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【創作小説】『いとぐるま』第4話

今日の夢は、夢らしい夢、不思議な夢だった。

目の前に、野原が広がっている。そして、手前から奥に向かって、わたしのおへそくらいの高さの木の柵が立っている。時間は…夜。明かりは特にないけど、今にも降ってくるのではないかと思えるくらいの満天の星が空に輝いて、月明かりも差しているので、辺りは少し明るい。

左手の方から、草をかき分けて何かがやってくる音がする。視力はそんなによくないし、いくら明るいとは言っても月明かりの下なので、何がやって来ているのかは分からない。でも、音はだんだん大きくなってくる。どんどん大きくなって…何かの一団だろうか?こっちにやって来る!!

わたしは怖くなって、後ずさりしようとしたけど、石か何かに躓いて尻餅をついてしまった。
もう一度立ち上がって逃げようかと思ったけど、音はすぐそこまで近づいていてもう逃げられそうもない。わたしは体を丸めて頭を手で抱えて、がたがたと震えながら「それ」をやり過ごそうとした。

タカッタカッタカッ…ドスンッ、タカッタカッタカッ…
タカッタカッタカッ…ドスンッ、タカッタカッタカッ…

…ん?なんだろう、このリズム?

顔を上げて、音のしている方向を見ると、月明かりに照らされて、何かの一団が1列になって柵を飛び越えているシルエットが見えた。それは…
たくさんの、羊たち。

「眠れないときは羊を数えるといい」なんて言うけど、目の前に典型的な「羊を数えるとき」の風景が広がっていて、思わず笑ってしまう。
羊の列は遠くまで続いているのか、次々とやって来ては柵を飛び越えて去っていく。

夢の中でまで、わたしは眠ろうとしているのか。
夢の中で眠ったら、どうなってしまうんだろう。現実の世界で目が覚めるんだろうか?
試しに、途中から羊の数を数えてみた。

ひつじが1ぴき、ひつじが2ひき…。

ただただ羊が柵を超えて、走り去っていく。

ひつじが26ぴき、ひつじが27ひき…。

羊がジャンプするときに一瞬無音になって、その後またタカッタカッと走り去っていく足音のリズムがなんだか心地良い。

ひつじが91ぴき、ひつじが92ひき…。

思ったより早く眠気がやって来た。100ぴきまで数えたら、横になろうかな。

ひつじが98ぴき、ひつじが………ん?

あれだけ続いていた羊の列が途切れていた。
99ひき目までは確かにいるんだけど、問題はその後ろの…100…ぴき…目?

100ぴき目のシルエットは、どう見ても人間…のように見えた。
羊飼いさんかなあ、とも思ったけど、イメージの中の羊飼いさんが持っているような長い杖は持っていなくて、手ぶらだ。
目を細めて、よくよく見てみた。

人間にしては、腕がちょっと長いような。
それに、身体は…毛深いのか、もこもこふわふわして見える。
顔は…よく見えなかったけど、下ぶくれで、長い耳が下向きについているように見える。

そのシルエットは、両腕を天高く掲げて背伸びをし始めた。その手の形に、わたしは見覚えがあった。

歪なミトンのような形をした、あの手のシルエット。間違いない。あれはわたしが作った羊くんだ!

羊くんは、柵から20m程離れたところで立ち止まり、競技前の陸上の選手のように手をブラブラさせたり、足首を回したり、ジャンプしたりし始めた。柵を飛び越えるために、念入りに準備をしているらしい。

キョロっとした目が見えて、羊くんと目が合った。周りには誰もいない。明らかに、わたしの方を向いている。
羊くんはわたしの方を向いたまま、再び両腕を大きく上げて、手拍子をし始めた。まるで、陸上選手が自分を鼓舞するために、観客に手拍子を誘いかけているかのように。

わたしは立ち上がって、手拍子をし始めた。
すると羊くんは柵の方に向き直り、走る体勢に入る。手拍子で、リズムを取って…走り出した!

あと10m………
5m………
3m………

「あぶないっ!」

思わずわたしは声をあげた。
羊くんが目測を誤って、柵にぶち当たりそうになっているように見えたからだ。

羊くんはなんとかジャンプし、跳び箱の要領で柵の丸太の断面に手を乗せて、そのまま柵を飛び超え…ようとした。でも、失敗してしまった。
柵に使われている丸太は細くて、一点に力が集中してしまった結果、羊くんはバランスを崩して頭から地面に突っ込んでいった。そのとき、長い脚が柵に引っかかって、片方の脚が膝のあたりから「プチッ」と音を立ててちぎれてしまった!

わたしは目の前の光景を、口をあんぐりと開けて呆然と見ていた。

羊くんが、羊くんが…!!

わたしはその場で固まって、動けなくなってしまった。
嘘でしょ。羊くんが大ケガしちゃった!!
涙で視界が潤む。でも、いまは泣いてる場合じゃない。わたしはぎゅっと親指を握りしめて、無我夢中で羊くんに駆け寄った。

「羊くん、羊くん!」

羊くんは、大の字にうつ伏せになって、まるでアニメのキャラクターのように、ちょっと地面にめり込んでいた。
右脚の膝から下がなくなっていて、脚先は柵にだらんと引っかかっている。あまりの衝撃的な光景に、わたしは一瞬立ち尽くしてしまった。

ハッとして、わたしは必死で、羊くんの身体を起こした。
顔が地面から離れると、羊くんは思いっきり息を吸い込んで、そのまま咳き込んだ。
わたしは羊くんのもこもこの背中をさすったり叩いたりして、なんとか咳を抑えようとした。

しばらくして、羊くんの咳は止まった。
ホッとした途端に、涙が溢れ出てきた。涙を堪えようとしたけど、止まらなかった。堪えようとしても、うえっ、ひぐっ、と、嗚咽が漏れる。
ついには、わあわあと声をあげて泣き始めてしまった。

羊くんを作ったのは、わたしだ。
わたしがもっと、丈夫な身体に作れていたら。こんな事故は起きなかったかもしれない。そう思うと、ちゃんとした身体に仕上げてあげられなかったことが後悔の波になってわたしを襲ってきた。そして、不器用な自分が情けなくなった。

「羊くん…ごめんね…ごめんね」

わたしは、今やわたしと同じくらいの背丈であろう羊くんをぎゅっと抱きしめて、ただ謝ることしかできなかった。
流した涙が、羊くんのもこもこの背中に吸い込まれていくのが分かった。

ぎゅっ、と、抱きしめられるのを感じた。
あの歪な形の手で、羊くんがわたしを抱きしめてくれているようだった。
片方の手が背中から離れて、そのまま頭に触れる。そして、まるで泣いている子どもをあやすかのように、優しく撫で始めた。

頭を撫でる羊くんの手のごわごわとした感触が、髪の毛越しに伝わってきた。
羊くんには体温なんてないはずだけど、抱きしめた身体も、頭に触れている手も、ほんわりと温かく感じた。
羊くんはやっぱり何も喋らないけど、大丈夫だよ、だから泣かないで、と言うかのように、わたしを抱きしめたまま優しく頭を撫で続けた。

涙がようやく落ち着いて、パジャマの裾で頬を拭うと、おそるおそる羊くんの顔を見た。
キョロっとした目が、わたしの顔を覗き込んでいる。

「羊くんごめんね。右脚、痛いでしょう」

おそるおそる、羊くんの右脚を見ながら言った。
ちぎれた部分は毛羽立ってふわふわとしていて、見るからに痛々しい。心臓がきゅうっと締め付けられるように痛んだ。

もう一度、羊くんの顔を見る。

「直してあげられたらいいんだけど…」

すると、羊くんは自分のもこもこの毛をごそごそとまさぐって、何かを取り出してわたしに見せた。それは紛れもなく、わたしが羊毛フェルトで作品を作るときに使うニードルだった。

「これ!…どうして?」

羊くんは何も言わず、ただニードルを差し出している。

「これで…直せるかな」

羊くんはゆっくりと頷いた。
わたしはニードルを受け取り、柵に引っかかった右脚をそっと外して持ってくると、ちぎれたところ同士を重ねて持った。そして、ニードルを刺そうとしたところで、手が止まってしまった。

これを…刺す?羊くんに?
そんな恐ろしいこと、できない…。

「ねえ羊くん。痛くないの?」

羊くんはうんうん、と2回頷くと、もう一度わたしの頭を撫でた。
わたしはひとつ深呼吸をすると、おそるおそる傷口の手当てを始めた。

何しろ辺りは暗くて、月明かりだけを頼りに作業をしなければいけない上に、作業台があるわけでもないので、治療は難航した。何度も指にニードルが刺さって、指先がじーんと熱を持った。きっと血も出ていたかもしれない。それでもわたしはめげずに、ニードルを刺し続けた。
きっと上手な人がやったら、もっと早くきれいにできるに違いない。でもわたしはただ趣味でやっているだけの初心者。それでも、羊くんになんとか治ってほしくて、一心不乱にニードルを刺した。

もう、何回刺しただろうか。腕が疲れてきて手を止めた。
おもむろに、羊くんが右脚を動かした。無事に膝から先が繋がったようで、膝を曲げたり伸ばしたりしても外れてしまうような様子はなかった。

羊くんは親指を立ててみせた。もう大丈夫、ということらしい。そして、顔や体についた泥と草を払うと、ゆっくりと立ち上がろうとして…コケた。

「うわっ!羊くん、大丈夫?」

今度は羊くんの右腕をわたしの肩に回して、一緒に立ち上がる。今度はうまく立てた。
どうしてコケてしまったんだろう、と思って、羊くんの足元を見たわたしは、「しまった!」と思った。

脚の治療をしたことで、右脚の長さが左脚の長さより少し短くなってしまっている。左足はぺたんと地面についているのに、右足はつま先立ちになっていた。
わたしはがっくりと、肩を落とした。

すると、それに気づいた羊くんはわたしの肩から腕を外して、その手をわたしに差し出した。

「羊くん、離れたら危ないよ。わたしにちゃんとつかまってて」

羊くんは頷くと、差し出した右手を伸ばして、わたしの左手を握った。

「手を…繋ぐの?」

羊くんはもう一度ゆっくりと頷いて、ゆっくりと歩き出した。
びっこを引くような歩き方で危なっかしかったけど、なんとか上手に歩く羊くん。たまによろけるのを、わたしはしっかり支えた。

歩いていくと、何かのシルエットが遠くに見えてきた。あれは…家かな?

羊くんはその家に向かってゆっくり歩く。わたしも羊くんの歩幅に合わせて、そろり、そろり。
しばらく歩いて、家にたどり着いた。

「ねえ、羊くん。ここ、羊くんの家?」

羊くんはわたしの方を向いて頷いた。
それにしても、小さいけどよくできた建物だなあ。石?…いや、レンガを積み上げて作ってあるみたい。昔読んだ【3びきのこぶた】のお話で、末っ子こぶたの作ったお家はきっとこんな感じなんだろうな。

羊くんは木でできた扉を引くと、ギィー…ときしむ音がして、扉が開いた。中は真っ暗で、何も見えない。
シュッ、とマッチを擦る音がして、ランプに灯りがともる。柔らかな灯りは、部屋の中全体を明るく照らし出しはしなかったけど、ごく近くの壁や床を包み込むように優しく照らしていた。

小さなレンガの建物は、家というよりは小屋のようだった。広さは…いまわたしが暮らしているマンションの6畳1間のスペースと同じくらいだと思う。
羊くんが辺りを照らすと、部屋の中がよく見えた。部屋の中にあるものは、ベッドと、それから…窓際に、あの糸車と椅子が置かれている。
羊くんは窓際にランプを置くと、ゆっくりと椅子に座って、右足を糸車のペダルに乗せた。

「いまから糸を紡ぐの?」

羊くんはペダルに乗せた足を下ろし、再び立ち上がると、わたしの手を引いてベッドにいざなった。
白いベッドは僅かな灯りを受けてぼんやり浮き上がって見え、その上に花柄の掛け布団がかかっている。色までは見えなかったけど、たぶんわたしが羊くんにあげたあの布の布団だ。

「ここで寝るの?羊くんもいっしょに寝る?」

羊くんは首を横に振って、わたしの背中を軽く押した。ここに横になってくれ、ということらしい。
わたしは羊くんが指図するまま、ベッドに横になって布団を被った。スプリングがきいているわけでもないのに、ベッドは雲の上のようにふかふかで、柔らかい掛け布団はすぐに自分の体温でほわっと暖まった。思わず目がとろんとしてしまうくらい、最高の寝心地だ。

目を少し閉じて、また開ける。羊くんがわたしの顔を覗き込んでいた。

「どうしたの?なんか顔についてる?」

羊くんはそれには答えず、その代わりに右手をわたしの額に差し出した。
熱でも測ろうとしているのかと思って、熱はないよ、と言おうとしたそのとき。
額が僅かに熱を持ち、なんか…変な感じがした。もぞもぞと、こそばゆいような…。そしてわたしは、わあっ!と思わず声をあげた。

わたしの額から、ぼんやりと白く光る何かが飛び出している!!

それは近すぎて目の焦点が合わなくて、最初は何かよくわからなかったけど、羊くんが優しく引っ張り出しているのをよく見たら、それが何なのか少し分かった。

わたしの額から、綿…のようなもの…が飛び出している!

もしかして、夢の中のわたしはぬいぐるみになっていて、おでこが破れて綿が飛び出してきちゃったんだろうか。ということは、わたしはもしかして、このままきゅーっとしぼんでしおれて、二度とは見られないことになってしまうのでは…!?

一瞬そんな不安がよぎったけど、羊くんはそんなひどいことはしないだろう、とその考えは頭から振り払った。
羊くんは左手で綿の先端をつまむと、そのままゆっくりと引っ張って椅子に座った。そしてその綿を、何やら糸車にセッティングしているようだ。そして足をペダルに乗せた。

ややあって、キィ…カラカラカラ、と、糸車が回る音が聞こえてきた。
どうやら、わたしの額から出てきた綿を材料に糸を紡いでいるらしい。
まるで昔の映写機のような音を立てながら回る糸車。わたしの額から出た綿は、糸を紡いでも紡いでも途切れることはなく、羊くんはそれをせっせと紡いでいた。ベッドからは、彼のふわふわの背中だけが見える。

カラカラカラ…と回る糸車の音を聴いているうちに、心地良くなったわたしは穏やかな眠気を覚えた。
まだ寝たくない…羊くんの糸紡ぎをもっと見ていたい…。
そう思いながら、気づくとわたしは目を閉じて、眠りに就いてしまっていた。




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