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ひとが文章を書き始めるとき

ちょっと盛大なタイトルになっているけど、文章論とかではなく、我が家の5歳11か月の娘が文章をかきはじめたぞ、というはなしです。


たびたび書いていることだけど、私たち家族はニュージーランドに住んでいる。この国は5歳から小学校に入学できる。「できる」と書いたのは、5歳から6歳の間に学校に通い出せばいいという仕組みだからだ。「いつ」入学するかの意思決定は、各家庭にゆだねられている。

娘は昨年9月に小学校に入学した。気づけばもう1年近く。

日本で義務教育を終えた私は、この国の5歳で始まる学校教育とはどんな勉強をするのか、興味深々だった。5歳って、日本の年中さんから年長さんのタイミングだ。

1年目のメインは、読み(Reading)、書き(Writing)、算数(Mathematics)。

アルファベットも書けなかった娘が(2歳から保育園に通っているので会話はネイティブスピーカー)、1年で単語のつづり方を覚え、それなりの文章量の本を読み、頭のなかの感情や記憶を文章として形にしている。

教育ってすごいなあと思わずにいられない。

娘が書き溜めたWritingのノートをみていると、ライティングにも複数のトピックがあることに気づく。

週末の出来事を書き残す日記、絵からお話を考える創作、実験などの授業を記述する観察記録。あと、特定のテーマに対してアイディアを書き出すなんてのもある。ノートに書かれている文章が、「楽しかったです」の感想文だけでないのが面白い。

たとえば、「Planet(惑星)」についてアイディアを書いているもの。娘の話を頼りに推測すると、この週は惑星が授業のテーマだったらしい。

それに紐づいて、子どもたちが絵と文で自分の惑星をつくっていた。

娘がつくった惑星はこちら。

On my planet their is lots of candies and sugar. There is cotton candy cloud and gummy bear aliens.(私の星には、たくさんのキャンディとお砂糖があって、綿菓子の雲とグミのクマ星人がいます

あ、天才かな(親バカ)。

1年生なので、綴りが間違っている単語はたくさんある。それでも、なんというか娘の頭のなかが切り取られていて、ずっと読んでいたくなる。

絵から文章を書くトピックもなかなか独創性があふれている。こちらの写真には、次のような文章が書かれていた。

The Zebra is practicing his balancing so he can be a great gymnastics. he is balancing on the tight rope. (しまうまがバランスをとる練習をしているから、彼はすごい体操選手だ。張られたロープでバランスをとっている)  

絵を記述する要素と、創作的な要素がまざりあっている。教材の絵の意味不明さはさておき、楽しそうだなと思った。

文章は「書く」というひとつの行為だけれど、その先には無数もの「目的」がある。手紙なら気持ちを伝える。議事録なら正確にわかりやすく残す。企画書はアイディアを理解してもらい届けるため。

私が文章を書く先にあるいくつもの目的を意識したのは、ライターの仕事をはじめてからだ。

私にとって、子ども時代の記憶にある「書く」はイコール読書感想文であり、いつも内容に困っていた。ありもしない感想をひねり出して書くのは、楽しくなかった。あたりまえだ。

娘の様子をみていると、ニュージーランドの教育は各種科目の土台に「書く」を置いているのだなと思う。

NZ教育省のサイトには、1年生のライティングは異なる目的・複数の分野で書き方を学んでいくと書かれている。

たとえば、ペットの世話について書くのならそれは理科(Science)を学ぶことで、工場見学について記述するならそれは技術(Technology)を学ぶこと、という具合に。

Year 1 writing
In Year 1 your child will learn to write simple stories on their own. They will learn to plan their writing by talking, or by drawing pictures. Their writing will be for different purposes that cover several areas of the curriculum. For example, they may write about caring for a pet (science) or a report on a visit to a factory (technology). They will be able to read and talk about what they have written.
<引用:Education.govt.nz>

ちなみに、日本の学習指導要綱にも、おなじように書くことの目的別の学びが記述されている。

(1)に示す事項については,例えば,次のような言語活動を通して指導するものとする。
ア 想像したことなどを文章に書くこと。
イ 経験したことを報告する文章や観察したことを記録する文章などを書くこと。
ウ 身近な事物を簡単に説明する文章などを書くこと。
エ 紹介したいことをメモにまとめたり,文章に書いたりすること。
オ 伝えたいことを簡単な手紙に書くこと。
<引用:文部科学省 学習指導要領「生きる力」>

書く行為ときくと、日記のようなものに限定されたり、小説のように一部の人しか行わないイメージがあったりする。けれど本来は、人と人とのコミュニケーションすべてに関係するものだ。

そうやって学んできたはずなのに、文章を書いた先にある広がりを学生時代は意識なんてしなかったなあ。

目的にそって文章が書けるということは、自由だなと思う。

なにも特別なものではなく、「伝えたい」というただその気持ち一つで、ひとは書きはじめる。

娘がどれだけ文章を書くことを楽しんでいるかはわからない。ただ、週末の楽しかったことや小さな頭で想像した世界が、切り取られ形をもって紙の上に残っている。それが、ずっと保存しておきたいくらい愛おしい。

泣くしか意思疎通の手段がなかったあの子が、話す力を得て、ついに書くという手段まで身に着けたことに、ちょっと感動している。

あ、やっぱり親バカの話だったな。

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