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遅れてきたGS(グループサウンズ) 8 ~昭和グラフィティ~

昭和40年(1965年)秋 3人@金沢(卯辰山)ヘルスセンター

金沢市の北東に「卯辰山(うたつやま)」という標高140メートルほどの山がある。
金沢城から見て、東(卯辰)の方角にあるからそのように命名されたという。
その卯辰山の山頂付近に、以前、「金沢ヘルスセンター」という娯楽施設があった。(1958年開業/1982年「金沢サニーランド」に改称/1993年閉鎖)

ここは、長きにわたって金沢市民の憩いの場であった。
総合娯楽施設として様々なアトラクションが売りだったが、その中でも一番人気だったのは、全国的にも珍しい「屋内動物園」だった。
最近の屋内動物園によく見られるような、小動物との触れ合いを売りにした小規模施設ではなく、トラやライオンなどの猛禽類から、大蛇やチンパンジーにアライグマ、さらには、カバやゾウやキリンもいるような本格的な動物園であった。
これらの動物たちを、施設内の廊下を素足で歩きながら見物できるのである。
別名、「お座敷動物園」と呼ばれていた所以である。

猛獣類の檻の前にはガラスが嵌められていた。
時折、動物たちは背中を向けて、見物している人間たちに向けて、ものすごい勢いでオシッコを飛ばしてくる。
その度に子どもたちは、「キャー」と大騒ぎしながらガラスの前から飛び退く。
狭い檻に押し込められている動物たちによる、ささやかな抵抗と思えなくもない。

また、屋内ということもあって、ともかく異臭がすごかった。
女性たちは、白いハンカチで鼻を覆い、顔をしかめつつ檻の前を通り過ぎていく。
子どもたちは「クサイ!クサイ!」と大騒ぎしながら、鼻をつまんで走り抜けていた。
でも、みんなこの動物園が大好きだった。

廊下の両側に 大広間

ヘルスセンターの名にふさわしく、演芸用舞台を据えた大広間もあった。
ここでは、大衆演劇や歌謡ショーなどが催されていた。
後年、大人になった博臣は、ある俳優と知り合う。
この俳優と会話をしていく中で、博臣が金沢出身であることを明かすと、
「俺、売れなかった頃、金沢サニーランドで、仮面ライダーショーに出ていたことがあるんですよ」
と懐かしそうに話し出した。
「あー、仮面ライダーショーね!俺もヘルスセンター時代に観たことがあるよ。悪者のショッカーが途中で俺ら子どもたちを攫いに来るから、必死で逃げましたよ。あれ、捕まっちゃうと大変だったからね。舞台に引き上げられて、尻文字書きのような恥ずかしい芸を、観客の前でやらされちゃうんだよね。それを観客たちにゲラゲラ笑いながら観られるわけ。そんな晒し者にはなりたくないから、もう必死になって逃げたよ」
「それそれ!まさにその役を、俺、やっていたんですよ!子どもたちを捕まえて、舞台にさらって行くショッカー。あれねえ、本気モードで泣く子がいて、平気と芸をやってくれそうな子どもを探すのが、大変だったなあ。あれ?博臣さんって、わざと捕まって、人前で芸をやりたがるタイプじゃなかったでしたっけ?」
「あのね、ずいぶん誤解があるみたいだけど、その頃はね、俺だって金沢のウブな坊やだったんだからね。いやあ、懐かしい。その頃のサニーランドには、まだ蛇はいた?」
博臣たちがこんなやりとりをすることになる。平成の終わり頃の話である。

昭和40年の秋。博臣の母親の発案で、明と由美母子の計6人でバスに乗ってヘルスセンターに遊びに行ったことがある。

博臣の母親が、たまには、気の合う者同士でのんびりしようと考えたのだ。
子どもたちは、目を離しても、ヘルスセンター内なら安心して自由に遊ぶことが出来るようになっていた。その間、大人達は大広間でのんびりできる。今でいう所の、「ママ友女子会」である。
「卯辰山ヘルスセンター」行きのバスは、山頂目指してクネクネと登って行く。
目的地にバスが着くと、母親たちがまず入場券を買い、揃って玄関で履物を脱いだ。
そのまま素足になって、絨毯敷きの廊下を通って、まずは、大広間を目指す。
大広間で6人分の座席を確保したところで、母親たちは荷物を広げて、まずは、お弁当タイムだった。それぞれが6人分作ってくるので、すごい量である。
子どもたちは早く遊びに行きたい余り、慌ててお弁当を口にするので、行儀が悪いと叱られる。
それでも、最後には
「お母さんたちは、ずっと、ここにいるから、遊んでおいで」
とお小遣いを渡され、ようやく解放された。
「水族館も行っていい?」
「今日は駄目。動物園だけにしとき。水族館は、今度お父さんと来た時にな」
水族館に行くにはいったん外に出て、さらに、ロープウェイで昇って行かなければならない。
金沢市の街並みを眼下に眺めながら、水族館まで移動するのは実に楽しかったのだ。
屋根にある白い巨大なシャチのモニュメントを潜り抜け、様々な形態の海の生き物たちを眺めるのも興味深かった。
水族館は、ダメと言われ、動物園めがけて3人はバタバタと廊下を駈け出して行く。
「お母さん、ケチだな。あーあ、僕、水族館も行きたかったなあ」
博臣が他の二人に同意を求めると、由美がギロッと睨んだ。
「こんな山の上に海のお魚がいるなんて、絶対におかしいよ。水族館は海の傍に作ればよかったのに」
自説を主張する由美の様子を見て、博臣は、「由美ちゃんのひねくれ者め」と心の中で呟く。
そんな二人のやり取りを見ている明は、困ったようにニコニコしている。

水族館 シャチの形をしたモニュメント

大浴場

狭い檻の中にいる動物たちを眺めている内に、由美が自分の夢物語を語りだした。
「私ね、動物たちが狭いところにいるのは可哀そうだから、夜中に全部逃がしてあげて、海の方に動物の王国を造りたいんだよね!二人とも手伝ってくれる?」
「いいね!少年ケニアみたいだね。」
博臣の家にあった古い冒険活劇読み物を三人で読みふけったことを思い出す。
三人とも自分が主人公になって象にまたがり、動物たちがのびのびと過ごすことのできる野性の王国に導く姿を想像する。

(ワタルが僕で、ケイトが由美ちゃん)

博臣は、自分を主人公のワタルに、一緒に冒険する美少女ケイトに由美を配したところを、うっとりと心の中に思い描く。

(ワタルが私で、ケイトはアキ)
由美は由美で、自分が主人公のワタルで、ケイト役は明と決めている。

「ワタルがヒロ君で、ケイトがアキ」
明は、ワタルが博臣で、ケイト役は自分と決めている。
博臣は泣き虫だけれど、「いざとなったら、勇気を出して自分のことを守ってくれる筈だ」と信じている。

それはターザンでも同じだった。
博臣の中では、自分がターザン役でジェーン役は由美。
由美の中では、自分がターザン役でジェーン役は明。
明の中では、ターザン役が博臣で自分がジェーン役と、それぞれ心の中で思い描いていた。

そんな風に子どもたちが動物園で楽しい空想にふけっている間に、母親たちは、宴会場でスタ―談議に花を咲かせていた。

子どもも夫も姑もいない気楽な場である。三人はそれぞれ横座りをし、舞台でやっている大衆演劇には目もくれずに、ペチャクチャとお喋りに花を咲かせていた。
「御三家の中では、誰が一番好きやの?私はね……」

※1965(昭和40)年当時の、金沢ヘルスセンターの貴重な映像がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=oPyaAwif8LA

(続く)

(文 宮津 大蔵 / 編集・校正 伊藤万里 / デザイン 野口千紘 )
(アドバイザー 中浜恵子様 / ふくひさまさひこ様)

*以下の方々に、写真・エピソード・情報・アドバイス等提供いただいて「遅れてきたGSは書き継いできています。ご協力に感謝してお名前を記させていただきます。(順不同)

安楽博文様、ふくひさまさひこ様、佐藤鉄太郎様、永友恵様、中村嘉伸様、市岡悦子様、伊東明江様、樋口晶の様、那須竜太朗様、宮本信一様、芝崎亜理様、森谷豊様、能崎純郎様、吉村雄希様、渡辺薫様、池谷好美様、戸高嘉宏様、上杉早織様、金子恵美様、時村佳伸様、桒原美代子様、土肥築歩様、松村吉久様、栗原季之様、伏見裕雄様、谷太郎様、西康宏様、本田弘子様、増本真一様、松村秀一様


*この物語はフィクションです。実在するいかなる人物、団体等には一切関係がありません。


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