映画『新聞記者』をみた。
地元の小さな映画館で、この映画がかかるのを待っていた。
久しぶりに邦画を見た。
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静かな静かなはじまり。
吉岡の息遣い、紙をめくる音、ペンを走らせる音、見ているのか見ていないのかわからない討論番組。
杉原の眼差し、ブルーライト、閉塞感、一本のメール、電話、物語をスタートさせる一言。
ドキドキした。
この映画は、フィクションだけどフィクションじゃないんだ、と思った。
だけどその「フィクションじゃない」ことの、どこからどこまでを、私は正しく知っているor知らされているんだろう。
何か情報が出てきて、それを映画の中のあの人が言ったみたいに「正しいかどうか決めるのは国民だ」と言われた時、その情報の何を信じて判断したらいいんだろう。
勉強していかなくては。
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ずっと照明の色や光の向きが気になっていた。
白色灯のあたたかな色に包まれた吉岡の部屋は、彼女の父に見守られているかのようだった。
パソコンの画面の光が印象的な内調室の風景は、冷たく閉鎖的で、人間味が無く、外界に情報発信している場所のはずなのに外界から隔離された場所にも見えた。
新聞社のオフィスは自然光が大きな窓から入ってくる、この映画の重い空気の中にさすひとつの希望のような気がした。
そして、シム・ウンギョンさんの素晴らしさ。
感情の起伏、信念、ゆらぎ。表情にひきこまれた。
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見てる間ずっとモヤモヤしていて、見終わって5時間たつ今でもモヤモヤしている。
だけど彼らの物語はきっと今も終わっていなくて、私たちの物語もまだ終わっていないのだから、このモヤモヤは、諦めちゃいけないんだと思う。
終わってないなら、変えられることもあるはずだと思いたい。
『誰よりも、自分を信じ疑え』
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