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この手でつくる

日曜日は、ずっと家にいた。

「お出かけしようか?」と娘に聞いても、「寒いから家にいる」の一点張り。買い物の必要もないし、無理に連れ出す理由もない。

娘は、Netflixを見たり、Spotifyで好きな音楽を流してBluetoothで接続したマイクで一人カラオケをしたり、LEGOで人形遊びをしたりしていた。私はnoteを書いて、本を読んで、掃除機をかけたり洗濯をしたり。合間にキッチンに立ってタラコチャーハンを作ったりする。たまに、娘のスーパーヒーローごっこに付き合ったり。

南半球に冬が逆戻りした寒い日だった。オーブン料理をつくろうと思い立った。冷凍の豚肉の塊を解凍して、塩と胡椒を適当にすりこみ、雨の庭からローズマリーの新芽をとってきて、150度のオーブンに入れた。ついでに、同じ温度で調理できる焼きプリンもつくった。

ニュージーランドにいると、わりと手作りをする。

この国のDIY文化に影響を受けている感はある。庭のブランコから、アウトドアデッキ、キッチンやお風呂まで手作りしちゃう人々がいる国だ。合言葉は、「欲しいものがなければ、つくる」。

焼きプリンは、「食べたいけれど、ない」の代表例。スーパーにも売っていない。街のメキシコ料理屋さんが、プリンに近しいデザートを出しているけれど、糖度が違う。甘すぎず、好みの固さのプリンを食べるには、この手でつくるしかない。

プリンに限らず、あんこ、豆腐、みそ、自家製梅酒、マスタード、ベーコン、いくらの醤油漬け、ウナギのかば焼き……色々作ってきた。日本では共働きで、家で料理をほとんどしなかった夫婦だ。手作り中心の生活が、新鮮で楽しかったのもある。

手作りのよいところは、自分好みの味にできること。おまけに原価を計算しなくてよい。資金さえ潤沢にあれば、プリンに本物のバニラビーンズを入れるとか、いくらでも手を加えられる。

かといって、「手作りこそ最高」主義でもない。手間をかけるからって、「ベスト」にはならない。できたての豆腐も豆乳も、おからもおいしかったけれど、煮込んでつぶして絞る工程が大変すぎて1回でやめた。かば焼きの味は恋しいが、ぬるぬるしたウナギを、ベランダで捌こうとは二度と思わない。

以前、ネットで「丁寧な暮らしはガッツが必要」みたいなセリフが流れてきて、ああそうだなぁと思った。手間暇かけるのは、文字通り時間がないとできない。

何に手を加え、大切にするかは、自分の塩梅で選べばいいよなあと最近は思っている。

とはいえ、手を動かすのはやっぱり好きだ。

自分のレベルが上がっていく感じもいいし、「うまくできないなあ」と苦笑いする経験だって悪くない。

プリン、カラメルの量が多くてちょっと甘すぎたなあとか。舌の上でとろける触感を味わいながら、バランスの整ったクオリティを絶えず生み出すプロはすごいなあと思ったりする。

頭の理想を思い通りに形にできないこの手を動かしながら、自分の立っている場所をたしかめる。ぼんやりした表現だけれど、生きてるって感じがする。

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