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『ナルシスト』こそ最強のライフハック術

 自分に自信を持つのは良いことだが、それが行き過ぎると「ナルシスト(笑)」と嘲笑を受ける対象になる。

 どこからが「行き過ぎ」なのかは議論の余地があるものの、一般的には、窓ガラスに映る自分にうっとりしたり、セルフィーを100枚撮ってそのうちの何枚かをSNSにアップしたりするだけで、裏では「きも」とか「キンモ」とか「バカ」とか「しんで」と言われてしまうようだ。

 正直に告白すれば、僕自身も昔はそんなナルシストたちを「きもw」および「キwモwすwぎwwwwwwww」と嘲り笑うグループの一人だった。
 しかし、最近になって、いくら彼らを糾弾しても幸せにならない自分、いくら糾弾されても幸せそうなナルシストに気付いた。そして、変に空気を読んだり、ダメな自分を嫌ったり、SNS上のリア充合戦に巻き込まれて惨めになったりするくらいなら、いっそあっち側に寝返って、自分を心から愛し、ナルシストと笑われるのを甘受するほうが100倍マシだと思うようになったのだ。これは皮肉でもなんでもなく本心で、なにかと生きづらい世の中だからこそ、自分で自分を愛する力、無条件で自分を肯定する力が役に立つのではないかと考えている。

 ナルシストの良いところは他人に迷惑がかからないことだ。せいぜい窓ガラスを凝視してガラスがストレスを感じたり、セルフィーによってスマホのハードディスクが少し汚れる程度だ。また、ナルシストの教科書によれば、ナルシストは駅前で彼女にビンタされてフラれたあとは、雨に打たれながら自分で作詞した歌を口ずさんでトボトボと歩くことになっているが、これによって何か一般人が困るだろうか?基本的にナルシストは周りに迷惑をかけないEcoクリーンな存在であり、プリウスなどと並列に語られてもおかしくないのだ。

 にも関わらず、ナルシストはなにかと非難されやすい。トップ層のナルシストはこうした理不尽を跳ね返すことができるが、心配なのは、ナルシスト予備軍/準ナルシストたちが、世間の過度な批判を恐れて、思うように自分を愛せていないのではないかということだ。僕の目には、多くの準ナルシストが自己のナルシスト性に逆らい、むしろ自虐的にふるまおうとしているように見える。

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 僕が強調しておきたいのが、生涯でもっとも長い時間を過ごす相手は自分だということだ。親や配偶者や子どもではない。24時間365日80年間、生まれてから死ぬまでかたときも離れることなく行動を共にする。相性がよくない友人や恋人とは簡単に距離を取ったり別れたりできるが、どれだけ不満があろうと自分自身からは絶対に逃れられない。これはなかなか大変なことだ。

 なにしろ、判然たる事実として、9割の人は美男美女ではないしお金持ちでもない。なんの目立った才能もない凡人だ。僕自身のことでいえば、僕はできることなら速水もこみちのようなイケメンに生まれたかったし、できることなら不動産王トランプのような金持ちの家に生まれたかった。できることならマイケルジャクソンのように歌って踊ってみたかったし、できることならシェークスピアのように人々の心を震わせる文章を書きたかった。しかし、僕は僕だった。あなたはあなただった。

 ハード面がアレでも、中身が素晴らしいのならまだ救いはあるが、神様も忙しいようでそううまくはできていない。僕は、小学生の頃に給食係に向かって「森君のフルーツポンチのほうが多い!」と文句を言った日から何も変わっていない。先日も日高屋で隣のテーブルのほうが早く餃子が出てきて発狂しそうになり、自己をセーブするのがやっとだった。

 また、典型的なダメ人間がそうであるように、僕も意志がとことん弱く、生活がだらしない。特に、このシーズン(5-7月)は毎年、「夏休みに向けて痩せる☆」とOL気分でダイエットを始めるものの、結局、挫折して無駄に自己嫌悪に陥りやすい。現に、先月風呂上がりのビールを止めようと決心し、今ちょうど2缶目を開けてこれを書いているところだ。去年は、ダイエットを三日坊主で終わらせないために友人とともにスポーツジムに入会してみたが、よく考えればその友人も僕が自信をもって太鼓判を押せるダメ人間で、彼はジムの器具の使い方を覚える前に来なくなった。エアロバイクをこぎながら僕は、「ああ、下には下がいるものだなあ」とホッと胸をなで下ろし運動を終えたあと、その足で天下一品に寄ってこってりラーメンを食べて帰った。1,000kcalも1,500kcalも一緒だから、大盛りにしてチャーハンもつけた。もちろん、さらに自分が嫌いになったのは言うまでもない。

 話を戻すと、そもそも論として、ダイエットに成功してルックスが良くて富や名声があれば満足か?というと必ずしもそうではない。これらをすべて満たしたはずの有名人、傍からみれば「ロイヤルストレートフラッシュ」をそろえた有名人が精神的に病んだり薬物に走る姿を見ると、決してそう単純な話ではないことが分かる。長い人生を通して自分と好意的に付き合っていくには、越えなくてはならないハードルがいくつもいくつもあるようだ。

 その点、何が起きても自分を赦し愛せるナルシストは最強だといえる。ハードルなど最初から無いに等しい。ダイエットに成功しようとしまいと、自分は特別すばらしい存在だ。お金がある自分も、お金がない自分もどっちも好き。地位や名声なんかは、結局のところ、自分よりダサい愚民からの評価に過ぎないので気にならない。地球は丸い、太陽は東からのぼる、自分は最高にクール。これが彼らを取り巻く真実だとしたら、彼らを成功者と呼ばずして誰を呼ぶのだろうか?

 ここまで来ると、やや哲学チックな話になるが「幸せ」とはいったい何なのか?と考えざるを得ない。一つの解釈として、幸せとは脳内の快楽物質のことである。何か良いことがあると、脳のなかの報酬系と呼ばれる部位がドーパミンなどの快楽物質を分泌し人は幸せな気持ちになる。もちろん、「何か良いこと」は人によって様々だが、一般的にはお金や食べ物や酒、愛やセックス、他人からの承認などがそれに当たる。僕ら凡人が厳しい社会でこうしたものを手に入れようと頑張るのも、つまるところ脳内で快楽物質をたくさん引きだして幸せになるためである。

 僕の考えでは、ナルシストはここが凡人とは違う。わざわざ殺伐とした社会に出てお金や評判を獲得しなくとも、内なる自分から常に最大の幸せを感じることができる。自分自身が最大の報酬=幸せの源泉であり、生きている限りその恩恵を受け続ける。まったくの無料で。自宅の庭に「幸せ」が湧き出る温泉があり、24時間いつでも熱々の温泉に足を伸ばして浸かることができるのと同じだ。ちなみに、僕たち「常識人」は、外でペットボトルに入れて調達してきた水道水をバスタブにせこせこ貯めて膝を曲げて入るしかない。幸せを外に求めるか内に求めるかでは、根本的にそれくらい違うのだ。

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 世に中には、効率的な◦◦術だとか、××に役立つ5つの法則だとか、じつに様々なライフハック術が溢れている。乱暴にまとめて言えば、それらは最終的には幸せになるための方法論だ。だが、本当に効果があるのか甚だ疑問だし、仮に効果があったとしても劇的な効果があるとは限らない。バスタブに貯める水を少し増やしたり、そこに温泉の元を入れてみたりして何が変わるというのか。誤差の範囲にすぎない。

 だから、僕は思う。自分大好き!のナルシストに成り変わり、自分のなかの無限に湧き出る温泉をハッキングする——これこそ、正真正銘・史上最強のライフハック術なのではないか、と。

 ところで、当然ながら「どうやってナルシストになるの?」という疑問が生まれる。これについて僕は、「効率的にナルシストになるために役立つ5つの法則」をちゃんと考えているので、また別の日に有料で発表しようと思う。

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