【VR・アイドル】あちら側へようこそ(4454文字)

「新規アイドル育成アプリ開発にあたりアイディア募集……」
出社してパソコンを立ちあげると、
社内ポータルにそんな見出しが挙がっていた。

でも私には関係のない話。
私の所属は人事総務部だからだ。
全社的にはフレックスで在宅勤務中心の人も多いのだけれど、
派遣社員に関しては出社が基本だし、
部署自体もほかの部署に比べれば在宅勤務の割合は少なく、
8時45分を回るとだいたいの人はそろっていることが多い。

人の気配が増えてきて、
私の頭は急速に仕事モードに切り替わっていく。


「みゆみゆ、新しいアプリのアイディア募集の記事見た?」

社内のカフェテリアで
今日の日替わりランチをまさに口に運ぼうとした時、
先輩社員の根本さんが切り込んできた。

「見出しだけ見ました」
答えてフォークに刺したキッシュを口に放り込む。
「え、なんでよ」
「だってうち、人総じゃないですか」
「何言ってんの。あの手の募集は部署問わずよ」
「それに私派遣社員ですし」
「それも関係ないわよ。雇用形態も問わないの」
「恵太さん」
「メグミン。わざと下の名前で呼ぶのやめてもらえる!?」
「メグミン…なんでそんなに推してくるんですか」

根本さんは根本恵太さんといって…
れっきとした男性だが、聞いての通りのオネエさんだ。
妙に気が合ってこうして一緒にランチしたり買い物したり
飲みに行ったりしている仲なのだが。

「だって賞金付きよ!? 
みゆみゆ、派遣社員のお給料大変だっていつも言ってるじゃない。
チャンスはどんどん掴んでいかないと!」
「はぁ……」
「あ、そうだ。みゆみゆ、八階のアレまだ使ったことないわよね?」
「八階のアレ?」
「ヘヴンズゲートの最上位最新機種よ」
「使ったことないです」
「ならアイディア出しのために午後使ってみなさいよ。
派遣さんだって使っていいんだから。
今日は午後、仕事あまりないんだし」
「えー…なんか…気が引けるんですけど…遊びみたいで……」
「みゆみゆったら真・面・目っ! 
せっかくこの会社に勤めてるんだし、
会社がいいって言ってるんだからいいの! 
ね、ほら、決まり! 私が今代理申請してあげるから~」
メグミンは会社貸与の携帯端末を取り出すと
あっさり申請を終わらせた。
「席に戻ったら募集記事、ちゃんと確認しとくのよ!?
使用は十四時からね~」

メグミンに言われた通り記事のリンクを開くと、
新規アイドル育成アプリ開発にあたり、
過去の実在アイドルをキャラクター化することになり、
アイディアを募集するとある。
確かに対象は
「全社員(契約社員・アルバイト・派遣社員含む)」
となっていた。

「過去の実在アイドル…」
歴史上の人物をキャラクター化するというのは、
今まで数知れず行われてきたことではあるが、
今回はアイドルに特化してということで、
確かにそれはあまり聞かなかった気がする。

目新しさを狙うなら逆に古いものの方がいいのだろうか。
試しに女性アイドルグループについて検索してみると
どうも一九五○年代あたりの発祥らしい。
一九七○年代なら
オレンジガール、ドロップス、ルンルン・レンレン、
一九八○年代はTwinkle、マドモアゼル・マドモアゼル、
こにゃんこサークル、なんなのこにゃんこサークルって……
一九九○年代にはヴィテス、ノノ、椿っ子同盟つばき班…
これまでかなりの数のアイドルグループが存在してきたようだ。
どうやら一九七○年頃から
女性アイドルグループの活動は活発化したらしい。
その辺りから二○○○年くらいのあたりの文化を
体験できるデータを選べば良さそうだ。

なんとなくリンク先へ飛んだオレンジガールは
子供たちが熱心に振付を覚えたり、
あらゆる商品とタイアップしたり、
海外進出したり、当時はとてつもない人気であったらしい。
今に比べたら娯楽の少ない時代だから人気が集中したのだろう。
調べているうちにすっかり夢中になっていたところで、
パソコンにポップアップが表れた。

【8階、研修室C、ヘヴンズゲート予約、14時】

ヘヴンズゲートというのはいわゆる最先端のVR。
カプセル型の仮想現実体験機だ。
中に入って脇のボタンを押し、
カプセルを閉じると、空中タッチパネルが現れる。
このタイプのタッチパネルはまだちょっと慣れない。
音声操作に切り替えもできるが、声を出す方が恥ずかしいので
そのまま宙に浮かんだタッチパネルで操作を進める。

データの内容を検索しようとした時、手が滑った。
その時おすすめに表示されていたデータについて、
スタートするかどうかの確認画面が出てしまう。
私は慌ててキャンセルに触れた…つもりだった。
しかし、触れていたのはOKの方だったらしい。

こういったものはたいてい
ダウンロードするかどうかから確認が入るところ、
こちらは会社の備品で、
予め会社がNGと判断した内容のデータはブロックされており、
そこに問題がなければダウンロードの確認などは
飛ばされる設定になっていたようだ。
しかもメグミンが言っていた。
「一応研修ってことになってるから途中で中断できないのよね~ 
うっかり退屈な内容に当たっちゃうと
終わった時にはもうぐったりよ」

少々パニックを起こしている間にダウンロードが終わり、
私の仮想現実体験はスタートしてしまったのだ……
自分が選択したデータが何だったのか
ほとんど見えていなかった。
アイドルの文字はあった気がするが……




私は高層ビルの前に立っていた。

周りには似たようなビルが立ち並び、
スーツ姿のサラリーマンやOLが行き来している。
時代は明らかに現代か、それに近い時代だ。
一体この先何が起こってしまうのか…

不意に肩を叩かれる。
長い髪をビル風になびかせた背の高いスーツ姿の美女が
にこやかに笑っていた。

「ねえ、あなた、アイドルやる気ない?」
「は?」
「ア・イ・ド・ル。やる気ない?」

呆気に取られてぼうっとしてしまった。
「なーんてね。小西さん、山名さんよろしく」
突然、女性が二人、私の両脇に立ったかと思うと、
背の低い方が私のバッグを奪い去り、
背の高い方が私を横抱きに抱えあげたのだ。

「なななななにするんですか!!」
「あなた絶対アイドルに向いてるから、ちょっとお話ししたいの」
手足をばたつかせて暴れてみるが、
私を抱える女性は微動だにしない。
「私、もう二七歳なので! アイドルとか意味わかりません!!」
「年齢なんてどうでもいいのよ。
帝都ホテルの最高級スイーツもごちそうするから。
お話ししましょ」

私はそのまま目の前のビルに連れ込まれ、
女性三人と共にエレベーターに乗り込むことになった。
「IDカードがないとここでは一切のドアが開かないし、
エレベーターも使えないの。目的地は七七階だし。
逃げようとしても無駄よ」
美女は優雅に微笑む。
私が少し暴れたくらいでは
私を抱えている女性が振り切れないのはわかったので、
私は黙っておとなしくしていた。
「こんな脅すような言い方してごめんなさいね。
でもあなたにお願いするしかないの。
詳しいことは社長室で話すわ」
美女が急に静かで真面目な声音になる。
エレベーターの外が
どんどん遠くを見晴らせるようになっていくのを
視界に入れながら、
私は美女の横顔を見つめた。

目の前の紅茶がかぐわしい香りを漂わせている。
「さあ、召し上がれ。ここにあるケーキ、
いくらでも食べていいのよ」
テーブルの上には二十種類ほどのケーキが並んでいた。
どれも美術品のごとく美しい、
これまで直接目にしたこともないようなケーキだった。
地方出身だしご縁もないことで、
帝都ホテルなんて今まで行ったこともない。
私の中では
「セレブでないと味わえない」ことになっている世界が
目の前に広がっている。
「遠慮しないで。
ケーキを食べようが食べまいが未来は変わらないから」
美女がまた優雅に微笑んだ。言ってることが怖い。
「あら、すぐに脅しちゃうわ。本当にごめんなさい。
持って生まれた性格なの。許してちょうだいね」
食べても食べなくても未来が変わらないというのなら食べてやれ。
私はピスタチオ味らしきケーキの皿を自分の前に引き寄せた。

そういえば今はVR体験中だった。
慌てふためき、そして驚きすぎて忘れていた。
VRって味はどうなんだろう。
でも紅茶の香りはしたし、きっとケーキもおいしいに違いない。

ケーキを切り分けて口へ運ぶ。
濃厚なピスタチオのムースだが、しつこさはなく、
夢のようにとろける。
VR体験中だけに。

ああ幸せ。

ふにゃふにゃとだらしない笑みを浮かべていたと思う。
でもおいしいものは仕方ない。
「気に入ってくれたようで何よりだわ。
さて、一息ついたところでお話の方なんだけど」

ケーキで味わった夢心地がとたんに薄れる。
美女が美しい所作で胸ポケットの名刺入れから名刺を取り出すと、
私の前に置いた。
「私はアマノプロダクション代表取締役社長、森里小雪と申します」
「アマノプロダクション……」
不意にいくつかの映像が頭をよぎる。
これは仮想現実用の記憶のようだ。
どうやらアマノプロダクションというのは、
この世界の大手芸能プロダクションであるらしい。

「耳にしたことくらいはあるでしょ、
と言えるくらいには大手を自負してるわ。
それでね。あなたにはうちの全面的、そして全力のサポートの元、
アイドルをやってもらいたいの」
「な、なんでですか。
私顔もスタイルも大したことないし、
歌もダンスもできないし、二七歳だし…」
「あら、ずいぶんとご謙遜だこと。
今までスカウトされたことない?」

ないです、と言いかけて左の壁に大きな鏡があるのに気づいた。
ピスタチオのケーキと紅茶を手元に置き、
美女の前に座っているのは見たことのない女性だった。
控えめに言ってもかわいい部類だ。手足もスラリと伸びている。
「な…ないです……」
さっきのように映像がよぎらないあたり、
スカウトの経験はないことになっているようだが、
少々動揺しながらの答えになった。
「こんなかわいい子に今まで誰も目をつけなかったとはねぇ…
ま、うちもだけど。
歌やダンスは最高の講師のレッスンをつけるし…
まあほかにもあるから心配しないで…
ってそういえばお名前も聞いてなかったわね。教えてくれる?」
「増田美結、です」
「みゆいちゃん、ね。お仕事は?」
ゲーム会社の人事総務部で派遣社員してます
と答えそうになったが、設定は違うらしい。
「先月派遣の契約が切れて、
次の契約をする前に海外旅行に行って帰ってきたところです」
なんというご都合主義か。面倒な条件は排除されているらしい。
「あらちょうどいいわね。
根回しなんて造作もないけど面倒事が少ないのは助かるわ」
「はぁ……」
「それでね、ここからが…本題みたいなものなんだけど……」
「本題?」
「ツキノ、出てきていいわよ」
ポン!と音がすると
テーブルの上に白いうさぎの…ぬいぐるみが現れた。
「あーやっと出てこられた~ ね、小雪これ食べていい?」
「しゃべった…うごいた…」
「食い気より先に仕事してもらえるかしら」
「えー…」
「事態は急を要するってあんたが言ったのよ」
「仕方ないなぁ」

動いてしゃべるうさぎのぬいぐるみ…みたいなものは
くるりとこちらを向いた。
その赤い目と私の目が合うと
心臓がドクンと大きく跳ねて、私は胸を押さえる。

「僕はツキノ。君、ますだみゆいには
アマプロと契約してアイドルになってほしいんだ」
心臓がドクンドクンとうるさく音を立て続けている。
「そして、この国の人たちから
陽の気をたくさんたくさんたくさーん集めて……
この世界を救ってほしい。
君は選ばれたんだ。アマテラスオオミカミ様に」


この日、私はアマノプロダクションと契約した。
そして二ヶ月後、年齢非公開の新人アイドルソロプロジェクト、
アマテラスとしてデビューし、レコーディングにライブに、
そして世界を救うための戦いに奔走することになる……


と、これはもちろん体験上の話。
約三時間で一年分の経験をして、
メグミンの言う通り、いやおそらくそれ以上のぐったり具合で
研修室を出る羽目になった。

ドアを力なく閉め、ため息をついてから歩き出そうとした時、
「みゆみゆっ、どうだった?」
と聞き慣れた声がした。
「顔みておわかりかと思いますけど」
「あら、大変だったのね、アマテラス」
「は!?」
「みゆみゆ、いや、アマテラス。
私…スサノオと世界を救ってくれないか」

メグミンが私の知らない顔でそう告げる。
知らない顔の彼の背後から、白いフワフワが近づいてくる。

その赤い目と私の目が合い、
心臓がドクン、と大きく音を立てた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?