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14.06.2018|風土記


・「#私がエビデンス」の話。

・世の中は男女平等だといいなと思っている。できるだけ現実的な話をしたい。
・ただし、私は広告業界に近いところの、技術的な職種を生業にしている。これはまだとても新しい、数年前にやっと最初の定年退職者が出たくらいの業界である。その上技術職なので、たぶん女性が女性という理由で活躍を妨げられることがかなり少ない環境であろうかと思う。徹夜さえできれば配置を遠慮されることもないので、技術力と顧客対応力があれば結構好きなように仕事できる。指名の仕事も多く、スケジュールも自分に合わせて組まれたりする、相当に恵まれた立場だろうということは、本題に入る前に書いておくし、常に念頭に置く努力はしようと思う。
(発達障害の過集中、自分の仕事では役にしか立っていない)

・「私がエビデンス」のタグができた経緯を調べた。
・なるほど、「Twitterで言っているだけでは意味がない」に対するカウンターアクションというのは理解したし、そう言いたくなる環境もあるところにはあるのだろう。
・このタグ、どこを目指したいのだろう?ということについて考えた。タグの文面を見ただけでなんとなく察してくれる仲間内で流行ればいいのか、苦しんでいるだろう人に分け隔てなく広まったほうがいいのか。
・たぶん後者なんではないかと思う。
・だとするとやっぱり、なんの但し書きもなく「エビデンス」という言葉を使ってしまうのは、普通に考えて悪手であるように思う。「#私がエビデンス」といった場合の「エビデンス」の用法が、すぐ探せるところにリンクされていないので、何も知らない人は個々の定義する「エビデンス」で読んでしまうからだ。
・このハッシュタグにおける「エビデンス」の用法はこういった意味です、というページなり画像なりを作って、発言の際には常に添付するなどしないと、せっかく作った用法が定着しないのではと思う。

・「エビデンス」という言葉には、科学、医療、司法、金融、ビジネス一般、ITなどジャンルによっていろんな定義があるけど、かなり強い客観性を担保する言葉として使われることが多い。特に医療ではエビデンスレベルというのが設定されていて、「個人の体験・証言」はかなり低いレベルに置かれている ( https://jp.gsk.com/media/970985/j-pals-west_20171029.pdf ) ので、せっかく「誰かの役に立った」という確かな証言が「狭義のエビデンス」という断りがないばっかりに、とるに足らないものとして誤解されてしまうおそれがある。ハッシュタグの理念を尊重するなら、これはすごく損だと思う。
・これもプレゼンの話に近い。

・どんなに誠意を尽くして説明しても、納得しない人は納得しないので、理念を理解せずいちゃもんをつけてくるアカウントはスルーが一番だけど。現状においては、ハッシュタグにおける「エビデンス」の特殊用法をわかりやすく提示するという対策がとられていないので、「理解しないヤツがいる!」と怒ってもしょうがないし、風評被害も免れないと思う。
・特殊な用法であることは、受け入れたほうがいいと思う。タグだけで文脈を理解しろというのはちょっと無理がある。論理学では、という例示も見かけたけど、ではハッシュタグの対象者の中に論理学に親しんでいる人がどのくらいいるのか。「これって自分の知ってるエビデンスと違うのでは?」と思って自発的に調べるはず、という意見もあるかもしれないけど、その割合がどのくらいにのぼると期待できるのか。その守備範囲でよしと本当にできるのか。運動を広めるということについて、もったいないので真摯に考えてほしい。10人より11人に広まる方がいいに決まっているし、「伝播、伝達」に真剣に向き合うということは、すごく泥臭くて手間のかかる、面倒くさいことなのだ。草の根というくらいだし。

・「狭義のエビデンス」使用を前提に話をしてみた。まあ、普通に現実的な話をするなら、「エビデンス」という言葉は選ばないほうがいいでしょうね。「私が」と「エビデンス」は食い合わせが悪すぎる。トンデモ医療などの功罪により、個人の体験談に対する猜疑心がある程度浸透してしまってるので、イメージ戦略で戦うの大変と思う。
・「私が証明する」くらいがいいんじゃないかと思うんだけど、たぶんタグの成り立ちがかなりパワーフレーズだのみのカタルシスを求めてた感あるので、まあ、急に地味になるから採用はされないだろうな…。
・SNS上のハッシュタグは誰かが仕切るもんじゃなくて、時とともに使い方も変わっていくものだから、お前の指図は失当!みたいな反論を想定したのですが、既存の強い言葉を独自の使い方するなら、これくらいの留意は要ると思う。だからエビデンスはやめた方がいいって。

・繰り返し繰り返し言っていこうと思うのですが、内輪ネタの範囲を突破してひろく定着させたいなら、伝わることに重きを置いてほしいし、「言い方かよ」みたいな考えは捨ててほしいし、電通に勝ってほしい。
・あと、どうやってもイチャモンはやまないので。数パーセントは多様性を担保する社会のバグなので。気にくわなかろうが正当な指摘とイチャモンはきちんと分けて取り扱うのがいいと思います。言説のブランドイメージを下げる。

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