東京タワー2

ときにお金が台無しにする

 日常には、お金が絡んではいけない場面がある。

 誕生日プレゼントに現金を贈る人はいない。図書券やギフト券が一般的だ。

 お世話になった恩師から夕食に招かれたときに、お礼としてお菓子やワインなどを手渡すのはわかるが、その代わりに1万円を差し出したりしたら変な空気になるだろう。

 あるいは、電車で席を譲ってくれた人に対して、老人が「私はこれから15分座ります。あなたの時給が2,000円だとして500円分になります。お受け取り下さい」と支払っていたらびっくりする。

 また、あなたが会社で夜遅くまで働いていたとき、上司が帰り際にやってきて缶コーヒーをそっと置いて去っていった。べつの上司は120円分の硬貨を置いていった。どちらに好感を感じるだろう?

 お金の生々しさは、人の温かい気持ちを台無しにする。人間関係にお金が絡んだとたん、それまでのほんわかした関係性から離れ、シビアな損得勘定の世界に連れていかれる。友人のマルチ勧誘や親戚の保険勧誘に嫌悪感をいだくのも、彼らが交友関係を利用して近づいてきたのにお金の話をするからだ。そういう経験をすると、二度と元の関係には戻れないだろう。

 こういう調査結果*もある。海外の託児所で、子供の迎えに遅れてくる親に罰金を科し改善を図った結果、罰金は上手く機能しないばかりか、長期的に見ると悪影響が出ると結論付けられた。

 なぜか?罰金が導入される前は、遅刻する親も、道徳的な後ろめたさを感じ、託児所に対して悪いと思っていた。ところが、罰金が科されとたん、遅刻は道徳的な問題からお金の問題にすり替わり、託児所に対する罪悪感は薄れてしまった。親は、お金で延長サービスを買う感覚で、頻繁に遅刻するようになったのだ。言うまでもなくそれは託児所の思惑とは反対の結果だった。

 興味深いのは、数週間後に託児所が罰金制度を廃止すると、親の遅刻がさらに増えてしまったことだ。罰金開始前の水準に戻っても良さそうだが、親の道徳心は一度失うと簡単には回復しないらしい。遅刻がお金の問題になってしまった今、有料だった延長サービスが無料化されたのだから遅刻が増えるのは当然かもしれない。

☆ ☆ ☆

 「好きを仕事に」が難しいといわれるのは、お金を稼ぐのが難しいからだけではない。お金を稼ぎながら「好き」でいつづけることも難しい。自分の趣味に値札がつき、市場からお金の多寡で評価されるようになると、受け手の顔が頻繁にちらつき、以前ほど自由には取り組めなくなる。また、単純に自分の好きなことだって時とともに移り変わるかもしれない。「好きを仕事に」は、好きが仕事になるか、仕事になったあとも好きでいられるか、二つの意味で難しいのだ。

 「好きなことで生きている」と公言するユーチューバ—がいる。彼らは、例えば10年後、30歳や40歳になったとき、グーグルが方針を変えて広告を掲載しないようになっても(つまり報酬がなくなっても)、変わらずコーラ風呂に入ったりボイパじゃんけんをしたりして「好きな」動画投稿をつづけているだろうか?
 たしかに最初は純粋に楽しくて始めたのかもしれない。しかし、いち企業に雇われ、お金や数字に囲まれながら仕事を続けるうちに、だんだんと情熱というものは失われていく。目標のためなら、少しぐらい自分の「好き」を犠牲にしても構わないと思うようなる。じっさい、トップユーチューバ—と呼ばれる人たちが画面の中で自由に騒ぐ姿を見て、嫉妬心のようなものを感じる人は少ない。おそらくそれは、彼らの目の輝きが朝の満員電車にのるサラリーマンとほぼ同じだからで、スーツを着ない彼らも所詮は「こっち側」だと判断しているからだと思う。

 有料化したブログがつまらなくなるのも、お金が絡んできたことによる本人のモチベーションの変化が大きいだろう。絵にしろ、音楽にしろ、文章にしろ、クリエイティブな仕事は、そのときのモチベーションが成果を大きく左右する。逆説的だが、クリエイターとして階段を上るうちに、いつかお金と真剣に向き合わなければならない日がやってくる——。

 最近では、一般人でも登録さえすれば手軽に文章をキャッシュ化できるプラットフォームがあるという。お金までの距離はグッと近づいた。

 楽しくて楽しくて仕方なかった趣味を生活の糧にし始めたとき、果たしてあなたはその趣味を以前と同じように好きでいられるだろうか?

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* Uri Gneezy and Aldo Rustichini, “A Fine Is a Price,” Journal of Legal Studies(2000)

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