
針と糸と格闘しているわたしのことは、ムームーの目にはどんな風に映っているんだろう。夢の中のムームーはたしか、がんばれ!と力こぶを作ってくれたっけ。

「もうちょっとがんばってみるよ。ここでくじけちゃったらなんにも作れないから」

わたしはムームーの頭を撫でると、教則本を見ながら基本の構えに戻り、鎖編みの練習を再開した。

針に糸をかけて、ループから糸を引き出す。
また糸をかけて、引き出す…。
なかなかスムーズにはいかないけど、何度も何度も繰り返すうちに、少しずつ手が編み方を覚えてきているみたいだった。

もう何回編んだだろう?わたしは1度手を止めて、いままで編んだ成果を見た。
わたしが編んだ鎖編みの編み目は、教則本の見本みたいにまっすぐきれいに整った編み目じゃなくて、そのときの手加減によって編み目がゆるゆるだったり、逆にきつく締まっていたりして、いかにも初心者が編んだという見た目をしている。やっぱり、きれいに速く編めるようになるためには相当の練習が必要みたいだ。

わたしはかぎ針を毛糸のループから外すと、長く伸びた鎖を一瞬見やってから、糸を引っ張ってほどき始めた。
あんなにがんばって編んだ鎖がするするとほどけて、あっという間に1本の糸に戻っていく。ほどいた糸は、お湯を入れる前のインスタントラーメンか、昔流行ったというソバージュヘアのように、ちりちりと縮れている。
1時間ほどもかけて編んだ長い長い鎖は、ものの10秒で縮れた糸になった。

縮れた毛糸を、ムームーの頭に乗せてみる。
なんだかおしゃれな女の子みたいな見た目になった。目が隠れているのでちょっと陰気そうなのに、髪の色はポップなオレンジなのでイメージのミスマッチ。毛糸の髪の毛でイメージチェンジしたムームーの姿に、わたしは思わずクスッと笑ってしまった。

「毛糸はほどいても、1度編んだことが分かっていいね。ちゃんとがんばった証拠」

わたしはまたひとつ、ふぅ〜っと溜め息をついた。
鎖編みの練習を始めて、熱中しすぎたせいか時間が過ぎているのが分からなかったけど、時計を見ると時刻は17時になるところだった。そう言えば、昼を軽くしか食べていないのでお腹が空いている。
編み物道具一式を手芸棚にしまうと、わたしは晩ご飯の支度に取りかかった。




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