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AI対話学習法で200日毎日勉強するチャレンジを始めたら、勉学に対する人生の呪いに気づけた話

こんにちは、852話です。
この記事は勉強しはじめのハイになってる状態での記事で、万人に当てはまるものではなく自分の気付きに対する備忘録です。

題目のは何かと言われると、本日3/18から200日間、早起きして毎日最低1時間以上(目標3時間)数学やプログラミング(主にPython)を学ぶチャレンジをするというものです。誰に強いられたわけでもなく自分でやりたくてやってるやつです。
別に資格を取るわけでもないし、明確な達成内容はないのです。ざっくりとした目的としては「根本がわからないせいでふわっと理解している様々なAI系の技術や仕組みを、もっと理解したい」「あわよくばもっと弄りたい」というところから来ています。
この願望は去年初頭の段階であったのですが、なぜ今かと言うと身の回りの環境が安定してきたからです(仕事は忙しいのですが)また、ComfyUIを使う上で「多分実装難易度そこまで高くなさそうに見えるが自分に知識がないせいで作れないちょっとした拡張機能をどうにか実装したい」という思いが強いです。

生成AI、ズブの素人が22/07/31にmidjourneyを触って、それからなんとなくで今の今までずっとやってきてるのも狂気なんですが、不勉強のままここまで来てしまったことに大変羞恥心があります。それを脱却したい。本当に界隈に頭のいい人が多いので……


で初日の今日、朝5時に起きてClaude3(ChatGPTのような文章AI)に質問したり教えてもらいつつ2-3時間Pythonの基礎基礎の基礎を学び直してたのですが、得るものがすごく多く。
というとなんかめちゃくちゃ勉強した感があるんですが実際は大した内容は進んでおらず、Pythonが分かったと言うよりAI学習のメリットと自分の学習への苦手意識と勉学不得意の根本原因がわかった、という話です。

書籍やweb記事、動画や、あるいは対人の学習
"ではなく"AIに教えてもらう形での学習法を取っている今回。
Xでもつぶやいたのですが、今まで
「書籍やwebで学ぶ方法は自分のペースでできるが人間が介在してないから躓いたときに質問できないというのがデメリットだな」と言う思いがあり
とはいえ「対人で学ぶ方法には理解が進むが相手がいるため無駄な質問ばかりしては申し訳ない(嫌がられる)と感じるのがデメリットだ」と思っていました。
自分は対人学習に苦手意識があり、主に独学で前述の書籍や動画などで学ぶ方法を多く選択してきた人生で、そして、学習結果は残念ながら芳しくなかったです。躓くたびにそこで止まってしまって次に進めなくなるからです。
そんな中ででてきたテキスト系AIに尋ねるやり方での学習法。

もうすごいです。なんでもすぐ聞けます。大体正確な内容が素早く返ってきます。何度でも聞けます。いつまででも次のステップへ進むことを待たせることが出来ます。

と言うのは半年以上前、AI学習法についてGPT登場初期にも何人もの方が触れていました。
話題にはなったものの、今主流かと言われると別にそうでもないのかな……というのが体感です。
自分の体験はそことは少し話がずれます。
今まで自分も、AI学習法は便利だなと感じており
AIには感情がないから何でも聞けるよな、と理解していました。
怒られないし、嫌がられないし、嫌われないって最高だよな。と。
が、今日まで自分も大多数の一般人と同じ様に「便利だけど、結局動機と目標なきゃ続かないんだよな、勉強」と触りだけ触れてそれまでの日常に戻ってました。

しかし自分にとってのAI学習法の真価がそこではないことに、今日偶然気付くことが出来ました。

「AIは感情がないからいい」というの間違いではありませんでしたが、
自分にとっては「AIは時間を持たないからいい」と言う事実が、ものすごく重要だということがわかったのです。
愕然としました。

勿論AIにも時間の計測は出来るんですがそういうことではなく、
「レスポンスはあるのにAIは生物ではないので、勉強するたびに『自分は相手(AI)の時間を奪っている』と感じる必要がない」
という部分のことです。

自分の学びに対する苦手意識の大半がここで解消できるんです。
自分にとっての対人学習のネックが「怒られる」とか「どう見られるか」とかの自分に向いたものではなく「相手の人生の時間を奪っている(無駄にさせている)」という思考回路だったのに気付いた、という話です。

これは自分語りかつ自分の人生の恥部ですが、幼少期(小学校卒業周辺までを想定しています)の対親との教育の中で両親に「そんなこともわからないのか」とか「無駄な時間使わせて」とか「やってやったのに」とかそのままでない表現にせよ言われた体験があります。(これは自分の学習速度が低いことに起因しているため振り返れば当時忙しかった親の苛立ちも理解できないことはないです)

自分のせいで相手(親)の時間を奪っている。申し訳ない。これが人に教えを請うことのハードルの高さ、特に「勉強が出来ないことに加えて人に勉強を教えてもらうことに対する罪悪感」を相当生んでいました。そこを今まで「自分は他人の顔色を伺っているから勉強に関する質問ができないのだ、わからないことがわからないから質問できないのだ」と誤解していました。
似ていますが厳密にはその2つは違うものです。
これは自分が自分に対してかけていた呪いでもあります。
呪いのせいで凄まじい悪循環にハマってました。
その呪いが完全に溶けた訳では無いにせよ、その呪いに気づけたこと、その呪いを持ちつつも勉強する術があることに気づけた(AIが出てきてそういう時代になった)のが救い。
AI勉強法で、しかも初日に気付けたのがでかい。
AI学習法がコンテンツ学習と対人学習のいいとこ取りで感動しています。

数日前自分はXで自分が勉強ができないことに対する無念と劣等感を語りましたが、それは自虐と言うよりはまあまあ事実として人生に横たわっていて、これから一生向き合っていくしかないんだなと思っていました。
小学生レベルから勉強をやり直したいがまあもう三十代入ったし中々学び直しも出来ないよなと。(その時点で勉学に対するどでかい罪悪感があったからなおさら)

その呪いがもしかしたらAIのお陰で緩和できるかもしれない。正直この希望だけで200日チャレンジを開始した甲斐がありました。

初日のPythonの勉強内容としては基礎をやっただけですが、inputで入力を促しwhileとif文で分岐を作るのがこんなにも面白いと思わなかったんです。ド基礎の初歩ですが、今日まで「コードをなんとなく言われた通りになぞることは出来ても」「正しく理解できてなかった」のが少しだけわかるようになりました。Python、実は自分が思っているよりも(入口は)単純でめちゃくちゃ面白いのではないか!?と視界が開けたような思いです。楽しいです。

あとは根本的に雰囲気で使っていたVSCの使い方チェックし直したのがでかいです。自分で「説明書読まない人多いよな」と数日前Xで呟きましたが自分にブーメラン刺さりました。説明書(公式ドキュメントや解説)を見るの本当に死ぬほど大事だ。

これから10月くらいまで毎日少しずつ勉強していった先に何があるかは全く未知数ですが……今よりもっと楽しい世界が広がっていますように。

まあ多分その間にGPT5とか凄まじい技術が出てきてひっくり返る可能性も大きいですが今は勉強することが楽しい。


おわり

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