不器用に踊るきみへ、エール

4月、春がきた。
そこだけ発光しているような華々しい桜の写真が、TLを流れていく。

ああ、春だなあ。日本は、新しい季節。暖かな陽気と、明るい日差しに背中を押されてなにか一歩踏み出したくなる、そんな季節だ。

NZの季節は逆だから、春の浮足立った空気は関係ない。

今週から小学校は秋休み。イースターを挟んだスクールホリデーが、夏の名残を残す最後のお楽しみ。

サマータイムも終わってしまい、ぐっと日が短くなった。だんだんと、冬が近づいてきている。

我が家の娘も早いもので、小学校に入学して半年が過ぎた。

昨年の9月に登校したときは、教室に送り届けるとお母さんと離れたくなくて泣いていた娘。泣き癖は、2、3か月続いた。でも、もう大丈夫。

「バイバイ」とハグして私の頬にキスをし、笑顔で手を振ってくれる。

さいきんの彼女のお気に入りは、週に1回のダンス教室だ。

数人の5歳児だけのクラス。バラバラの衣装に身を包み、おせじにも「本格的」とは程遠い習い事。

ダンスに興味を示したのは、いつからだろう。5歳になったあと、娘がバレエのまねごとをしているので、「娘ちゃん、バレエ習う?」と聞いてみた。目を輝かせて、うんうんとうなづく娘。

3件ほど近所の教室を見学し(田舎なので、数が少ない)、バレエとジャズとミックスの教室を選んだ。

もっとバレエ一色のお教室もあったのだけど、足のポジションをまねる動作が娘はつまらなかった、らしい。

ピンクのチュチュがついたレオタードを、量販店で購入した。25ドル。意外と高くはない。レッスンは、裸足でいいとのこと。

レッスンの日はまだ先なのに、とりあえず家で着る娘。

ダンスがしたいというより、ふわふわのレオタードが着たかったのではないのか。まあ、最初の理由なんてきっとなんでもいいのだ。

とにかく、ダンスの習い事をすると決めた日の娘は、たいそう嬉しそうだった。

躍る幼児、というものを見たことがあるだろうか。あれは、なかなか可愛い。

幼稚園児ぐらいの子をお持ちの親御さんなら、納得してもらえるのではないかと思う。見様見真似で、小さな手と短い足を一生懸命動かしている姿。

人の子でも、なかなか可愛くみえるのに、我が子がピンクのスカートをひらひらさせて躍る姿は、正直にいって破壊力ばつぐんだ。

いやいや、私が親バカの色眼鏡をかけていることはわかっている。

そもそも、私はそれほど「子どもかわいー!」ってなるタイプではない。子供はかわいい。でも大変。可愛さと大変さをミックスした嵐。

冷静さを保ちつつ、ちょうどよい距離間で親子関係を築くのがベストだと思っているのだけれど、ダンスはやばい。

うわーーかわいーーーーだけしか発せなくなるくらい、語彙が消失する。

ちょっと得意げに、大きな鏡の前に立つ娘。
先生の振りを、一つも見逃すまいと目で追い、手足を動かす。

それだけで、冷たい木の床に座って、幼児の動きを眺めているだけの40分が、とても尊い時間のように思えてくる。

音楽に合わせて動き出した娘の姿に、天才バレリーナの才能の片鱗を感じるとか、そんなことはまったくない。

リズムは刻んでいるが、ずれている。

手を大きく動かす角度も、まったく違う。

片足を上げてジャンプして進むはずなのに、それじゃただのスキップだ。

そもそもNZの習い事の多くは、「高いレベル」を目指すために設定されていない(気がする)。音楽にあわせて、笑顔で踊って、楽しめばいい。ただ、それだけ。

それだけのために、1ターム12回のレッスンに1万円近く払い、毎週1時間使うってどうなのと思うのだが、娘が楽しいのだからしょうがない。

もう、それがすべて。

娘は、家でテレビから好きな音楽が流れると、アニメの動きにあわせて踊っている。

通学の車の中では、自作の歌を口ずさむし、この間はノートに覚えたての英単語で作詞をしていた。

お絵描きも好きだ。5歳児の遠慮を知らない力強い線と、愛のある目線から描かれた独特の動物たち。

どれもこれも、「稀代の芸術家…!!」みたいな才能はまったく感じないのだ。

けれども、小さな娘の中に、「好き」がたくさん詰まっていることが、とてもうれしい。

躍る娘をみていて、思う。

人は、いつまでこんなに歌うんだろう。でたらめな歌詞で、とても楽しそうに。いつまでこんなに踊るんだろう。不器用なリズムで喜びを身体じゅうで表して。

私たちだって、ずっと昔、小さかったころ、好きで好きでたまらないものがあったはずだ。

遊びの手を止めるのももどかしく。朝がくるのが待ち遠しい。誰だって、夢中になれるものを持っていたはず。

小さなころ、お話を作る人になりたかった。
挿絵をつけて、本にしたかった。

でも、大人になった私は、まったく違う仕事に就いた。

才能がなかったから、夢を形にできなかったわけじゃない。

才能があるかないかなんて、わかるもっともっと手前で続けることをやめたからだ。

好きを続けていくその先に、何が待っているか私は知っている。頭の中で思い描く理想に、届かない現実。私ができないそれを、いとも簡単にやってのける才能のある友達。

いくら家の中で「上手だねえ」って褒められても、学校に入れば子供だってわかる。世界は広い。

私より、うまい子なんてたくさんいる。
プロになんて、なれっこない。

そうやって夢をあきらめてしまうだけでなく、いつしか好きなことさえ手放してしまう。

でもねえ、30過ぎて文字に関わる仕事で、やっと少しばかりお金が稼げるようになって思うんだ。

成功しているあの人たちが、じつは裏でたくさんたくさん続けてきたということ。泥臭く、お金になるかわからないことを続ける根気。たとえ失敗しても、また次に進む勇気。

ランサーズでライターのお仕事をはじめたとき、一番最初に書いた記事は2000円だった。文章でお金を得たことはとてもうれしかったけれど、それだけでは生活できない。

文字単価を上げたくて、提案しても通らない。いまある仕事が、30過ぎて新しいことを始めた自分の限界なのかなと思ったときもあった。けど、1年続けたら少しだけ見える景色が変わった。

はじめの頃、手が届かなかった案件に受かるようになる。メッセージで、新しいお仕事のご依頼を頂く。何もなかった土地に、やっとまいた種から芽がでたみたいに。

インターネットで見えるのは、輝かしいばかりの功績だけだ。だから、すぐに「才能の差だ」って勘違いしてしまうんだけど。

きっと、そうじゃないんだよね。

才能の前に、ずっとずっと続けてきた道があるんだよ。だからあの人は、成功を手に入れられたんだ。

そして続けるためのエネルギーは、やっぱり君がいま抱えている「好き」でしかないんだよ。

このさき君は、どんな大人になるんだろう。
きっと、君自身にだってわからない。

音楽や踊りをもっとやりたいってなるのかな。それとも、お父さんのようにカフェを開きたいなんて考えるのかな。親の私たちが、想像もつかない夢を描くのかもしれない。

「バレリーナになるために、ヨーロッパに留学したい」とか言われたら、(え…まじか…)って思うかもしれないけど、親として出来る限り協力するよ。

ただ、いまは。
不器用に、小さな手足を動かして。
瞳は、真剣そのもので。
ディズニー映画の曲に合わせて踊る姿は、よろこびであふれてる。

大丈夫。君はきっと、どこまでもいける。
小さな体におさまりきらないくらい詰まっている、たくさんの好きがあれば。

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