見出し画像

なぜ女性の方が中絶に反対するのだろうか?

guardiadnの中絶に関する記事の抄訳。

近年の調査では、女性よりも男性の方が—カトリック教徒の間でさえ—よりリベラルな中絶法を支持する傾向が示されている。この調査結果は正確なものだろうか? もしそうなら、この直感に反する男女格差を説明できるものは何か?

リプロダクティヴ・ライツを制限する中絶に関する法案の草案に反対するマドリードの女性たち。
写真 Antonio Navia/Demotix/Corbis

例えば、ジェレミー・ハントが中絶の法的制限期間を12週間に短縮することを提案したとき、テレグラフ紙は彼のコメントが「女性有権者の支持を高めようとする保守党の試みに影響を与える可能性がある」と指摘した。そう考えると、「ビッグブラザー」に出演するために中絶を考えているらしいということで怪しまれたジョシー・カニンガムに向けられた罵声の多くが女性からであったことは、いっそう驚くべきことなのである。しかし、そもそもその仮定は正しいのだろうか?

2012年にUKPollingReportが取り上げた中絶に関する世論調査は、男性と女性の態度に関してかなり明確である。

「...調査によると、女性は男性よりも中絶制限期間の短縮を支持する傾向が強い。YouGovの2011年の調査では、男性の28%、女性の46%が短縮を支持した。YouGovの2012年の調査では、男性の24%、女性の49%が短縮を支持した。アンガス・リードの世論調査では、男性の35%、女性の59%が期間短縮を支持した。ICMの調査では、男性の45%、女性の59%が20週への短縮を支持した」。

UKPollingReport

数字を掘り下げてみても、何も不思議なことは出てこない。YouGovの2012年の世論調査は、女性よりもわずかに多くの男性が中絶の完全禁止を望んでいることを示唆している(8%対5%)が、結果は統計的にあまり有意ではなく、アンガスリードの世論調査ではその効果は消えている(この質問はICMのものでは質問されていない)。YouGovの数字はアンガスリードやICMの数字より低いが、男女間の差は一貫している。

しかし、この世論調査が公開された後、新たにいくつかの調査が実施され、いずれも同様の(新たな)結果を示している。2013年にランカスター大学が受託したYouGovの調査では、男性の26%が中絶の制限または禁止を支持しているのに対し、女性は43%がそれらを支持していた。興味深いことに、この調査では、女性の53%が「生命は受胎から始まる」と考えているのに対し、男性は35%だった。「すべての精子が神聖である」とまでは言えないが、言わんとしていることには大差ない。

この差は、カトリック教徒に絞り込んだ場合にも当てはまる。ランカスター大学で昨年秋に行われた調査では、中絶の制限または禁止を支持するカトリック教徒の男性は40%であるのに対し、カトリック教徒の女性は57%であった。一般集団に対して行った調査のパーセンテージと大きな違いはない。

もちろん、単一の世論調査は常に一定の留保なしに見るものではないし、調査ごとの小さな変化は通常、大きな意味を持たず、ランダムなノイズに過ぎない。多くのジャーナリストがこのことを理解していないから、「有権者は3ヶ月前と基本的に同じことを考えている」というような、より正確だがあまり面白くない見出しではなく、「労働党は3ポイント上昇」「労働党は2ポイント低下」というような見出しが毎週出てくるのである。

我々は、ここで小さな枝葉や個々の世論調査の話をしているのではない。10年以上にわたる、利害関係も様々な、複数の世論調査会社による調査結果の数々は—もちろん、多少のノイズや時間的な変動はありつつも—かなり安定した傾向を示しているように思える。

つまり、中絶にもっと制限を加えたいと考える男性は24〜35%、女性は43〜59%で、約20ポイントの一貫したギャップを保っているということだ。このことは、いくつか大きな意味を持つ。
最も明白なのは、もしこのイシューで、女性にのみ投票を委ねたとしたら、中絶の制限に賛成する結果になる可能性が高いということである。逆に、男性だけが投票した場合、ほぼ間違いなく女性のリプロダクティブ・ライツを支持する結果になるだろう。

なぜそうなるのか?
世論調査はほとんど何も教えてくれない。調査を依頼する側は、人々がなぜそれを支持するのかよりも、どの政策を支持するのかに関心があるからだ(←なぜ、をすくい取れる調査になっていないという意味だと思う)。
唯一の手がかりは、ランカスター大学が発表した「生命は受胎から始まる」と考える女性が多いという結果である。もしそう信じているのなら、妊娠中絶についてよく考えるようになるのは当然だが、そもそもなぜそう考える女性が増えたのかの説明にはなっていない。

夫婦で経済学を研究しているジョージ・アカロフとジャネット・イエレンは、20世紀後半の新しい「生殖技術」の影響に関する1996年の有名な(そして議論を呼んだ)論文でこの問題に触れている。その中で彼らは、中絶が可能になったことで計画外の出産に対する男性の態度が変わったと示唆した。無名の「インターネット」がうまく表現している。「子供を産むかどうかは母親が決めることだから、その子供に対して両親がどう責任を持つかはわからない」。

1960年代以前は、男性は妊娠した性的パートナーに対して「けじめ」という文化的な縛りを感じていたが、今や医学は男性に便利な逃げ道を提供している。従って、自らの自由を脅かすような変化には抵抗があっても不思議ではない。

女性については、何世紀にもわたって蓄積された文化的背景と社会的期待が重くのしかかっている。今日でも女性はセックスと母性により定義され、その理想を拒否する「過激派」は、女性らしくない、冷酷だ、欠陥がある、と切り捨てられる。「私は産まない」という発言はセンセーショナルであり、詮索されがちである
オーストラリアの子どものいない女性の経験に関する論文には、「『不自然』『女性らしくない』『信用できない』『過小評価』」というタイトルがつけられている。

雑誌や新聞にとって、キャリアのために母性を犠牲にし、後にそれを後悔した女性の例を語ること以上に楽しいことはないようである。ケイト・ミドルトンや女王のような「ロールモデル」を偶像化し、意見や感情を持たない幽霊のような存在で、王子様のペニスのロイヤルブルーの精子によって孕まされることだけが人生の目的である。それこそが女性のあるべき姿なのだ。手足をもがれ、心も体もレタッチされて、笑顔と産むことしか求められないペット。女性の出産に社会の維持という期待をこれだけかけ続けていれば、中絶というアイデアに尻込みする人が多いのも無理はないだろう。

もしケイト・ミドルトンが妊娠中絶を選んだとしたら、それは21世紀最大の政治的発言のひとつとなっただろう。文化的衝突の9・11であり、イギリスの退屈な布地産業には壊滅的な打撃を与えた。もちろん、彼女はそんなことはしないし、したくてもできないだろう。イギリスがそれを許さない。女性や生殖に対する考え方がこの60年間でどれほど進歩したかを物語っている。

本当の原因は何なのだろうか?内面化された性差別か、男性の解放からくる後押しか、生命の起点に関する根本的な考え方の違いか、それとも全く別の何かか?因子は多数あり、決定的な答えがないように思える。
現在進行中の思想の戦いにおいて、この問いが非常に重要であるように思われる理由である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?