幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その12

 歴史から抹消された『兵庫県民歌』と同じ旋律の校歌を持つ学校が神戸に存在した。しかし、何故『兵庫県民歌』の旋律が校歌に転用されたかの経緯は謎に包まれている。

■本庄小学校の謎

 神戸市東灘区の阪神青木(おおぎ)駅近くにある神戸市立本庄小学校は1899年(明治32年)に武庫郡本庄村立本庄尋常小学校として開校した。飛鳥建築を思わせる五重の相輪が付いた西洋風の屋根がシンボルで、現在の校舎は1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の後に建て替えられ隣に建つ本庄中学校とグラウンドを共有するなど防災機能が強化された。

 本庄小の初代校歌は開校時から大正半ばまでの尋常小学校の時代に、2代目の校歌は大正後期から戦争が終わるまでの国民学校の時代にそれぞれ歌われていたそうである。現在の校歌は3代目に当たり、1947年(昭和22年)に制定されたものだそうだが驚くべきことに「作曲者不詳」とされるこの校歌の旋律は同年に制定された『兵庫県民歌』とほとんど同じものであった。

校歌(神戸市立本庄小学校) - 歌詞・楽譜
本庄小学校校歌(神戸市小学校教育研究会音楽部) - MIDI試聴可

『兵庫県民歌』が全4番構成なのに対して本庄小の校歌は全3番からなり、当然ながら歌詞はほとんど別物である。「作曲者不詳」とされている点も怪しいが、信時潔の原曲をほとんどそのままインスパイアしていることは間違いないと思われる。
 問題は、制定されて間もない『兵庫県民歌』の旋律が何故この小学校の校歌に転用され、そして県民歌の存在が歴史から抹消されて久しい68年後の現在まで“保存”され続けて来たのか? と言うことである。何ぶん古い時期のことで資料もほとんど残っていない可能性が高いが、この校歌の存在は県の歴史から抹消された県民歌が確かに制定されていた事実を裏付ける傍証として非常に興味深い。

 校歌と言えば、日本で最も無名の『兵庫県民歌』とは対極の存在であり「県民歌の中の県民歌」として不動の地位を築いている『信濃の国』も元は長野県師範学校附属小学校(現在の信州大学教育学部附属長野小学校)で地理唱歌として作成され、校歌に採用された経緯を持つことで有名である。
 一方は校歌から登り詰めて一世紀余りの長きにわたり県全体のシンボルとしての燦たる地位を確立し、一方は県から存在自体を全否定されるほどに貶められながらも形を変え校歌として歌い継がれて来た。歌詞の構成も地理唱歌として県(厳密には令制国)全域を余すところなく取り上げている『信濃の国』と、明治政府の主導で他に類を見ない「連邦国家」として誕生した経緯から地域の情景をバッサリと割愛せざるを得なかった『兵庫県民歌』は至って対極的である。
『兵庫県民歌』に限らず同時期に制定された「復興県民歌」の多くは、戦前からの『信濃の国』の圧倒的な人気に掻き消された『長野県民歌』に代表されるように不遇のままフェイドアウトして行った。
 なお『兵庫県民歌』が神戸の兵庫県議会議事堂で初演奏されたのと同じ1947年(昭和22年)5月3日に東京で演奏された新憲法施行記念国民歌『われらの日本』(作詞:土岐善麿)、また5年後にサンフランシスコ講和条約発効および憲法施行5周年を記念して作られた『日本のあさあけ』(作詞:斎藤茂吉)の両曲とも『兵庫県民歌』と同じく信時潔の作曲である。『日本のあさあけ』の歌詞は以下の通り。

一 、
 ひむがしに 茜(あかね)かがよひ 祖先(とおつおや)
 生まれし国土(くにつち) あらた代に 今こそ映(は)ゆれ
 見はるかす 小野(をの)も木原(きはら)も 香(か)ごもりて
 幸(さきは)ふごとし もろともに 祝(ほ)がざらめやも

二 、
 あたらしき 朝明(あさあけ)にして 峰々(みねみね)の
 とほきそぎへに 雲はるか 常若(とこわか)の国
 むらぎもの 心さやけく 澄みとほる
 光(ひかり)こそ見め とことはに 和(のど)にあゆまむ

つづく

画像‥神戸市小学校教育研究会音楽部ホームページ


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幻の『兵庫県民歌』追跡記録

1947年の制定後、半世紀にわたり県から存在を否定されて来た幻の『兵庫県民歌』を追う。(表紙画像はPhotock使用)
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