見出し画像

包摂のトリアージ

・社会が寄り添うのは、マイノリティでなく、傷ついた人。

・感受性が鋭い、繊細な人と言い換えてもいい。「心身が耐えられない」って、当人が望むと望まざるとに関わらず、最強の不寛容カードだと思う。それを覆せる理屈は近代社会には類を見ない。
・悪いことだと言うつもりはない。そのように生まれ育ったのだから、それはその人なりの切実だろう。

・私はノンバイナリー、Xジェンダーだ。
・ド田舎育ちなので、セクシュアリティに関する言葉も知らずに大学くらいまでは出た。でもそれくらいの段階で既に、「自分に性別があるということ自体にたまらない違和感がある」と、mixiなどで何度か表明していた。当時の知識量や認識から考えると、かなりはっきりした自認だったように思う。「どちらでもない、性別があるなんておかしい」という器に名前があることも知らずに、自分はそうだと思っていたわけだから。
・若い頃は性表現に苦慮した。くせ毛なのに短く切ったり、スカートを避けたりして、とりあえず「女体ではあるが、ステレオタイプな女性型ではない」という表現を探していたように思う。スカートをはいたり、化粧をすることは「女装する」と言っていたし、だからといって「男装したいわけでもねえんだよな」と思っていた。
・25くらいを境に、急にどうでもよくなった。何せ私の容れ物は非常に女性的で、まずボーイッシュ、ユニセックスな装いというのが似合わない。そもそも、見た目に手をかけること自体に興味がなく、手間ひまかけて似合わない装いを頑張るの何になるんだろうと思った。
・私は「どっちでもない」けど、「どっちでもなさそうな見た目」なんていうものは天然では手に入らない。ユニセックスというのは「どちらにもなりうる」表現なだけで、どちらでもありたくない人間のためのものではない、と感じた。(※個人の感想です)

・感性もおよそ女性的ではない。これはアセクシュアルが作用している部分もあるんだろうけど、まず性に対してなんのイメージもない。三大欲求だな、ぐらいのイメージ。子供に見せてはいけないというのは、まあ教育されてからじゃないと子供なんでもするからな、程度の印象しかなかった。何なら今でもそう変わりはない。
・子供に親の性行為を見せるのは虐待ですみたいなの、性に道徳性なのか宗教性なのか、なんらかの規範を持たせすぎ、と思うし、理解できない。
・この辺は認知や発達心理の本とか読むとわかりいいかもしれない。子供の頃見た性行為自体は、子供にさしたる影響を与えないとする考え方がある。ある程度長じてから「セックスはふしだらなもの」と学習して、その時点で遡及して幼い頃の記憶がトラウマになるのだ、という理路の方がしっくりくる。どちらにしろ、「ふしだらなもの」と学習する機会ばかり空気か水のように溢れている社会では、見せない方がいいことに変わりはないけど、それって「ふしだら規範」のせいだよな、という気持ちがある。

・話が逸れた。性的なあれこれになんのイメージも持っていない。「欲望を向けられる!」みたいなの、「でっていう」でしかない。失礼であることに異論はないし、ビジネスの場で目下の者に礼を欠いていいと思うな、それがパワハラの温床だ、という話にはおおいに賛成だけど、欲望を向けられること自体が搾取とか被害とか言うの、さすがに理解できない。
・「私はこんなに誠実なのに、あいつに悪人と思われている!人格が毀損された!」とか、言うか? …言いかねないのでちょっと怖いものがあるけど、当たり前のことですが、私がどんな人間で何を思って何をしようが、悪意に解釈する他人はいるし、それを禁止しようとする権利は誰にも(私にも)ないが、悪人と思われたことで毀損される私の人格はない。悪評を流されたり、罵倒されたりした部分にのみ、撤回・即時停止を要求する権利くらいはあるだろうけども、「私の人格を私が定める解釈以外されない権利」なんてものは、この世には存在しない。
・欲望を向けられるのも同じことだ。声かけはやめろ、性的な役割や話題を振るのはやめろ、そういう権利はあるだろうけど、聞こえないところで誰が何と思っていたところで、そこには何も発生していない。遠巻きに雑踏の向こうで好き勝手言ってるやつらの言葉を集音マイクで拾って、「誰かが見ているぞ」なんて言うつもりはない。

・フェミニズム、という言葉の綴りや響きは、最初から苦手だった。「人権運動」「すべてのジェンダーイクォーリティを目指すもの」と言いつつ、「女」に呪われすぎている。女の体をしているけれど、女の問題の多くを共有できない私のような生き物は、ああいった思想の範疇にあると思えない。むしろ邪魔だし、悪魔化されるオチしか思いつかない。私の体は女だし、手術などでその限りでなくなることもできないけど、乳房と月経と出産能力があるというだけでその輪の中に吸収しようとする雑な理路、普通に怖い。
・大きく言って、セックスの意味で昔から役割分担があり、責任を負う方に決定権があり、公を担う視点からだけで世界が運用されていた。私を担う、責任を負わない代わりに権限もない側、それがたまたま「女」だっただけだろうにと思う。昭和の昔ならまだしも、今起きているコンフリクトはほとんど「新規参入者のニーズや問題意識がわからない」という混乱から生じているものだ。それは、ほとんどのマジョリティがマイノリティに対して無意識にぶつけている無理解だし、「女を目の敵にしてぶつけている」なんていう層はもうノイジーマイノリティだろう。でも、「フェミニズム」に興じている人類を見ていると、「女という固有の属性をバカにしているから、狙い撃ちにしている」という世界線の人が多い。そんな発話ばかりでうんざりする。
・そんなんだから簡単にトランスジェンダーを差別したりするんだろう。そして、そんなんだからクィアの中のフェミニストも、簡単にミサンドリーに肩まで浸かってしまうんだろう。

・べつに恨み言を言うつもりはないが、「それらしい」性表現もなく、「それらしい身体」のゴールもなく生きている人間のことを、性指向も自認もはっきりしている人類は彼らなりの切実な発話の中でずっと踏んでいるのだ。それは間違いなくカースト上位者の無理解だ。
・レイプは魂の殺人、心から理解できない。もうずいぶんと昔、そんなような目にも遭ったけど、性に何のイメージもない私の魂は当然死んでもいない。「サバイバー」と言われても困る。死んでねえっつってんだろ。
・こう口にすることは、私よりマジョリティにあたる、性規範、性指向、性にアイデンティティをずっしり仮託した被害者たちを傷つけるのだそうだ。まあそうだろうなと思う。傷ついてないなら黙ってろ、オーケーオーケー。それくらいのことはわきまえている。
・もちろん、私はこれらのことで誰を責めるつもりはない。構造上そういうもんだよなと思っているし、「包摂のトリアージ」で優先されるのは、ありたい姿があり、現実との格差に嘆き、怒れる「傷ついた人たち」だからだ。

・私はべつに、傷ついていない。女の体に生まれたけど、しつこく「女であれ」なんて誰にも言われてこなかった。もしくは、言われたかもしれないが忘れてしまった。それっぽい空気を醸したり、ヒソヒソしてきたぐらいのことでは、私みたいなどこに出しても恥ずかしくない発達にはカケラも伝わらない。
・手間のかからない女性装をして生きている。装うことに興味はない。私のあるべき姿というのは、たぶん、少なくとも近代のカタログの中には存在しない。
・ときどき、脳にでもなりたいと思う。マトリックスみたいな感じだ。

・繰り返す。誰も悪くない。ただ時々、「マイノリティに寄り添う」とか言わんといてほしいな、と思う。できもしないのに。
・かわいそうな人に寄り添いますと、正直に言えばいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?