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かわいい娘の話をします

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娘のかわいい日常をお届けします。日めくりカレンダーの絵柄のように、くるくる変わる子どもの世界を、少しでも書き留めておけたら。
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マシュマロの話

子どもが学校のキャンプから帰ってきた。2泊3日で山の中に泊る。テント泊である。Year6ともなればキャンプも3回目で、親も子どもも少しは慣れたものである。 キャンプの行き先は、毎年、すべて違っていた。最初は森に行き、次は海に行き、今回は山だ。私にとって学校のキャンプといえば、コテージと川があるキャンプ場で、着いてからの大半をカレー作りに費やし、キャンプファイヤーでマイムマイムを踊る(踊ってない気がする)というものでしかないのだが、育った国が違えばキャンプも違う。 学校から

何回目かのクリスマス

わかってはいたけれど、数えてみるとあと7日で2022年が終わろうとしている。 今年は大きな出来事があって、そこを境に日々の暮らしががらりと変わり、走りながら皿回しとドリブルとシュートを決めるような毎日の連続なのだけれど、なんとかかんとか生きている。 大変すぎる、と思うような時期が人生には何回かやってくるもので、今は間違いなくそのうちの一つといえる。とはいえ、「子どもが生まれてから3週間、3カ月、3年」の大変さはいまだ人生の最大級に君臨しているので、まあ大丈夫だなとも思える

アボカドにワサビをつけても差し支えない夜

昨日の夕飯に麻婆豆腐とワサビの醤油漬けを食べた。ビールも飲んだ。なんなら今日も飲んでいる。ご飯のメニューにまったく気兼ねがない。 娘が学校のキャンプで家を空けている。それも2泊3日。我が家に子どもが生まれて8年と9カ月。骨折で入院した日を覗けば、平時に子どもがいない夜は初めてだ。日常の非日常である。 いつもは夕方4時にお迎えのタイムアップがないので、1日が5時間ほど拡張されている。だらだら、とも違うのだけれど「〇〇しなきゃ」が大幅に減って、家の中に流れる時間はなんだかゆっ

しゃらしゃらと鳴るスカートをつかむ子がいないとなりを駆ける春風

大きくなったな、と思う瞬間は、どこにでも転がっていて。それは、テレビの裏に隠れていたビー玉みたいに、ある日に顔を出してなんだか光る。 子どもがもっと小さかったころ、具体的には歩き出しても前につんのめるような足運びをする頃、私は毎日ズボンをはいていた。子を追いかけ、目線を合わせ、抱き上げる生活に洋服の機能性が必要だったからだ。 でも私が今より若かったころ、具体的には社会に出たばかりで毎朝田園都市線にゆられ永田町まで通っていた頃、クローゼットのなかはスカートばかりだった。ゆれ

愛が近づいてくるからせまい

大体において、寝る場所がない。 クイーンサイズのベッドとシングルサイズのベッドをくっつけて寝室に置いている。そこに、私、娘、夫と家族三人で寝ている。 夜も更けた0時前。寝室に滑り込む。するとそこには、シングルベッドで寝息を立てる夫と、その横のクイーンベッドで大の字になって寝る娘がいる。 なぜだろう。私の腰に抱きつくぐらいの身長しかない娘が。週替わりでお気に入りのぬいぐるみを選び一緒に寝ている小さな身体が。自由に手足を伸ばすとベッドを占拠して私の寝場所がなくなるのは。

とろける愛のようなものを3つ【書きかけのような日記】

週末、カフェでおひるごはんを食べていると、まぶたが勝手におりてきた。 ミルクの泡に粗さが残るフラットホワイトは苦みが際立つ。なのに、私の頭をぼやかす眠気は一向に去ろうとしない。コーンチップスを、真っ白なサワークリームの塊につける。湯気がたつチリビーンズものせる。みょーんとのびるチーズと一緒に口に運ぶけれど、あからさまに安っぽいプラスチックを食べてるみたい。 あきらめて目をつぶると、唇に固いモノがふれる。反射的にかみ砕くと、隣の娘がニコニコとコーンチップスを私に差し出してい

終わりはどこにもないようでいて。

「ねえお母さん」とあんぐり口を開けた我が子を覗き込んだ。 ピンク色の歯ぐきから、白い頭がちょっぴりと顔を出している。2本の乳歯の横幅とおなじサイズの永久歯。はたして、この小さな口にまっしろでピカピカした大人の歯が入る隙間はあるんだろうか。 「お母さんも、小さいときこうやって歯が生えた?」 思い出せない記憶のかわりに、Google先生に「永久歯 乳歯の内側」と検索して「そうね」と答える。 ソファにぽんと座り、おずおずと指で前歯を触りながらテレビを見はじめる娘。変化はとき

誕生日とロックダウン宣言

日本より4時間早い世界線で、Twitterのプロフィール画面に風船が飛んだのを確認してから寝た。 娘のキスの重みで目を覚まし、枕元を探って携帯を手に取る。「お誕生日おめでとう」のメッセージが海の向こうから届いていて、途端にうれしくなる寝起き。 3月23日、36歳の誕生日は眠い目をこすりながら早番の夫を見送り、コーヒーを淹れて、かわらぬ日常がスタートした。 * 誕生日を熱烈に祝ってくれる娘が、数日前に「見ちゃダメよ」と作ってくれたバースデーカードをもらう。 『誕生日に

ジブリ映画を観ている娘を見るのが楽しい

先月から、Netflixでジブリ作品が順次公開されている。ニュージーランドに住む私は、娘とジブリを堪能する絶好のチャンスだ。 「となりのトトロ」からはじまり、「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」。この辺りは6歳の娘でも楽しめる定番で、とてもよい反応を見せてくれた。 「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」は13歳以上の年齢指定になっている。ためしに、「千と千尋の神隠し」を一緒に観てみたけれど、千が湯屋で働いてカオナシが出てくるあたりで娘は明らかに飽きていた。ストーリーの複雑さ

1.3ドルのあこがれ

子どもの頃、絵本の世界にあこがれていた。 記憶にあるのは、ムーミン谷シリーズに登場する「こけもものジャム」。こけももの実がなんたるか、見たこともない小学生の私は、赤いつやつやした、甘酸っぱいゼリーのようなジャムをうっとりと想像した。 畳にちゃぶ台の昭和スタイルだった実家では、イチゴジャムを食パンに塗るのが精いっぱいのおしゃれだ。パンケーキは存在せず、ホットケーキミックスが3時のおやつだったあの頃。 遠い場所ほど、いつか近づきたいと夢見る。たぶんそれは、子どもが抱くファン

6歳の目線からみる詩の世界

子どもは、いつも私の知らないところから学んでくる。 娘は、6歳。日本でいえばこの春から小学校1年生だ。いま住んでいるニュージーランドでは5歳の誕生日から小学校に入る関係で、娘はすでにYear2(小学校2年生)である。 南半球では、12月から1月が夏休み。新年度は、2月からスタートする。進級した娘は、あたらしい環境を楽しんでいる。 朝、教室に向かい、お弁当箱と水筒しか入っていない大きなリュックサックをフックにかけると、わらわらと娘の友達が集まってくる。 彼女たちは、身に

キスをあげます

人生において、こんなにもキスされて、またキスを要求される日々がくるとは、ちょっと予想外だった。 私がソファーに座っていると、通りすがりにやってきて、ほっぺにキスして去っていく。寝る前には、「そういえば、キスされないといけないんじゃない?」と、図々しくもかわいい要求をしてくる。私がその柔らかい頬に唇をつけると、ちょっと大げさじゃない?と言いたくなるくらい、心の底から幸せという笑みを浮かべる。 6歳の娘の話だ。彼女にとって、キスとは愛をやりとりするコミュニケーションなのだ。

もう泣かないんだろうか

節目でもない、ふつうの日常のなかに、子どもの成長をみつけたりする。今日はそんな記録。 * 娘が通う小学校は、親の送り迎えが一般的だ。我が家からは車で移動する距離のため、朝と夕方、小学校へとむかう。 在宅仕事をお迎え時間ギリギリの14時53分までしがみついて、車のキーをつかんでエンジンをかける。自宅から学校までは、5分ちょっと。ただ向かうだけなら、余裕で間に合う時間だ。 けれども、車で学校に乗り付ける親は、私一人ではない(普通のこと)。学校周りの駐車場はすべて埋まってる

想像力と子育ての枠のそと

夕方、ご飯の片付けも終わり、のんびりとする時間。もくもくと静かに隣のリビングで何やら手を動かしていた娘が、「みてみて〜」と寄ってきた。 腕に、キラキラ光る可愛らしいブレスレットがついている。もちろん本物ではない。本体は折り紙、装飾はマスキングテープ。 それでも、6歳の娘の手にあるピンクのブレスレットは、本物の宝石よりうつくしいんじゃないか。一瞬だけ、馬鹿みたいなことを思ってしまった。 * 親が黙っているほうが、子どもの想像力は育つ。そんな風に感じるときがある。 例え