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今年の振り返り

こんにちは。おおかみの人です。

今回のトップ画像は、今年の春に撮影した、さくら先生と桜。




2023年。

思えばさまざまなことを経験した年になった。

失敗こそしたが一人暮らしにチャレンジしたり。
人形劇のイベントを企画したり。
フットワーク軽く色んなところに出かけたり。
新たな仕事を始めたり。
人との出会いが多かったり…などなど。

たくさんいろんなことを経験したり、達成できたりした1年になった。

昨年末のさくら先生の診察で、来年の目標を100個考えてきてくださいね、と言われてから、はや1年。
数え上げてみると、細かな目標まで入れたらおそらく100以上はできたことがあるだろうと思う。ひとつひとつ数えていないのだが、実感としてそのくらい。

経験できたこと、達成できたことはあえてここでは触れない。代わりに、「自分が成長できた部分」について、まとめていこうと思う。




①自分の感情に自分で責任を持てるようになりつつある

昨年の入院時に、桃子先生に言われた言葉があった。

「あなたには、自分の不安をまき散らす悪癖がある」

この言葉の意味がすぐには分からなかったが、その後さくら先生との診察を重ねる中で、わたしはイライラした感情やココロのモヤモヤを抱えると、それを周りにぶちまけ続ける人生を送ってきたことを知った。そして、それはとても幼稚な対応だということも、様々な経験を経て、この歳になってやっと思い知った。

そこから脱しなければいけない。一体何をすればいいのか?わたしは全然わからないなりに、できることをやってみた。

まず、自分自身のことを客観的に分析するようにした。
いまのわたしはどんな状態なのか?置かれている状況は?呑まれている感情の種類は?わたしがいまできることはなんだろう?…などなど、自分の頭の上からもうひとりの自分がわたしを覗き込むようにして、色んな側面から自分を観察するようにした。そして、それを頭の中だけでやっていると埒が明かないので、それぞれの項目をWordでA41枚にまとめることを何度もやった。そうすることで、自分の中でモヤついているものがかなりスッキリしていった。

そうして、その中でも自分の感情について分析することで、自分の感情というものを味わう、ということができるようになった。
ああ、わたしはこの出来事を通して、怒りを感じたんだな。こんなことがあって悲しかったのか…など、生まれてきた感情をあるがままに受けとめられるようになった。
いままではこの時点で他人に気持ちをぶつけてしまうこともあったが、そんなやつあたりのようなことはしなくなってきている。いままでは、自分の気持ちをどこかで否定したり、隠そうとしたりしたから、耐えられなくてそんなことをしてしまったのかもしれない…と、そんなことを思うようにもなった。

そして、自分の感情を味わうことができたならば、その感情に自分なりの方法で対処することができるようになってもきた。
怒りを感じたのなら、では自分はどうしていたらもっと満足できていたのだろうか?相手があることなら、その相手に何を期待していたのか?
悲しみを感じたのなら、自分の傷つきポイントはどこだったのか?何に「とげ」を感じたのか?
嫉妬を覚えたのなら、わたしはほんとうは自分自身に何を期待し、望んでいたのだろうか?
ネガティブな感情をポジティブな行動の原動力にする。こうして感情の裏側に隠された自分のほんとうの気持ちに気づくことで、上手に自分の感情に対処できるようになってきたのが、いまのわたしだ。

自分自身を客観的に分析し、感情を味わい、その感情に隠された自分のほんとうの気持ちに気づいて、それぞれに対処していく。この方法で、わたしは「不安を撒き散らす」悪癖を少しずつ乗り切り、自分の感情というものに自分自身で責任を持って対処できるようになりつつある。


②自分がほんとうにやりたいことをできるようになった

①で、自分のことを客観的に分析できるようになった、と述べた。この「客観的な分析」というのが、自分が人生を設計していく上で必要不可欠なものだということを、今年は特に実感した。

先述したように、「怒り」からは「自分が抱えている不安と期待」が、「悲しみ」からは「自分が傷つくポイント」が、「嫉妬」からは「自分自身に対する希望」がそれぞれわかる。そして、特にこの3つ目の「嫉妬」の感情に対処する中で、わたし自身が自分の人生に何を期待しているのかを知る、というところまでたどり着いた。

嫉妬なんて、醜い感情だ。自分にはないものを誰かが持っているのを強く羨んで、羨ましすぎて相手のことを否定したり、攻撃したりする気持ちが勝手に生まれてくる。そんな汚い感情は隠すべきだし、そもそもそんなことを感じる自分は穢らわしいとさえ思っていた。

でも、それは違った。

感情は自由なものだ。それは誰にも否定されるものではない。生きていれば嫉妬のようなあまりよくない感情を持つことだって、普通である。
そして、自分が持っていないものを他人が持っていないことに対して羨ましいと思うのなら、それを得られるように動けばいいだけのことなのだ。それが簡単に得られるものなのか、相当の努力を要するものなのか、それともどれだけ努力しても得られないものなのか、それはわからない。しかし、少なくとも嫉妬の先にあるものを目指して努力した事実は消えないし、そもそもそれだけ努力していたらきっと、自分の望んだものが得られなかったとしても別の満足感があるかもしれない。

嫉妬狂いになって辛く苦しかったことも今年はあったが、そのおかげで来年からの自分の身の振り方についてひとつ大きく目標が立てられたりしたので、そういう意味でも今年は充実した1年になったと思う。


③人に恵まれる自分になれた

自分のやりたいことがわかってきて、それに向かって前進することができるようになると、自然と自分の周りに「サポーター」が増えていった

運が味方した部分も大いにあると思うが、たとえば【かなざわにじのま】での出会いは、わたしの人生をガラリと変えるきっかけになったもののひとつだ。
今年の2月ににじのまがオープンしたことをまず知ったことが大きな転機であったし、そこに行くという行動を起こせたのも大きな前進だった。そして、その踏み出した一歩のおかげで、金沢レインボープライドの皆さんや、そこに集う様々な背景を持った人々と出会い、交流を重ねて様々な価値観に触れ、また自分のことを(たとえば人形劇のイベントの企画を通して)サポートしてくれるたくさんの人々に出会うことができた。

そして、いままで絶対無理だと思って諦めていた教師の道でも、素晴らしい人との出会いが待っていた。
そもそも、自分の通える範囲の場所に通信制高校の求人があって、それを見つけたこと。勇気を出してその求人に応募したこと。チャンスを逃さずに、思い切って一歩を踏み出していたあのときの自分がいなければ、何も始まっていなかった。
そして、仕事を始めて他の先生方と交流したり、事情を抱えた様々な生徒と向き合う中で、自分について大いに悩むことになった。
そんな中で、わたしの直属の上司(部長)との出会いはとてつもなく大きなものだった。
部長は仕事の悩みやプライベートの悩みなど、広くわたしの話を聴いてくださる素晴らしい人物で、彼女はわたしのことをとても買ってくださっている。そして特に、仕事で自分の立ち位置や振る舞い方がわからなくなってしまったわたしに対して、

おおかみ先生はそのままでいいよ。そのままでいてください」

と言われたことをきっかけに、わたしは(特に仕事において)何かを過度に気にしすぎることなく前を向いて進めるようになっていった。

こうして、にじのまで出会った人、特にマスターと話をしたり、部長と話したりする機会が増えたわけだが、まずもって尊敬したり信頼したりできる人との繋がりが増えたことが自分にとってものすごく大きな収穫だった。そしてそういう人たちに、困ったことがあったときに相談してみようという勇気をもつことができたのも、大きな進歩だったように思う。そして、相談ができるようになったことをきっかけに、人の話を素直に聞くことができるようになった。人の話を聞かずに自暴自棄になっていた過去の自分とは、もうすぐ完全にオサラバすることができるのかもしれない。

人との出会いに恵まれるようになった1年でした、という話を、先日さくら先生にしたら、

「それはつまり、おおかみさんがそれだけ魅力的な人物に生まれ変わったってことですね!」

と、ニコニコ笑顔で言われたのを覚えている。
視野を広く持って前向きに進んでいると、同じ方向を向いて進んでいく人と出会いやすいのかもしれない。


④人との適切な距離感を少しずつ知った

仕事とプライベート、どちらでも「人との距離感」を考えるような機会があった。

たとえば、仕事で。

挨拶をしてもほとんど返してくれない、ちょっとぶっきらぼうな態度の男子生徒がいた。たまに学校に来ても、テーブルに課題を広げたまま手を付けず、ずっとスマホのゲームをやっていて、ほとんど何もせずに帰っていく。課題の提出も遅いし、点数も落第寸前で、コミュニケーションも取りづらいことにかなり悩んでしまっていた。

そんなある日、再びその生徒が登校してきた。
やっぱりスマホでゲームをしている。わたしはおそるおそる近づいて、

「レポートってほんとめんどくさいよね〜」

と、一言声をかけた。
するとどうだろう。いままでわたしに挨拶もしなかったその生徒が、「いや、実は仕事めっちゃきっちーげんて…」と、ポロリとこぼしたのである。そして、ひとつひとつ自分の抱えたものを話し始めたのを見て、わたしは「ああ、この一歩を踏み出して、関係性を築けてよかった」と、心の底から思ったのだった。

一方、プライベートで。

かつてのわたしのように、自分の抱えたモヤモヤやイライラを、わたしにぶつけてきた友達がいた。
わたしは、正直その子がかわいそうだな、と思った。そう思ったことそれ自体がもう既に自分にとっては大きな進歩だったと思う。相手のモヤモヤやイライラに絡め取られることなく、自分は自分で毅然とした態度で接することができた。相手はそれがますますイライラの原因になったようだが、正直言ってわたしは大人の対応をしたまでだ。そういう感情は自分の中でケリをつけるべきものであって、ぶつけられたところで「ああ、そうなんだ」と言うことしかできないのだから。
結局その子とは、距離を置くことにした。

実は、このことを部長に相談したりもした。すると彼女は、

「相手が鋭いトゲのたくさんついたものを全力で投げてきたら、ぶつかったときに痛いし、血も出る。そんなときは、刺さったトゲを丁寧に抜いて、そのトゲが刺さらなくなるまでラップでぐるぐる巻きにするの。まあるく、まあるく」

と言っていた。
素晴らしき【トゲにラップ】理論!
ごもっともだと思ったし、何より、わたしの周りにはわたしに味方してくれる人もいる、ということをしみじみ感じて、ああ、生きていてよかった…と思ったのであった。

こんなふうにして、片方では勇気を出して関係性を築き上げていくことをし、片方では勇気を出して関係性を離していくことをした結果、手元に自分にとってプラスになる人間関係が多く残った
もちろん自分にとって耳の痛くなるようなことを指摘してくれる相手も必要ではあるが、わたしの周りにはそれをわたしのことを否定しないやり方で伝えてくれる人がたくさんいる。だから、誰かに批判されるのではないかと怯えることがなくなった。それに、理不尽なことを言われても、それに振り回されることもなくなった

人との距離感を探る中で、更に大人に近づいた1年だったと思う。


終わりに…

「自立」「客観」「勇気」…といったものが、今年の自分の成長のキーワードになったと思う。
いままで止まっていた自分の時計が、ものすごいスピードで回りだして、やっと歳なりの自分になれたような感覚。

ほんとに、成長したな。

1年がんばったわたし、お疲れ!!

来年からも、もっともっとがんばろう!!


今年お世話になった皆様に、ありがとうの気持ちを込めて。

また来年からも、よろしくお願いいたします!!




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