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さいごの一息で 「ほら、笑え」

事故に倒れた弟が、三日ぶりに帰宅した。
さいごに彼が言った気がした。「ほら、笑え!」って。

✂︎

弟の友真が亡くなって、今日で6年が経つ。

ここ最近、自動車事故のニュースが多くて、胸が痛い。
友真も事故死だったから。

ノーブレーキで後ろから突っ込まれて、十何メートルも吹っ飛んだ。
ほぼ即死だったらしい。

視界が開けているだだっぴろい農道でも、そんなことが起こる。
ありえないことは、起こるんだよなあ。

ほんと、ずっと、やるせないや。



いつまでも忘れられないの。

ツンとした薬のにおい。繋がれた機械の音。
友真の大きな手の感触。窓からみえる突き抜けるような青空。

ぜんぶぜんぶ忘れられない。でも、忘れたくもない。

ざらざらと固くて、男の子の手だった。
わたし、そんなの知らなかった。もう立派に大人になってたんだって。
19歳の彼について、知らないことばかりだった。もっと話をしたかった。

苦しい。悲しい。もう二度と会えない。つらい。


彼が事故にあった19日から、息をひきとった今日、22日。
そして、お別れ会をした25日。

6年経っても、この1週間は誰とも会いたくない。
できるならひとりで静かに過ごしたい。
その気持ちは変わらなかった。

来年は少しでも心持ちが違っていたらいいなと思う反面、
過去と、今と、未来と、向き合う大事な時間だとも思う。

愛する人が死にゆくために要した時間をかけて、
わたしは生きているよろこびについて、考える。

気持ちが抑えきれなくて泣いてしまったり、いまでもする。

でもそれは、仕方のないことなんだ。
だって、いまでも大好きで大切で、愛しているから。



誰にも話したことのない話を、ひとつだけします。


「さいごの一息」って言葉、あるじゃない。
物事の終盤に力を出し尽くすことって意味らしいんだけど。

わたし、6年前の今日、「さいごの一息」をみたの。

友真、さいごに笑ったんだよ。
霊安室から、家に帰ってきて。
さっきまで苦しそうな顔してたのに。
リビングに入ってすぐ、笑ったの。

さいしょに気づいたのは、おかあさんだったかな。

みんなで笑ってる彼を囲んで
「家帰ってこれてうれしいんやなあっ」って
「こんなときまでノンキな子やなあっ」って

泣きながら笑った。みんなで笑った。

友真が、笑う。
お父さんが、お母さんが、お兄ちゃんが、笑う。
友真の彼女が、友だちが、笑う。
わたしも、笑う。
みんなで輪になって、笑う。

なみだでぐちゃぐちゃだったけど、みんなで顔見合わせて笑ったの。

彼がさいごに望んだこと。
力を出し尽くしてさいごにやりたかったこと。

みんなで笑うことだったんだ。

泣きっ面のわたしたち、
友真に「ほら、笑え!」とほっぺを叩かれているみたいだったな。

さいごの一息で「ほら、笑え」か。

どこまでも、やさしい子だった。
死んでほしく、なかった。

苦しい。悲しい。もう二度と会えない。つらい。
でも、前向いて行くしかない。



あなたは、今日、笑えていますか?

わたしは、今は、泣いています。
だけどそれ以上に、いつも笑っています。
なんだかんだ、毎日、楽しいよ。

死んでしまった愛する人と共に、人生を歩む。
それは、簡単なことじゃない。
正直しんどいけど、逃げ出すことも、忘れることも、したくない。

だからわたしは、精一杯生きて、手ごたえを届ける。
「おねえちゃんには、しあわせになってほしい!」と屈託のない笑顔で言ってくれた友真の、期待にこたえたい。

わたしはこれからも、生きて、書いていく。
そして、しあわせになる。


いま「すずらんを贈るよ。」という話を作っています。
まだプロット段階だけど、書きはじめました。

すずらんは5月の花で、「再びしあわせが訪れる」という意味を持っている。ヨーロッパでは花嫁に贈る花として有名で、5月1日にはメーデーという大切な人にすずらんの花を贈る一日があります。

弟は外国語大学に通っていて、留学費用を貯めるためのアルバイト先から帰る途中で事故に遭いました。留学先は、どうやらヨーロッパを希望していたみたいです。

6年前、ヨーロッパのことについて調べていたら、すずらんの情報にたどり着いた。「再びしあわせが訪れる」だなんてどうかしてるって思った。救われたよ。

彼が亡くなってから、自動車事故のニュースを見るたびに、意識不明の重体という文字を見るたびに、殺した相手への憎しみがよみがえる。わたしはいまだに闇を抱えていて、持て余した負の感情と戦っている。

だけどそれ以上に、残された人たちのしあわせを願いたい。と強く思う。悲しみを抱えたまま生きる父に、母に、兄に、友真の彼女や友人たちに。しあわせでいてほしい。そんな気持ちをつめこんで「すずらんを贈るよ。」を完成させたい。

どれだけ時間がかかるかわからない。
すごく先のことになるかもしれない。

でも、やってみます。


最後になったけど、わたしが毎年、この日、
おまもりのようにして聴いている曲を紹介します。

さかいゆうさんの「君と僕の挽歌」

さかいさんは、高校時代、親友を交通事故で無くしたことをきっかけに、親友の夢だったミュージシャンを目指したそうです。「君と僕の挽歌」は、亡き親友にむけて作った曲。

「淋しさは続くだろう この先も」
「思い出 増えない でも輝いてる」

ほんとうに、そのとおりだな。

友真、調子どうですか?
おねえちゃんは、いろいろあるけど、元気でやっています。

さいごまで読んでくれてありがとう!うれしいです!🌷