今度は私に会いに来て

                             大橋 電光

「久しぶり!」
 彼女は電車のドアが開くなりそう言った。夏の日差しを受けて輝くような真っ白いワンピースに包まれた彼女は、降りていくサラリーマンたちの肩の高さ程の身長からくる可愛さとは対照的な元気のいい声で呼びかけた。
「久しぶりね、ケイコ。元気にしていた?」
「それはもう。Aも元気そうで何より」
 パンツスーツ姿のAと呼ばれた女性は微笑むと、ケイコと二人で歩き始め た。とは言っても、ケイコは有り余ってそうな元気さで少し先を行く。ショートカットのケイコとは対照的なAの長い黒髪が静かに揺れ、落ち着いた雰囲気を後押ししている。
「おかげさまで。まだお昼ご飯には早いけど、どうする?」
「少し散歩しよう。いこいこ!」
 はしゃぐケイコの後ろの後ろ姿に声をかけつつ、Aはゆっくりついていく。
 この駅は商店街のど真ん中にある。駅以外のほとんどがアーケードに覆われており、きつい日差しは入ってこない過ごしやすい商店街。ケイコ達二人の、物心ついた時からの遊び場だった。
「最近どう?」
「あんまりって感じ。仕事も減る一方だし。時間が出来ていると言えば聞こえはいいのだろうけど」
「だから、こうして私とも遊べるわけだ」
「もう、貴女の為なら時間取るって言っているでしょうに」
「知ってる」
 飽きれ顔のAに、振り向いたケイコがにひひと笑う。悪戯が好きでたまらない、そんな笑顔。
 改札を通り駅から出ると、大きな水たまりが目に入る。ケイコは反射的に空を見上げると、アーケードまでの少し隙間から眩しいほどの晴天と目が合った。
「朝方にひどい雨が降ってね。最近流行りのゲリラ豪雨って感じの」
「そっか、晴れてよかった」
 ホッとしたケイコが道端の石を蹴ると、水たまりが波紋を作った。商店街の壁に切り取られた青空が、水面に揺らめく。
 改札を出て一分足らずでそこはもう商店街の中になる。相変わらず、老若男女問わず様々な人たちが行き交っていた。ケイコとAも、その人波に乗る。すりガラスのようなアーケードは、ほどよい光を商店街に取り込んでいる。朝方降った雨のせいで蒸し暑いとはいえ、行きかう人々の表情は穏やかだった。
「お、アイスキャンディーだ」
 きょろきょろしながら歩いていたケイコに店先で売られているアイスキャンディーが目に入った。「昔懐かしい」という若者には関係ない文言とステレオタイプのような白いシャツを着て麦わら帽子を被ったおじいさんが、田舎感を煽る。
「ねえA、何食べる?」
 目輝かせながらAに聞くケイコ。だが、聞いた次の瞬間には、クーラーボックスの中を覗き込んでいた。透明な窓のなかには、ピンクや黄緑、水色などの色のアイスキャンディーが積まれている。
「食べる?って貴女ね……」
「何にするんだい? おすすめはイチゴだよ」
 店のおじさんが団扇を扇ぎながらそう言ったが、両方ともケイコには届いていないようだ。
「何にしようかなー」
「もう……一本だけよ」
「イチゴにする!」
「イチゴ味、一つ百円ね。毎度あり」
 おじさんが蓋を開けると、クーラーボックスからほんのり冷気が漂う。ビニールのこすれあう軽い音の後に、ピンクのアイスキャンディーが白い靄と共に夏の熱気の中へ放り出された。
「いこっか!」
「ええ」
 アイスキャンディー屋を後にしてしばらく商店街を進んでいると、今度は土産物屋が目についた。名物のうどんの色々なパッケージが軒先に所狭しと並んでいる。その横の壁にはポスターが貼ってあり、盆踊り大会の旨が書かれていた。小学生が描いたのだろうか、黒い背景に大きく奇抜な模様の花火が描かれていて、右下に小さく日時が書いてある。ケイコはその花火を「シチューだ」と評してからAの方を向く。
「あ、今ってお盆でしょ?」
「ええ」
「お盆とお彼岸の違いって知ってる?」
「……いえ、知らないわ」
 またケイコがにひひと笑う。今度は「教えてやろう」と顔に書いてある。
「似てるんだけど、お盆は先祖を迎えて、お彼岸は先祖に会いに行くんだってさ」
「そうだったの」
「あと、お彼岸は平安時代からの習慣らしいけど、お盆は江戸幕府の策略らしいよ」
「バレンタインデーみたいなものってことね」
「いつの時代も日本人は踊らせられてるんだね……」
「何の話よ」
「夜は盆踊り大会あるし、そういうことだよ」
 得意げに解説したと思ったら、明後日の方を向いて思いを馳せ、そしてうまいこと言ったと目で訴えて来るケイコ。忙しい子、とAは肩を竦めるも、目的地に着いた事に気付く。
「それよりほら、綿矢」
 『綿矢』、それは二人の行きつけのうどん屋。二人で様々なうどん屋に足を運んだが、ここが一番のお気に入りだった。
店舗に入ると、相変わらずの見慣れた内装が広がっていた。六人掛けのテーブルや、仕切りのあるカウンター席。壁には著名人のサイン色紙が飾られており、注文口には大量の天ぷらが並べられている。お昼の時間に近いこともあり、店内は早めの昼食をとるサラリーマンでにぎわっていた。
 通いすぎていつの間にか指定席と化していた端っこの席に座り、いつも頼んでいたうどんに目をやる。
「これこれ。やっぱり肉ぶっかけうどんだよね」
「相変わらずおいしそう」
「でも、『ぶっかけ』って言葉を意識し始めた男子たちと食べるときは、遠慮してた」
 いきなり神妙な面持ちになるケイコ。
「思春期ね」
 それを飽きれ顔で返すA。あまり長い時間ではないが、そんなうどん談義にしばらく華を咲かせていたケイコは満足したようで、席を立った。
「いいの?」
「うん、いこう!」
 Aの問いに相変わらずの、十年間変わらない笑顔で、ケイコはそう答えて歩き始める。全く、と呟いてAもそれに続く。
 彼女たちが店を出たころに「女将さん!」と、気付いたサラリーマンが声を上げた。
「なんですかー……って、やっぱり来ていたのね、あの子。律儀なんだから」
 ご予約席、と札の置かれたテーブルの上にあるうどんに、いつのまにか割りばしが置かれていた。誰も座っていないその席のうどんに。
「もう十年になるのね」
 女将はケイコの食したうどんを下げながら、そう静かに呟いた。

『商店街の救世主』と呼ばれた少女が居た。郊外に次々と建てられる大型スーパーに対抗しようとあえぐも分裂しまとまらない商店街に、近所の女子中学生が殴り込みをかけたのだ。
 自分の親と同じ年代の人々を相手に、少女は訴え続けた。「やるまえから不安なのはみんな同じ。案はある、協力してほしい」と。
 最初は誰もが中学生の与太話だと思っていたが、結果として全国から注目される商店街に変貌した。しかし、少女はその晴れ姿を見ることが出来なかった。
 交通事故だった。友人と二人で信号待ちをしているところに、車が突っ込んできたのだ。友人はケイコが突き飛ばして助かったものの、避けれなかったケイコは命を落とした。
「ごめんね、今日はなんか今までと同じ話ばかりしてる気がする」
急にケイコが寂しそうな表情でそういった。つい今まで商店街の店主たちとの熱い舌戦の思い出話をしていたのに。
「いいえ、構わないわよ。好きでやっている『仕事』だもの」
「……ありがと」
 蹴ったつもりの石ころを足がすり抜けてたまたま吹いた風が波紋を作るような、自分たちが眺める横で親が子供のわがままに負けてアイスキャンディーを買ってあげるような、そんな混ざらないものが混ざってしまったような因果が引き起こした事故だとケイコは思っている。でも、『死』は自分の物だけではないと、地縛霊になってからひしひしと感じていた。
 午前中とはうってかわってしんみりしながら散歩していると、いつの間にか夕暮れ時になっていた。二人の顔がオレンジ色に照らされる。
「同じ話ばかり繰り返すのはね。霊としての貴女が弱くなってきている証拠よ」
「困ったな。薄々わかってはいたんだけど」
 Aが話すかどうかずいぶん悩んでいたのに、あっさり返すケイコ。
「わかっていたなら言ってちょうだい……。この商店街の地縛霊みたいなものの貴女だから、皆の記憶や想いも枷になっているわ。それが弱くなってきているとも言えるわね」
 命日の今日、最後に食べたうどんを律儀に備えてくれる女将のように、ケイコは色んな人に愛されていた。十年も経った今、風化するのは当然だが、それでもこのようなはっきりとした形で「存在」しているのが異例なのは間違いなかった。良くも、悪くも。
「そう考えると、やっとみんな私から卒業かぁ」
「ひどい上から目線ね」
「女子中学生に言われるまでバラバラだった人たちなんだし仕方ない」
 ケイコは満面の笑みでそう答えた。そして、一通り見て回って順調に賑わいを見せる商店街を思い出し「今はもう、みんな元気で仲良くやっているからいいんだよ」と付け加える。
 そんな話をしていると商店街を一周回って来たようで、元来た駅の踏切に着いた。夕暮れの紅に負けないような踏切の警告灯の赤が点滅し始めた。幽体なので電車の通過を待つ必要はないが、気分的に待つ。
「あっ」
 思わずケイコは声を出した。反対側の踏切にいるスマートフォンをいじっている女性。スーツに着られているようなあか抜けない雰囲気に心当たりがある。髪型も、背格好も何もかも記憶と違う。でも、こんな体なのに、鳥肌が立つ。
 ふと顔を上げた女性と目が合った。合った気がした。合うわけがないが、直感的にそう感じた。まちがいない、そう確信させるかのように女性がスマートフォンを落とす。遠くだけど、目を丸くしているのがわかる。夕暮れの、あの世とこの世が近づく時間の奇跡。女性が声を上げようとして……音が、鉄の塊が、通り過ぎていった。

「いいの?」
「いい」
「一言くらいなら特権使えるわよ」
「いい。ありがとう」
「……そう」
 Aは一言話してもと思ったが、強くは押さなかった。女性が走って踏切を渡ってくるのを横目に歩く。女性が渡り切ったところで辺りを見回しているが、振り返らなかった。
「もう『あの子』じゃなくて『あの人』って感じだったね。元気そうでよかった」
「十年経つからね。もう社会人が目の前じゃないの」
「そっか……」
 そこから二人は静かに改札をすり抜け、駅のホームに辿り着いた。仕事帰りのサラリーマンたちがまばらに立っているのが、郷愁を誘う。
「天使も大変ね」
「別に大したことない、楽しい仕事よ」
「地縛霊との散歩が?」
「天界に来る人を仕分ける事務官より何倍もいいわ。A級天使の特権だもの」
「それもそうだね」
 電車が警笛を鳴らしながらホームに入る。ヘッドライトに照らされて一瞬見えなくなるケイコに、Aは改めて「存在の弱さ」を感じる。ほんのりと、電車の車体が透けて見えているような気もする。
「じゃあ、また」
「来るときはまた連絡頂戴。エスコートするわ」
「わかった」
 そう言ってケイコは電車に乗った。次はまた一年後にやってくるだろう。この街に引かれて。
「あ、一つお願いしていい?」
 振り向いたケイコはにひひと笑っている。何か思いついたようだ。
「何かしら?」
「花が欲しいの」
 ケイコのお願いを聞いたAが「わかったわ」と言うのと同時に、電車のドアが閉まった。

「久しぶりね、ケイコ」
 墓の前に女性が立っている。供えられた白や黄色の花が、静かに風に揺らめく。死んだ友の墓に来たのは、これが二度目だった。
「東京の高校と大学に行ってたの。でも、就職はこっちにしちゃった。私来年から社会人よ。やっていけるかな」
 女性の自分に向けてなのか報告なのかさえ解らない独白が、風に溶けていく。
「……そうね、『やるまえから不安なのはみんな同じ』って言ってたっけ」
 商店街の人たちと話し合うと決めたときのケイコの顔と言葉を今でも覚えている。私が死ねばよかったのにと何度泣いたか覚えていない。過去から逃げるように東京に出たのに、この商店街で働きたいと思った自分にもやもやしていたけが、ケイコの姿が見えたような気がして決心がついたようだった。
「あら」
 思ったより周りが見えてなかったようで、顔を上げると近くに季節外れの一輪の彼岸花が咲いていた。天使の羽のように、ゆっくり、ゆっくり、悪戯っぽく揺れている。

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