思い出の味に弱くなったのかもしれない

記憶のなかにしかない味って、誰にでもあるのだろうか。

家庭の味とかおふくろの料理とは違う。ああ、小さい頃よく食べていたけれど、大人になってからは全然だな、みたいな。

味の細部よりも、「おいしかった」っていう笑顔とみんなで食べた幸せを思い出すような。

私にとっては、サンマーメンがそれなのかもしれない。

サンマーメンとは、神奈川県のご当地ラーメンだ。県民のソウルフードともいえる。

醤油ベースのラーメンに、野菜たっぷりのあんかけがのっている。我が家の定番のラーメン。お父さんが好きだったから。

私が小学生だったころ、「出前」は特別な日だった。外食は年に数えるほど。年の近い三人兄弟だもの、外で食べるなんてわちゃわちゃするに決まってる。

出前の日はランダムで、たぶん母が疲れた日とか限界だってときに「今日は出前にしよっか」となった。私はうれしくて、バンザーイとはしゃいだ。出前が、親の気力ゼロのときに発動されるカードだなんて考えもしなかったなあ。

注文するのは近所の中華料理屋さんから。兄の同級生のお家で、横浜中華街で修行したというご主人が鍋をふるっていた。

私たち兄弟は、毎回メニューとにらめっこして、うんうん悩む。チャーハンがいいかな、チャーシュー麺かな。でも、お父さんはいつも即答だった。サンマーメン一択。

ラーメンの出前を頼むと、丼にぴったりラップを張って持ってきてくれる。なかの蒸気が、水滴になっていまにもたれそうだ。表面を叩くとポンポン音がする。それが楽しくて。箸を並べるあいだ、ドンブリのラップで遊んでよくおこられた。

ラーメンの湯気で、お父さんのメガネが曇る。一口ちょうだいと、わけてもらう。

キャベツともやしがどっさりのサンマーメン。

「なんでお父さん、いつもおんなじなの?」ときいたら、「野菜が好きだから」と笑ってた。そのうち、一緒にサンマーメンを頼むようになった。週末にお父さんが作ってくれるインスタラーメンが、野菜炒めがドサッとのったサンマーメンもどきなんてこともあった。

サンマーメンは、父を思い出させる。最後に一緒に食べたのはいつだろう? ちっとも覚えていない。

18で大学進学とともに家を出た。そこから大して実家に立ち寄らず、ついにはニュージーランドまできてしまった。たぶん、親不孝者っていわれても否定できない。

地元にずっといるなんて、考えもしなかった。嫌っていたわけではない。けど、私が手に入れたいものは、いつもずっと遠くにあった。家族や地元の友人の近くにいるより、望む未来を手にしたい。そうやってがむしゃらに走るほうが楽しい時期が、たしかにあった。

ここにいること、後悔はしていない。でも、ずいぶんと遠くまできてしまったなと思う。

飛行機で15時間。3年に一度会えればいいほうだ。気がつけば進学で離れた友人たちの多くが、地元に戻ってきている。

18年しかいなかった。もう、外に住んでいた期間のほうが長くなろうとしている。日々の頭の中を占めるのは今の生活ばかりなのに。古びた住宅街の狭い路地を駆け回っていたあの町を、私のふるさとって呼ぶのだろうか。

すっかり忘れてしまったはずの、坂道と夕焼けと歩道橋が、ラーメンひとつで引き出しをあけたみたいによみがえってくる。

記憶の味はぼんやりしているのにあたたかくて、そしてちょっとさみしい。

いつか食べようと思っても、人生を終えるまでに口にできる保証なんてない。食べに行けばいいって言われるかもだけど、こういうのは不思議なことに、神さまか何かが決めた運命みたいに叶わないことがある。

食べたい店で願ったものを口にするのは、ちょっとした巡り合わせだ。だれかの旅行記で見かけたイタリアの街中のレストランの、名前もわからないパスタを一生口にすることがないように。私たちが食事をできる回数は、悲しいほど限られている。

だから思い出の味っていうのかもしれない。この記事を読んで、ふと郷愁みたいなものにかられたから書いてみた。おいしいんだよ、サンマーメン。よかったら食べてみてね。






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