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遅れてきたGS(グループサウンズ)12 ~昭和グラフィティ~

昭和41年(1966年)@金沢

「アキはね、ランドセルは黄色がいいの」
明は泣きべそをかいていた。
ランドセルの色が「男の子は黒」と決まっているのが、どうしようもなく嫌だったのだ。

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「ほら、交通安全のカバー、黄色だから」
母親がなぐさめてくれたが、そういう問題ではなかった。

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続けて母親は
「せっかくお父さんがアキの入学のお祝いに買ってくれたんだから、そんな我儘言わないで」
と懇願するように言ったが、当の明は、普段、姿を見せない父親が買ってくれたランドセルということにも愉快な感じがしなかった。
毎日、背負って学校に行くのなら、自分の一番好きな黄色がいい。
あまりに何度も明が懇願するので、母親は黄色のランドセルを探してみたのだが、そんなものはどこにもなかった。
「昔からランドセルの色は、男の子は黒。女の子は赤と決まっとる!」
と店の主人から一括されるのがオチだった。
他の2人も小学校に入るのは楽しみだったが、憂鬱なこと、嫌なことも少なからずあった。実は、由美も赤いランドセルが嫌だった(由美は空色のランドセルが欲しかった)が、もっと嫌だったのはスカートを履かなければならないことだった。もし、スカートを履くようになったら、下着が見えるのを気にして思いっきり跳んだり跳ねたりできなくなる。後年流行した「スカートめくり」にも由美は悩まされることになるが、これはもうちょっと先の話。
もっと嫌だったのは、下着の上から毛糸のパンツを履かされることだった。
「こんなカッコ悪いもの履きたくない!」
「冷え症になるから履きなさい」
と母親に言われ続けたが、
「絶対、嫌だ!死んでも嫌だ!」
と頑なに拒んだ。
スカートも入学式だけはしぶしぶ履いて行ったが、その後は男の子と同じ半ズボンを履いて登校した。キュロットもパンタロンもホットパンツもなかったのである。
男の子たちと喧嘩をすると、よく「オトコ、オトコ!」と悪口を言われた。
由美は負けず嫌いで、ちょっとやそっとでは負けなかった。喧嘩相手の男の子を蹴りまくるには、半ズボンの方が都合がよかった。
それにしても、男どもが自分に向かって「オトコ、オトコ」と囃したてるのが、なぜ悪口になるのだろう。「変なの」といつも思っていた。

「同じクラスになれるといいね」
三人は入学する前からそんな風に話し合っていたが、母親たちは子どもたちがバラバラのクラスになるだろうと予想していた。
なぜなら、この頃の出席順は、名前のあいうえおの順番ではなく、誕生日順だったから。4月11日生まれの三人が一緒のクラスになれる筈がない。
母親たちの予想通り、ふたを開けてみたら、博臣が1年1組、由美が1年2組、明が1年3組と見事に別れた。
そして、三人はそれぞれのクラスで出席番号が一番だった。

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博臣は1組の一番だったので、入学式で代表して教科書セットをいただくことになった。
母親は喜びよりも心配が先に立った。もし、大勢の前で失敗したら、入学早々恥をかいたら…博臣の母親は常にそういうネガティブな発想をする。でも、だからこそ上手くいったときに喜びが倍増するとも思っていた。
母親の心配をよそに、博臣は式場で名前を呼ばれると、「ハイ!」と大きな声で返事をし、壇上で校長先生から教科書セットを堂々と受け取り、ちゃんと礼をして得意満面の顔をして戻って来た。
「ヒロ君、立派だったわぁ」
知り合いから褒められると、博臣の母親は、
「もうちょっと姿勢がよくないと……」
「失敗するんやないかとドキドキしとったけど…まぁ、ちゃんと出来てよかったわ」
挙句の果てには、
「まぁ、こんな名誉なことは最初で最後やろうし…」
などと余計なことを言ったりもした。

順風満帆の小学校生活のスタートを切ったと思えた博臣だったが、思わぬところに陥穽が潜んでいた。
二日目、お帰りの支度の前に「簡易給食」と称して「肝油」と牛乳が出された。

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牛乳給食に備えて、博臣は家で牛乳瓶の蓋を開ける練習をさせられていた。
このような道具を使えば、何とか失敗せずに出来るようにはなっていた。

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ところが学校にはこの「牛乳の蓋取り」はなかった。
自分の指で開けなければならなかったのだ。
さあ、困った。
ところが博臣は助かった。
先生が蓋の取り方のお手本を見せるために、出席番号一番の博臣の牛乳を使ってやってみせたのだ。
「こうやって、蓋の縁を指で静かに押すと下に外れますからね。やってみましょう」
ところが、この方式は入学したての一年生にとっては難しかった。
あちこちで牛乳が飛び散る。
上手に開けられた子は、得意げにごくごく飲んだ。
(家に帰って空ける練習をしなきゃな)
「お母さん、学校の牛乳、指で開けるんやて。練習せんと」
ところが母親は
「そんなん、学校にこれ持っていけばいい」
と蓋取りを袋に入れ、ランドセルにしまった。
次の日、牛乳が配られると、博臣は机の中から蓋取りを取り出した。
そしてよせばいいのに隣の子に自慢した。
「ぼく、これで開けるんや。(いいやろ)」
ところが隣の席の女の子はちょっと意地悪だった。
「先生、ヒロ君が蓋取り持ってきています。ズルです」
博臣は真っ赤になって下を向いてしまった。
先生もちょっと困った顔をして
「博臣君、そんなもの使わないで、自分の指でやってごらん」
と言うしかなかった。
練習をしてこなかった博臣が失敗して、牛乳をぶちまけて泣く羽目になったのは言うまでもない。
一方、昨日失敗して家で練習してきた子たちは皆、成功してお互いの上達ぶりを誉めあっていた。

当時は今と違って子どもの手に余るものはたくさんあった。道具を使ってもなかなか上手く使いこなせない物も色々とあった。
例えば缶ジュース。
当時はプルトップではなく、このような穴あけの道具が缶の蓋の上に取り付けられていた。
この道具を缶の縁にひっかけ、テコの原理で穴を開ける。
それも二か所開けないと、ジュースがうまく飲めないのだった。

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それから缶切りもなかなか手ごわかった。
まず穴を開けるのが一苦労だった。テコの原理を使っても、指先に力が込められず、なかなか上手く開けられないのだ。
なんとか切り出しても切り口がギザギザで、よく手を切る羽目になった。
当時、缶詰を持って行っても缶切りを忘れて食べることが出来なかったという笑い話がよくあった。
ともかく、ほとんどの子どもは失敗しながら、怪我もしながら自分で出来るようになっていったが、博臣の母親は「危ない」と言って全部自分がやってあげていた。
だから、当時の明への悪口は「オンナ」、由美への悪口は「オトコ」、博臣への悪口は「過保護」だった。
                             (続く)

(文 宮津 大蔵 / 編集・校正 伊藤万里 / デザイン 野口千紘 )
*この物語はフィクションであり、実在する人物、団体、事件等とは一切関係ありません。
 
*以下の方々に、写真・エピソード・情報・アドバイス等提供いただいて「遅れてきたGSは書き継いできています。ご協力に感謝してお名前を記させていただきます。(順不同)

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