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【創作小説】『いとぐるま』第1話

【あらすじ】

老人介護施設で働き始めた「わたし」は、最近仕事も趣味もうまくいかず、落ち込み気味になっている。
ある日「わたし」の元に、通っている手芸店からのメールマガジンが届き、そこで木製の機械―洋風の糸車を目にする。不思議な魅力に惹かれた「わたし」は手芸店に向かい、糸車を思いきって購入する。その糸車はミニチュアサイズのもので、「わたし」は自作の羊の人形と一緒に棚の上に飾ることにした。
その日の晩仕事にまつわる嫌な夢を見て起きた「わたし」は、糸車の周囲に散らばった、糸が巻かれた大量のボビンを見て驚く。どうやらこの糸車には、不思議な力があるようで…?




はあ〜。

う〜ん…。

今日も溜め息ばかりが出る。

なんだか最近、いろんなことがうまくいかない。
仕事をしてても失敗だらけで叱られるし、人より仕事が遅くてなかなか終わらなくてイライラするし。
たまの休みに気分転換を、と思って趣味の羊毛フェルトをやってみても、針を何度も指先に刺して指先が血だらけになるし、思い通りに形は作れないし。
日々のストレスをひと針ひと針に込めて刺したら、少しはささくれ立った気持ちも安らぐかと思ったけど、どうやら逆効果だったみたい。

あぁ〜あ!

またひとつ、大きな溜め息をついて、ごろんと横になる。
かたい床に直に横たわると、ひんやりとしていて気持ちいい。でも体のあちこちが痛くなってきて、すぐにまた起き上がった。

テーブルに両肘をついて、頬杖をつきながらぼんやりと考える。

なんでこんなになにもかもうまくいかないんだろう…はぁ。
仕事もだめ、趣味もだめ。ダメダメ人間じゃん…はあ〜。
…ってわたし、溜め息つきすぎだな。溜め息つくと幸せが逃げるってよく言うけど、わたしは不幸せな人間なのかな…はあぁ〜。

テーブルの端に置いてあった携帯が、バイブレーションのせいで床に落ちる。何度も不用意に落としているので、画面端の方は傷だらけのヒビだらけだ。わたしは傷が増えていないかと確認したあと、画面をTシャツの裾で雑に拭いて、ロック画面に表示された通知を確認した。メールの通知が1件きていた。


【ただ今セール中!】あたらしい趣味を始め…


仕事帰りにたまに立ち寄っている、手芸用品店のメールマガジンだった。
羊毛フェルトを始めるようになってちょくちょく通うようになり、レジで店員さんに勧められるままメール会員に登録したら、セールがあるときや店舗でやっている手芸講座があるときにメールが来るようになった。
わたしはそんなに手芸に熱が入っているわけでもないので、だいたいは中身にほとんど目を通すでもなくスルーしてしまう。でも今日はなんとなく、メルマガを見てみよう、という気になって、通知をタップした。


From: 手芸屋moumou
件名: 【ただ今セール中!】あたらしい趣味を始めてみませんか?

本文:
ゴールデンウィークも終わり、五月病気味のそこのアナタ!モヤモヤもストレスも吹っ飛ばすような、新しい趣味を始めてみませんか?
手芸屋moumouでは、特価の商品をたくさんご用意して、皆様の手芸ライフを応援いたします!
今月のセール商品はこちら↓↓↓


メール画面をタップして、商品の画像を表示する。どうやら結構たくさんの商品が大売出し中のようだった。

まず、毛糸。
アクリルたわしに使う某有名手芸メーカーのアクリル毛糸が、300いくらのところを200円台で売り出しているらしかった。編み物をする人は喜ぶんだろうなあ。
他にも、モヘアのふわふわの毛糸や、アルパカの毛が入った毛糸、海外から輸入された高級毛糸など、様々な毛糸が大安売りされていた。まあ、わたしは編み物はやらないので関係ないや、ととりあえずスクロールして飛ばした。

次に出てきたのは、生地。
特にハギレを中心に売出し中らしい。女性向けの可愛らしい柄のシーチングや、絵本のキャラクターがプリントされた版権もののキルティング、カバンでも作れそうな厚手の帆布など、こちらもたくさんの商品があるらしい。手芸初心者さんでも、カンタンな小物作りから始めてみませんか?とのことだったが、わたしは針仕事は苦手だし、ミシンの扱いも下手くそなのでこれもちょっと…。そう思って、またスクロールした。

へえ、最近は毛糸で刺繍できる道具まで売ってるのね。
へえ、海外のビーズ、色んな種類があるんだなあ。
へえ、最近は手芸の本もこんなに多種多様なのか…。

ふうん、と思いながら画面をスクロールしていくと、今までとは毛色の違う商品の画像が現れた。

比較するものが写っていなかったのでサイズは分からなかったが、木でできたナニカだった。それには大きな車輪のようなものがひとつと、その車輪から伸びたベルトのようなもので繋がったパーツがくっついていて、車輪の下には、細長い板が斜めに取り付けられていた。

うーん。これはいったい、なんだろう?

わたしは、その謎の木製機械の車輪を見て、ふと、昔小学校の国語の時間に読んだ話を思い出した。
それは、確か…【たぬきの糸車】という物語だった。挿絵に描かれた糸車にも、大きな車輪がついていて、それを回すことで糸を…えーっと…「紡ぐ」道具らしかった。

キーカラカラ、キークルクル…。

きしむ音を立てながら回る糸車。たぬきじゃなくても、きっとわたしだって、そんな機械を見たら面白くて見入ってしまうと思う。

と、そこまで思い出して、また画面に目を落とす。
この機械の上半分は、当時の教科書の挿絵に描かれていた糸車を少し斜めにしたような形になっている。そしてその下にある斜めに取り付けられた板は、昔祖母の家で見た足踏みミシンのペダルを思い出させた。

商品名は特に書かれていなかった。
やっぱり糸車なんだろうか?足で踏んで操作するのかな?その前に、いくらくらいするんだろう。
画像の下に、値段が書かれていた。


¥57,840 → ¥32,750(税込)


うっ。いくらセールとはいえ、元の値段が高いので、やっぱり高い。そりゃそうか、機械だもんなあ。
普通だったらこんな高い商品、スルーしているだろうに、どうもこの商品…糸車が、気になって仕方なくなった。そして、カバンの中から財布を取り出した。
曲がりなりにも一応、この4月からちゃんと働いているので、稼ぎはまあ…少ないけど、ある。あるとは言っても、流石に3万を超すようなものを目の前にすると…やっぱり気が引ける。

財布の中を覗いてみた。諭吉さん…いた。3人。それから樋口さんが1人。糸車が買えるだけのお金が、一応は手元にあることになる。

お高い買い物には用心深くならなければいけないけど、手元にお金があることも含めて、わたしは何かこの糸車との出会いに運命のようなものを感じてしまった。そういえば、初任給が入ってから、これといったものをまだ何も買ってない。わたしはちょっと悩んでから、よし、と立ち上がり、手芸屋moumouに行くことを決意した。




ゴールデンウィークがしばらく前に過ぎていって、徐々に気温が上がってきている5月の半ば。
日曜日の今日はよく晴れていて少し暑く、空にはふわふわの雲がいくつか浮かんだいい天気だった。
最近イライラモヤモヤしっぱなしでどんより曇り空だったわたしの気持ちも今は少し晴れ間が覗いている。何と言っても、これから気になる商品をお店まで見に行くのだ。珍しくココロが弾んだ。春らしい服装に着替えて、戸締まりを確認すると、ルンルン気分で車に乗り込んだ。

【手芸屋moumou】は、自宅からも職場からも、車で10分のところにある。羊毛フェルトがやりたくなったときに気まぐれに店に入るだけなので、正直羊毛フェルトコーナー以外のことはよくわからないし、あの糸車がどこに置いてあるかも皆目見当がつかない。まあ、今日はお休みの日。ゆっくり店内を見るのも楽しいかな、と思って、いつも通りにお店に向かった。


moumouに着いた。自動ドアを抜けると、店内は冷房がゆるく効いていた。天井からぶら下がった店内の案内図を見る。

入り口から見て右手には、生地のコーナーがあった。ロール状に巻かれた大きな生地の山が見える。その奥に書籍コーナーがあって、その向こうに羊毛フェルトコーナー、ボタン、ビーズ類などなど…といくつか並んでおり、壁際に刺繍糸のコーナーがあるらしい。そしてその突き当たりを左に曲がると、その一帯は毛糸・編み物のコーナーだ。
入り口の左手には、おすすめ商品コーナーの奥にレジがあり、そのさらに奥の広いスペースは手芸講座専用のスペースになっていた。今日は講座がないらしく、スペースはがらんとしている。

わたしは店内を、右側からぐるっと見て回ることにした。可愛らしい生地や、独特な柄の生地に思わず目が奪われる。絵本が好きなわたしは、見覚えのある猫のキャラクターが描かれたキルティング生地に思わず目が釘付けになったけど、いやいや、今日の目当ては糸車だ。余計なものを買ってる暇はない、と、その生地を見なかったことにして先に進んだ。ここにはやはり、糸車はなかった。

次に、書籍のコーナーを抜けていつも立ち寄る羊毛フェルトのコーナーに向かった。思わず作りたくなるようなかわいい動物のキットがたくさん陳列されている。まあ、見本はどれだけかわいくても、上手に作れるかどうかはまた別なんだけど…とモヤモヤ思いつつ、ここにも糸車はなくて次のエリアに移動した。

ボタンやビーズなど、手芸小物のコーナーにはもちろんない。
刺繍糸のコーナーにあるかな?と思ったけど、そこには色とりどりの刺繍糸がしまわれているたくさんの引き出しの付いた大きな棚があるだけで、糸車らしいものは見当たらなかった。
結構広い毛糸のコーナーを見てみても、色んな種類の毛糸が置いてあるだけで、糸車は見つからなかった。
最後にダメ押しのように、入り口のおすすめ商品のコーナーも見たけど、やっぱり糸車はなかった。

もう、売れちゃったのかなあ。

がっくり肩を落として、帰ろうかと思っていると、店員さんが声をかけてくれた。

「何かお探しですか?」

振り返ると、小柄のショートボブの髪型の女性が立っていた。大ぶりの花柄のエプロンがよく似合う、可愛らしい人だ。

「あ…はい。えっと」

わたしは携帯を取り出して、例のメルマガを開き、糸車の画像をその店員さんに見せた。

「これ、あるかな〜と思って見に来たんですけど…」

「ああ!はい、ございますよ。少々お待ち下さいね」

そう言うと、店員さんはお店の奥に引っ込んでいった。
ややあって、店員さんが戻ってきた。腕に白い箱を抱えている。靴箱くらいの大きさの箱だった。

あれ、と思った。自分の直感で思ったより、ずっと小さい。

足を乗せるペダルらしい板があることを考えて、高さが1mくらいある大きい機械をなんとなく想像していたわたしは、店員さんに差し出された箱に少し驚いた表情で目を落とした。

「こちらの商品ですね〜」

店員さんはどことなく嬉しそうに言った。
白いボール紙でできた箱にも、やっぱり商品の名前が書いてあるわけではなかった。

「あの、開けて中身を見てみてもいいですか?」

「どうぞ。触っていただいて構いませんよ」

わたしは蓋を開けて中身を覗いた。緩衝材の紙がたくさん詰まっていて、それをどかすと古い新聞紙が見えた。古新聞にくるまれたそれを取り出して、慎重に1枚1枚はがすと、写真のものと同じ糸車が現れた。

レジの横の生地の裁断テーブルに置いて、じっと見てみた。
高さと幅は…15cmくらい。奥行は10cmくらいの、小さな糸車だった。
…いや待て。わたしが勝手に糸車だと思っているだけで、ほんとうは何か別の商品なのかもしれない。店員さんに聞いてみた。

「あの、これは何ていう商品ですか?えっと…糸車、なんでしょうか」

「えーっと…はい。糸車、糸紡ぎ機ですね。紡ぎ車とか、あとは紡ぐ毛の機械と書いて紡毛機、と言ったりもするそうです。ちょっと小さいんですけど」

糸紡ぎ機と糸車は同じものなのか違うものなのかいまいちよく分からなかったけど、とにかく糸を作る…紡ぐものだということは理解した。

「これ…おもちゃですか?」

足を乗せるであろう部分の大きさは、指1本か2本分くらいの幅しかない。まさか巨大化するわけでもなかろうし…。

「いえ、一応ちゃんと使える糸紡ぎなんですよ。動かすこともできます」

店員さんは板に指を乗せると、板を押したり離したりして見せた。キィ、と小さく掠れた音がして、カラカラカラ…と音を立ててテンポよく車輪が回りだし、車輪に繋がったパーツも連動してクルクルクルと速いスピードで回りだした。
へえ、こうやって使うんだ。ほんとうに「キーカラカラ」なんだ!面白いな、これ。

「わたし、糸紡ぎってやったことないんですけど、初心者でもできますかね?」

「実は…この商品、取扱説明書みたいなものがもともと付いてなかったんです。目立つ傷などは特にないんですが、中古品なもので…。使い方が分かる方がお買い上げになられた方がいいかな、とも思うんですが、何しろこのサイズですから、使わなくてもインテリアとして飾っておくだけでも素敵かな、なんて思います。飾っておくだけにしてはちょっとお高いんですが」

うーん、困った。取扱説明書がないなら、いくらシンプルなつくりの機械とはいえ、実際に使うのは難しそうだ。でも、確かに店員さんの言う通り、値段は高いけど飾っておくだけでも雰囲気がある。でも…まず感じたのは、動かしたときの「キィ、カラカラカラ…」のリズムを聴いていると、なんだか気持ちが落ち着くような気がする、ということだった。

「う〜ん…」

「あっ、お客様、大丈夫ですよ。開けたからお買い上げいただかなくてはいけないという訳ではなくて…」

「いや。買います。この糸車、買って帰ります!」

店員さんは驚いたのか、一瞬目を丸くしていたけど、すぐにまた笑顔に戻った。

「よかった!やっとお迎え先が見つかりました。ずっと倉庫の隅に眠ってたんです。お店に出しっぱなしで埃を被って動かなくなったら困ると思って、お問い合わせがあるたびにこうしてお出ししてたんですが…是非使ってあげてください!」

店員さんはよほど嬉しかったのか、もうひとりの店員さんを呼ぶと、「糸紡ぎ売れました!」と報告していた。そちらの店員さんは驚いたようで、わざわざわたしの方にご挨拶に来られた。ものを買ったことでこんなに喜ばれるなんて。ちょっと恥ずかしかった。

店員さんは丁寧に糸車を古新聞に包み直し、箱に戻して蓋をすると、会計をしてくれた。わたしの財布の中に隠れていた諭吉さん3人と樋口さん1人は、野口さん2人になって帰ってきた。さびしい懐具合。しばらくは節約生活頑張らなくちゃなあ。

糸車の入った箱を大きなレジ袋に入れて、店員さんが渡してくれた。

「お買い上げありがとうございました。お気をつけて。またお越しください!」

わたしは軽く会釈をして、店を出た。

気分は晴れ模様で、不思議なことに、高いものを買って散財してしまったという後悔みたいなものはなかった。まるで、長らく欲しかったおもちゃをクリスマスにプレゼントされた子どもみたいな気分だった。そうだ。これは今頑張っている自分へのプレゼントだ!そう思うとますます気分が上がった。

わたしは車の助手席にそっと箱を置き、シートベルトをかちゃりと締めた。そしていつも以上に安全運転で帰宅した。




第2話はこちら


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