今は_手の届くエロさに興奮する_その02

今は、手の届くエロさに興奮する


以前のアイドルや俳優・女優といった 高嶺の花てきな存在よりも、まだ手が届きそうと思わせる距離感のひとが人気を博している。

ブームは去ったが、一時期のももいろクローバーや、AKB48などがその先駆けであろう。


女優でいえば、壇蜜さんなんかは、男性ならわかる手が届きそうかつ、エロスがある。
俳優でいえば、最近は田中圭さんは、手の届くエロさを醸す代表格である。


なんとかすれば、私でも誘惑可能かも


そんな脇の甘さを感じさせる男性、女性に興奮するのだ。


もちろん、容姿端麗で高嶺の花てきなお嬢様とHをしたい願望は少なからずあるだろう。


しかし今は、若者を始め上昇志向が極端に少ない時代。

苦労して、努力して、勇気を振り絞って、高嶺の花に近づくことを無駄だと思う人々が多い時代。


だれが、そんなマインドにしたのか

社会が悪いのか? 親が、我々が悪いのか?

それを追求するやぼなことは、ヤメとして


身近に思える手の届きそうな人やものに、人々は走る。

そして、我慢や衝動を抑えることをきつく教えられ、躾されていない今という時代の副産物者は、勘違いストーカーになったりする。


「高嶺の花は到底無理だ、だったらまだ身近な手の届きそうな方へ進んだ方が効率的で、彼女(彼)は僕(私)を愛してくれるだろう」

そんな思いが、思い入れが強いほど増幅し、歪んだ感情となり脳を支配する。


だから、自分が勝手に思う「手の届くエロさ」と、結局手が届かず裏切られる「現実のギャップ」に人は苦悩する。


「手の届くエロさ」「手の届かないエロさ」

どちらがそれを醸すひとにとって、いいのかは難しい。

ただ言えることは、前者は私にも可能性があると錯覚させ魅了するパイが多いということ、後者は可能性は低いけれども永遠の憧れとして多くの人を魅了するということだ。



不毛な資本主義的ゲームに嫌気が差して、会社での上昇志向は皆無(かといって個人で企業する勇気はない)、楽しいことをして楽して生きていきたい・・・

けれどもフリーターや派遣では、食いつないでいくのがやっと

手の届きそうな相手にも、相手にもして貰えない

僕(私)の存在意義はなんなのか?

どうすればいいのか?・・・

ああぁぁぁ


今という資本主義ゲームでは、こうやって上昇志向を手離した人々には容赦なく冷たくて厳しい。



「手の届くエロさ」「手の届かないエロさ」


これは、そんなに努力しなくても手が届く、届かないというものではない。
自分が勝手に錯覚して、そう分類しているだけの話だ。


蓋を開ければ、どちらも思っている以上に努力なくしては、手に入れることはできない。
視点を俯瞰し大局的にみれば、両者の難易度の差は100m走のタイムのように僅差だ。

だけれども、その僅差を縮めるには、普段から100mを全力で走り切るマインドと、いざという時の瞬発力と体力を培っておく必要がある。

誰にも負けないという競争心と、さらにいいタイムを必ず出すという「上昇志向」も必要不可欠なのは言うまでもない。


結局、楽して、いい思いをできる人はいないんだよ。


よーく見てごらん。
いい思いをしているひとは、そこにたどり着くまで相当な努力をしている。
それを、表立って見せないだけなの。


「手の届きそうなエロ」は、大衆を魅了する。

自分にも可能性があると感じさせるから、興奮する。
そして、そこにお金が流れる。
もはや上昇志向が欠如する相手向けのビジネス手法であったりする。


だから、お金を稼いでいい思いをしたいならば、上昇志向は手離さないことだ。
それが「やりたいことをしながら楽して過ごす将来」を叶えるための、自分の推進エネルギーなのだから。




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