逃げ恥SPと鬼滅、カウチポテトの権力


去年こんなツイートをした。

---

2021年の正月、逃げ恥SPが流れて、大絶賛ののち急な寒冷前線が押し寄せ、一時は「逃げ恥 気持ち悪い」がサジェストに乗るくらいの勢いになった。今も乗ってるかも。



印象的だったのはこのツイートですね。
もちろんもっと言葉のキツいルサンチマンもあったし、フェミ・社会問題詰め合わせが気持ち悪い、という声もあったけど、最もインプレッションを叩き出した感想は、これくらい穏当な言葉の、普通に切実な「作品から切断された側」、流行りの言葉で言うなら「透明化された存在」からの声だったと思います。
そんで更に印象的だったのは、批判的な声に対する「ドラマだろ」といういつメンの突き放しに加えて、「まず日本でもこういう(進歩的な)ドラマが流れるようになったことを喜ぼうよ」みたいな、雲の上から発されたようなありがたいお言葉の数々でした。
これにはちょっと笑ってしまった。
それから、「みくりは最初非正規で派遣切りだっただろ、設定見ろよ」とか、「正規になったのはステップを上がったってことだよね」みたいな、「透明化されたとか言う奴はわかってない」的なご高説。

ポリティカル・コレクトネスというのは、有用な概念であると思います。
平匡さんとみくりさんぐらいのシリーズから経緯のある人の人生を描いたとしても、例えば「非正規から正規になって今回のSPのような待遇を得た」というのは、インターネットに雑に膾炙してるポリティカルにコレクトネスな言い分をあてはめると、「正社員(社会的成功)こそが幸福という価値観の強化」「 現状を肯定するメッセージ」になるんですよね。正規になったことが皮相では肯定的に描かれているので。
平匡さんにしてもそうです。人間関係に問題を抱えた人が、人間関係を獲得することで幸福になるというストーリーは、ツイッターが得意な雑ポリコレをあてはめると、「良質な人間関係を得なければいけないという価値観の強化」「コミュ力は努力で得られるトロフィー」みたいな、それは残念な批評になるのです。書いてて本当に残念です。ツッコミたいところはいっぱいあります。

でもそれって、「連ドラ本編をきちんと見て、その上でSPを見た」ことが前提で成り立つ反論です。自分は全部しっかり見ているが、相手がドラマのあらすじしか見てない、みたいな状況では、「肯定的に描いたら肯定」というようなあまりに雑な批判精神?を持って攻めてこられると、逃げ恥SPはただの社会的・社交的成功を称揚しただけのネオリベドラマみたいな話になってしまう。

冒頭の鬼滅に関するツイートをちょっと思い返してみてください。

鬼滅がアニメ化前ぐらいのネームバリューのジャンプの小粒作品のままだったら?
逃げ恥がテレ東深夜の知る人ぞ知るみたいな連ドラだったら?
それでも完結したコアファンのためにささやかにSPが作られたのが、ネットで声の大きい誰かの目にとまってSPだけ引っ張り出して来られてボッコボコに叩かれていたら?

繰り返しますが、ポリティカル・コレクトネスというのは有用な概念です。ただし、ネットで立ち絵を見た!完全に理解した!犯罪を助長!みたいな使い方をすれば、ただただ作品に効率的に経済的打撃と風評被害を与えるだけの、言ってしまえばゴミです。

そして、作劇というのは、キャラクターの境遇なり選択なりを描いていくものになることが多いので、その人たちが選ばなかった・行き着かなかった人間は確実に「透明化」されるものです。
演出で選ばなかった選択への目配せを足すことはできるけど、それも前述の通り全編をしっかり視聴した人同士の間で言えることで、よく知らないけどあらすじで非難する人間が大挙して攻めてくるような力関係だった場合、「〇〇を透明化した作品」のような、内容と乖離したデジタルタトゥーが検索の海にいつまでも残り続けることになります。

・人物像を作り、設定を選び、境遇を操作してストーリーを作ることは、リアリティを持たせようとすれば高い確率で「現状肯定」と非難される余地を残すものになる(殺されたりすれば回避できるかな?)
・幸せにはなったものの、考えさせられる余地や目配せを残した作品だったよ、みたいな解釈は、当たり前だが全編の視聴が必要であり、キャラの立ち絵を見ただけでは判断できない
・皮相的な読み方をするなとは言わないが、ファンパワーの弱い作品だった場合に自分が親指一本で軽率に放つステレオタイプな酷評が巨大な権力を有するということ、いい加減学習して考えてくれ

みたいなことを思いましたね。

逃げ恥SPみたいな進歩的な作品、どんどん作られていけばいいと思います。そして、「実家が太い上級国民の話」みたいな、どうしろっつーんだよ!という「透明化された側」からの声をたくさん見て、批判すればいいだけの立場だったみなさんが少し考えてくれるようになるといいですよね。
どんな作品にも差別性や批判の余地はあるんです。キラキラドラマはだいたい底辺は完全に差別されてますしね。ルッキズムもすごいし。
じゃあ、それを「差別!」と言い立てて、視聴率落としたろう放送中止に追い込んでやろうという運動に至るまでが、こんなにゼロ距離でいいんですか?と思うのです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?