香水

元カレと GUCCI、そして加齢臭

 知り合いの女性が、およそ5年ぶりに元カレと会った。

 SNSを通して久しぶりに交流し、懐かしい思いがして会ってみたという。これがドラマなら、久しぶりの再会で思い出話に花が咲くうちに、心のトキメキも自然とよみがえり、最終的には2分の1ぐらいの確率でヨリを戻すことになっただろう。

 しかし、この女性は違った。「こいつ、昔から何も進歩してねーな」と思って、逆に会う前より冷めたらしい。その理由は、「別れた頃のだらしない彼とまったく同じニオイがしたから」。ここでのニオイは比喩的な意味ではなく、5年前と変わらない彼の「体臭」を女性は嗅ぎとり、当時の彼の嫌いだったところが一挙にフラッシュバックしたというのだ。ああ、あのときやっぱり別れて正解だった、と。

 そして、二件目を誘う彼に対して、女性は「でも、そろそろ終電だから」と21時半に言い放ち、もう一生 会うことのない男にサッと背を向けて去ったそうだ。

☆ ☆ ☆

 ニオイと記憶は、かなり密接に結びついている。これは、ニオイを判断する脳神経が記憶中枢の近くにあり、同じタイミングで活発化しやすいからだという。忘れたはずの記憶もじつは脳の奥深くには保存されていて、それに結びつくニオイを少しでも嗅いだとたん、出来事や感情を含む記憶が、そのかたまりごと表に引っ張り出される仕組みだ。
 たとえば、ある香りを漂わせた空間で勉強をし、睡眠前にその香りを嗅いで寝ると記憶はより定着しやすいし、試験直前にもう一度嗅げば勉強した内容がスムーズに思い出せる。

 もちろん企業も、こうした脳のメカニズムを利用してビジネスをしている。Gucciを始めとした多くのアパレルブランドは、オリジナルの香水を販売し、街なかでその香りを嗅いだ人々が無意識に自社ブランドを思い出すように仕向けている。また、 ”服も買えるクラブ” ことアバクロでは、店内の商品に香水をかけまくり、客が商品を持ち帰ったあともショッピング時のドキドキ感を思い出せるよう工夫している。

 アパレルではないが、十年以上前に急に流行った「加齢臭」も、ある化粧品会社が中年特有の体臭を発見し、それを加齢臭と呼んだのが始まりだといわれる。それまで、中年の体臭が取りざたされることは少なく、むしろ「男のフェロモン」や「落ち着いた匂い」など、渋い男性を連想させる、どちらかというとポジティブな印象で捉えられていた。

 それが、化粧品業界の大規模な宣伝によって大きく変わった。彼らは、加齢臭というインパクトある名前を世間に広めるとともに、「加齢臭=不快なもの、イケてない、マナー違反」とのネガティブなイメージを植え付けることに成功した。加齢臭は別名オヤジ臭とも言われ、そのニオイがするだけで若者から疎まれるようにもなった。

 おかげで世の中年男性たちは、毎日、汗水流してはたらく傍ら、ネガティブに直結する自身の体臭にも気をつけなければならなくなった。結果として、加齢臭対策と銘打った石けんやスプレーやサプリが飛ぶように売れ、科学的効果のまったくわからない変な下着やグッズもいたるところに溢れていた。パパが思うに、ブームのピーク時には、「加齢臭に効く!」と書かれたシールさえ貼っておけば、きっとその辺の石ころでも500円で売れたことだろう。いつの時代も、消火ポンプを売る一番の方法は、マッチで火をつけまくることなのだ。

☆ ☆ ☆

 ところで、この前の金曜日の夜、君がママと実家に帰省したとき、じつはパパはひとりで夜更かしをした。そして、そのあとに少し仮眠をとった。まぁ仮眠といっても、たったの16時間だけど、なかなか熟睡感があって気持ちよかった。

 それで、つかの間の仮眠から目覚めたとき、パパはとても驚いた。なぜなら、パパの枕が、パパが子どもの頃に嗅いだ、ジイジの枕のニオイを発っしていたからだ。香りの濃度は薄めだが、香りの配合は間違いなくジイジの加齢臭と同じものだった。じっさい、そのニオイによって、小学生の頃に隠れんぼでジイジの布団に潜り込んだ記憶がフラッシュバックした。

 驚いたパパは、はるか昔の思い出をゆっくり懐かしむ余裕などなく、自身のオヤジ化を痛感しては、ただただショックを受けるだけだった。ニオイの話でいえば、中学生のときに、部活後の靴下を嗅いだ瞬間以来の衝撃だった。それからパパは、焦って飛び起き、枕カバーをすぐに洗濯した。しかし、カバーを外しても、枕は、ほのかに香るので、いっそ枕ごとゴミに出してしまおうか、とも少し考えた。結局、ベランダに干してしばらく様子を見ることにした(その後、セーフ)。

 パパは、これからも歳をとる。それにともなって、いまはマシな加齢臭もどんどん増していくことだろう。だから、先にこれだけはお願いしておく。

 どうか、パパを洗濯したりゴミに出すのだけはやめてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?