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はじめての方むけに。これまで私的によく読まれたnoteをまとめています。
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記事一覧

いつも、あれが最後だなんて気づきもせずに

木に何羽止まってるんだよ、と思うくらいの小鳥のさえずりで目を覚ます。カーテンの隙間から、うっすらと光が差し込んでいる。夫はもう起きたようだ。片手を探り、スマホを取り寄せると時刻は朝の6時半。 手を伸ばせば届く距離に、娘が両手を投げ出して寝ている。 自由奔放という言葉がふさわしい寝相。クイーンサイズのベッドをほぼ占拠し、一緒に寝る私はわずかな隙間に追いやられるのが日常だ。 目を閉じて、静かな寝息を立てている。柔らかな前髪がハラハラと流れて、おでこが見える。 「寝顔は、赤

さよならのバックパックがくれたひと夏のこと

ご自愛なんてほど遠い毎日でも、発泡酒とからあげクンはやさしい。 東京の終電に揺られるのが日常だったある日、コンビニ袋をぶら下げて帰宅すると部屋の前に男がうずくまっていた。 薄汚れパンパンになったバックパックに、穴のあいたジーンズ。雨で濡れた道路をまばらな車が通りすぎる以外、静けさが夜を包んでいる。 通路の白熱灯の点滅にあわせ頭の中でアラームが鳴る。それと同時に、男が顔を上げた。懐かしい声が響く。 「おかえり~」 声の主は、旧友のKだった。日焼けした肌は記憶の彼よりも

広口のガラス花瓶に花をかざる夢

最近よく、花束を買う。花屋さんの立派なものではなく、スーパーのレジ横でぽつんと佇んでいる小さな花束だ。 そして私は、広口のガラス花瓶に買ってきた花をかざる。ピンクや黄色で明るくなったダイニングをまじまじと見る。 口が広くて洗いやすい花瓶を、36歳の誕生日に買った。手に入れるのに、7年近くかかった。何の変哲もない花瓶。なんで普通の花瓶を買うのに、赤ちゃんが小学校に上がるほどの年月を待ったのか。今日はそんな他愛もない話を、ちょっとだけしよう。 *** 7年前、私は妊娠を機

せつなさを胸に吸い込むほど匂い立つ、ヨルシカの夏

誰もが持っているどこかの夏に、連れて行ってくれる歌がある。 小麦色の肌で入道雲に追いつこうとした昼下がり。闇に光る花火を想って恋の意味を知った夜。 音楽が記憶と結びつくと、目を閉じて手繰り寄せる感情の濃度が増す。 ふとした空気に夏の訪れを感じるこの季節。せっかくなので、夏のはじまりと終わりを思わせる歌詞に切なくなってしまうヨルシカの曲をお届けしたい。 「あの夏に咲け」 夕立の中泣く君に 僕が言えるのなら もう一回あの夏に戻って 夏といえば、やっぱり片思い。 「夏の

カリフォルニアの青もしくはベーグルの記憶

「ベーグルってバターいれないの。知ってる?」 そんな会話を10何年か前に、隣にいた誰かとした気がする。 はじめてベーグルを口にしたのは、カリフォルニアのサンフランシスコだった。リュックサックを担いでいったスーパーで、袋入りのそれを買った。 がらんとしたアパートのキッチンで、横にナイフを入れそいつを半分にし、トースターで焦げ目をつけて、カロリーの概念を無視してクリームチーズとブルーベリージャムをたっぷりとぬると、カリカリともちもちの食感で天国にいけた。 それから日本でも

ジブリ映画を観ている娘を見るのが楽しい

先月から、Netflixでジブリ作品が順次公開されている。ニュージーランドに住む私は、娘とジブリを堪能する絶好のチャンスだ。 「となりのトトロ」からはじまり、「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」。この辺りは6歳の娘でも楽しめる定番で、とてもよい反応を見せてくれた。 「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」は13歳以上の年齢指定になっている。ためしに、「千と千尋の神隠し」を一緒に観てみたけれど、千が湯屋で働いてカオナシが出てくるあたりで娘は明らかに飽きていた。ストーリーの複雑さ

文章にまぐれあたりはないから

「どうして、できるのにやらないの」 いつもは温厚な先輩の声が、あきらかに張っていた。スチール机を挟んで座る私の足元の、つま先がこすれたパンプスが見える。夕方6時。もう帰りたいなと思ったときに呼び出された会議スペース。 先輩が言ってるのは、新入社員研修での私の行動のことだ。1か月で新規案件100万円分を受注すること。けして実現不可能な研修ではない。営業部隊なら、きっとどの会社でもある。 「足りない」を見透かされている。 今日の電話リストを思い浮かべた。アポがとれたのは2

あたしの、ひとりきりの部屋から

あたしは二度と戻りたいとは思わない。 あの、はじめて暮らした、夜の星も見えない、ひとりきりの部屋には。 *** 2005年4月、東京。 夕方になると、あたしはぐったりと三鷹駅に降り立つ。大学の課題がたんまり入った手提げが重い。陸橋から、ビルに挟まれまっすぐに伸びる大通りを眺めた。 あたしを知っている人は、誰も、この街にはいない。 夕焼けに染まるはずの空は、灰色の建物に遮られ切り取られている。どこにもつながらない身体を、重い足取りで動かした。 夕飯を買って帰らなきゃ

私のnoteを読まないあなたに、結婚10年目だから手紙を書こうか

11月に、結婚して丸10年になる。 夫と入籍したのは、2009年の11月大安吉日。翌年から海外移住を決めていた私たちは、有給をとって平日の市役所に婚姻届けをだした。その足で東京タワーに向かい、ラグビーワールドカップのためのイベントに参加したのを覚えている。 東京タワーの足元に、大きなラグビーボールの形をしたドームが設置されていた。中は360度スクリーンになっていて、ニュージーランドの空と大自然が映し出される。芝生の緑を想像しながら、ああ、ここで一緒に暮らすんだなあと、隣の

8分間のサマー・トレイン #あの夏に乾杯

いつもと同じ夏が、過ぎ去ろうとしていた。 量販店で買ったマキシ丈ワンピースが暑さで足にまとわりつく。 結婚して10年、娘を産んで6年。ここ数年は、8月の終わりに実家に滞在するのが恒例となっている。私と娘が3日ばかり早く帰省するスタイルで、夫は後から合流。もちろん和平協定のもと、義実家に行くときは役割を交代する。 神奈川県の真ん中に位置する実家の周辺は、正直なんにもない。暇を持てあまして、3駅先のショッピングモールに娘を連れてきた。 映画に公園、プールにかき氷。子どもと

ひとが文章を書き始めるとき

ちょっと盛大なタイトルになっているけど、文章論とかではなく、我が家の5歳11か月の娘が文章をかきはじめたぞ、というはなしです。 たびたび書いていることだけど、私たち家族はニュージーランドに住んでいる。この国は5歳から小学校に入学できる。「できる」と書いたのは、5歳から6歳の間に学校に通い出せばいいという仕組みだからだ。「いつ」入学するかの意思決定は、各家庭にゆだねられている。 娘は昨年9月に小学校に入学した。気づけばもう1年近く。 日本で義務教育を終えた私は、この国の5

子どもが正しく間違えている

娘が、マジックに興味を持ちはじめた。 きっかけは、学童で見たマジックショー。それからというもの、鉛筆を手にくっつけて浮かせようとしたり、手のひらのコインを動かそうとしたり忙しそう。 夫が片方の手で見えないように鉛筆を押さえ、手を開いても落ちないマジックの種明かしをしたら、娘は「インチキだ!これはリアルマジックじゃない!」と怒っていた。 それをみて、ああ、娘は「正しく間違えている」のだなと思った。 * あたかも自分の言葉のように書いたけれど、「子どもは正しく間違える」

デジタルネイティブ世代の貯金箱と、5歳児のお小遣いルール

我が家には、黄色いゾウがいる。 置物ではない。これは、5歳10か月の娘の貯金箱だ。 振るとチャリチャリーンとお金の音を響かせるかわりに、「パオオーン」と鳴く。そして、胸の部分に「貯金額」があらわれる。 この数字は、娘の銀行口座と連携している。表示されているのは、銀行口座の金額だ。モバイルバンキングで、お金のやりとりができる貯金箱なのである。 これを見たとき、デジタルネイティブ世代は貯金箱までも「電子」なのかと衝撃をうけた。使ってみると大変便利な代物なので、せっかくだか

年収を2割減らして幸せを買うことにした

先月から、夫の仕事時間を減らして家族の時間を増やすことにした。 それにより、我が家の世帯年収が約2割落ち込むことになる。 前提として、私たち一家はニュージーランド在住10年目の三人家族。夫は調理師、私はフリーのライター。娘はもうすぐ6歳。 夫婦ふたりとも30代半ばで、日本でいえば「働き盛り」。子どもの教育費も、年齢が上がるにつれて増えていく。客観的にみれば、いまが稼げる時期であり稼がなければいけない時期だ。 でも、私たちはペースダウンする決断をした。ニュージーランドの