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別れを惜しむ人たち

五反田駅から1km離れた会議室で仕事を終えた。時間は21時を過ぎていた。
この日は、会議室があるビルの入り口がわからず、目的地の近くをナビで見ながら30分ほど歩いた関係で、非常に疲れていた。
そんな中、満員というほどではないが、まだまだ密集度の高い電車に乗る。
揺られて10分ほどで、乗換駅の品川に到着した。
品川駅は21時を過ぎているというのに、これまた人が多かった。
階段をのぼれば、背負っているリュックサックに頭突きしてくる、酔っぱらったサラリーマン。
携帯を見ながら全速力でぶつかってきた後に睨んでくるおじさん。
なるほど、本日は"こういう日"なんだなと思った。
一息入れようと、改札前の NewDays で炭酸飲料を買う。キャップを回すと溢れ出るジュース。 "こういう日"あるある……。
少しだけ量の減ったジュースを飲みながら、ふと改札を目線をやると、二人組が。
恋人同士だろうか。一方は胸に顔を埋めて、微動だにしない。もう一方は困ったような表情で頭を優しく撫でていた。
目線を外すと、今度は改札前でわいわいと盛り上がっている集団が。おそらく友人達なのだろうな。また明日!またな!声をかけあっていた。

いずれも別れを惜しむワンシーン。僕は少しだけホッとした気持ちになる。
僕は別れを惜しむという行為には、幸せというか、なんだろう、ポジティブな気持ちにあふれていると思うからだ。
もちろんこんなものは一方的な決めつけだ。別れを惜しんでいる当事者はそんなことを思われてはたまったものではないだろう。
僕だって、当事者になれば別れを惜しむが、それ以上に別れることが余り好きではない。好きではないことが、他者の事柄になるといいなあと考えてしまうのは、わがままだろうか。

別れを惜しむ言葉には、また会える保証なんてどこにもないのにも関わらず、再会することをどこかで確信しているような言葉が多いように思う。
こんなポジティブで、幸せを願う言葉ってないよなあ。
ばいばい、またあした、またこんど、またいつか。

Photo by Robby McCullough on Unsplash


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