幼少期の錦織圭&シャラポワを後押しした『英断』

 卓球やテニスは、プレーはしないけど、観るのは好きだからよく観る。テニス・錦織圭は先日、銅メダルを獲り、日本人選手としては96年ぶりの歴史的快挙をとげた。もちろん僕は、ステテコ姿でテレビにかじりついて応援した。倒した相手は王者ナダルで、錦織自身が少年時代から尊敬してやまないスーパースターだった。


 5歳ではじめてラケットを握った錦織は、早くから頭角をあらわし、11歳の時点であの松岡修造からセンスを認められていたそうだ。そして、13歳のときに米国の選手養成所からスカウトを受けると、地元・島根を飛びだし単身で渡米した。そこで専属のコーチを付けてテニス漬けの日々を送ったことが、錦織の才能を本格的に開花させるきっかけになったといわれる。

 この事実を知ったとき僕は、まずは親元を離れて夢を追う決意をした13歳の錦織に感服した。そして次は、子をもつ親目線から、息子を送り出す決断をした両親にも感銘を受けた。いくら子どもの才能を信じていたとはいえ、なかなか難しい判断だっただろうと思うからだ。

 米国で頑張ったからといって、プロになれる保証などはない。それに当時は、現在の錦織のように世界の大舞台で通用する日本人選手はいなかった。テニスで生計を立てていた日本人も限られたはずだ。背中を追える具体的なロールモデルがいない、未知の世界に飛び込むのだから、それを見守る両親の立場としては不安なことこの上なかっただろう。
 松岡修造(日本人としてはランク最上位だった)が太鼓判を押したから将来は約束されている? いや、少なくとも、偏屈な僕なんかは、「修造さんのことだから、1日20人ぐらいの子どもを褒めちぎってそう」と疑ったりしちゃいそうだ。

 こうしたとき第三者は決まって、「才能を信じて挑戦させるのが当然」と無責任にはやし立てる。だが、いざ親の立場で真剣に考えてみると、同じ状況で13歳の我が子の背中を押せる親はそう多くないのでは、と思う。たとえば「義務教育を終えてからでも遅くない」とか、「地元にも良いコーチがいる」とか、「もっと視野を広げて他の経験も積んでから」とか、もっともらしい理屈をつけて説得を試みたりしないだろうか。
 最終的に送り出すにしても、それはかなり悩み抜いた末の決断になるはずだ。その難しい決断を錦織の両親はして、結果的にそれが「英断」となった。


 これに関して僕は、”テニスコートの妖精” ことマリア・シャラポワにまつわる逸話を思い出す。最近は色々あって五輪にも出場できなかったシャラポワではあるが、じつは彼女も錦織と同じように、幼少期(6歳)に、ある『世界的女子プレイヤー』からその才能を見いだされ、渡米をすすめられたそうだ。

 娘の才能を強く信じたシャラポワの父親は、渡航費用もままならないほど貧乏ではあったが、親戚中からお金をかき集め、(母親をロシアに残して)父娘ふたりで米国へ渡った。娘のテニスコーチ代や生活資金を工面するために、父親は異国の地で毎日朝から深夜まで肉体労働をした。シャラポワも父親の期待に応えるべく、すべての情熱を注いでトレーニングに励み、経験と実績を積んでいった。

 シャラポワは(少なくとも金銭的には)大成功したので、父親の決断や苦労話は美談となった。がしかし、興味深いのはシャラポワに渡米をすすめた『世界的プレイヤー』のことである。

 彼女はなんと、幼少期のシャラポワのことをまったく覚えていなかったのだ。というのも、当時の彼女は、シャラポワを含むそこら中の子どもたちに似たようなことを言って渡米をすすめまくっていたという。それを本気にしたのがシャラポワの父親だったというわけだ。
 素人的に考えてみても、ある少女のスジを国際レベルで見極めるには、たしかに6歳という年齢はちょっと若すぎる気がする。シャラポワの父親はそんなこと考えずに娘を信じ、重大な決断を下した。これも英断といえば英断だ。


 無責任な渡米のすすめとそれを真に受けた父親の決断がなければ、シャラポワは米国で才能を磨いておらず、ともすれば、あれほど大成しなかったかもしれない。そう突き詰めると、こういった話の最後はどうしても、運命や巡り合わせが支配する領域に行きついてしまう。

 もしも、シャラポワが何らかの『悪い』巡り合わせで薬物に頼ってしまったというのなら、ぜひTokyoで華々しく復活する姿を観せてほしい——と、4年も早い今のうちから僕は願っている。

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七瀬 充

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