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遠回りの途中【小説】


男はやっと気が付いて顔を上げた。
陽に焼けた肌に、汗が丸く乗っている。

「すみません、気が付かずに」
作業服からタオルを出し
汗を拭きながら土手を上がってくる。

香澄は頭を下げながら、いえ、こちらこそ忙しい時にと言った。

「あのう、先日町内会でお聞きして、街灯が切れてしまったのをお願いしたくて伺ったのですけど」
しどろもどろで説明する香澄に男は
「えぇ大丈夫ですよ、防犯担当は私なので。そしたら電球変えますね。えっと、場所はどちらでしたか」と優しい笑顔を向けた。

香澄が住所と告げると、あぁ佐伯さんとこですねと返ってくる。香澄はお願いしますと頭を下げ、来た道を引き返した。
少し歩いて振り返ると男は畑に戻り、また作業をしているようだった。


香澄は後悔していた。
やっぱり田舎に戻ってくるんじゃなかった。
親の前では自然を振舞っていても、心はちっとも踊ってない。

とにかく田舎が嫌でダサく思えて仕方が無かった時、運よく都会の短大に入学出来た。
そのまま就職し、憧れていた都会での生活にも慣れ恋愛もし、結婚もした。
それは高校生の自分が思い描いた生活だったに違いない。

15年が経ち、夫婦で少しずつ補ってきた溝が、修復できないほどになった事に、香澄は気が付かない振りをし続けた。
それがずっと続くようにと願ったが、結局叶わなかった。

結婚生活が終わり、夫婦で同じ会社だった幸せが一瞬で仇に変わった。
同じ場で働き続ける強さが香澄には無かった。

結局、香澄は会社を辞め、居場所があるだろう田舎へと戻ってきたのだ。


携帯でニュースが流れるのと同じくらい
田舎の噂も流れるのが早い。
戻ってきて2日目に、見知らぬ人から通りすがりに言われたことが香澄の憂鬱の始まりだ。

「佐伯さんとこの娘さんやね。戻ってきたんやてね、仕事はどうするん?」

香澄は田舎の洗礼と思ってそれを受けた。
それからしばらく洗礼は続き、大人しい香澄もいい加減に怒りを覚え始めていた。

「ねぇ、私が戻ってきたことを何で他の人に言うの?必要がある?」
そう母に責めよったが、仕事やら何やら助かる事があるからよと一蹴されて終わった。

だから大嫌いだったんだ。
香澄は夕陽の落ちる道を一歩一歩踏みしめながら歩いた。

男はその日に、電球を交換してくれたらしい。夜、香澄の部屋の窓がぼんやりと明るい事に気が付いた。


田舎はみんな暇よね。
だから噂も早いし電球だって言ったら直ぐに付くじゃん。
都会じゃ誰に聞くのかすら分からなかったのに。


携帯で登録した派遣会社から何か連絡が入っていないかをチェックし、何もない事にがっかりする事を繰り返す毎日。
とにかく必死で携帯を見つめていたが、
電波が悪いのか今日はグルグルと回ったきりで進まない。
だから田舎は嫌い。
香澄は携帯を思い切りベットに投げた。

家にいて母の手伝いをするばかりは息が詰まる。
香澄は思い切って働く事にした。

悔しいけれど母の言葉のまま、香澄は母の知り合いの人に紹介された農協の事務員として仕事を始めた。
初めは、窓口に来た人が
お茶を飲みながら、のんびりと話していく事に驚いた。
誰も分刻みで動いていない。
何も喉を通らなかった、あの緊迫した仕事場に比べると、良いのかもしれない。
田舎も悪い事ばかりではないな、そう思い始めていた。
ちょうど香澄が戻って来て1ヶ月が経とうとしていた。


「またかい?ちゃんとお金取ったが良いよ」
係長の声で、香澄は窓口を見ると、あの男が立っていた。

「いやいや、まだ売り物に出来るほどじゃないんですよ」
男はそう言いながら、ダンボール一杯の野菜を差し出している。
あの人は確か電球を変えてくれた人、香澄は記憶にある横顔を見た。

男と係長は何やら話していたが、やがて手ぶらで帰っていった。 

「毎回貰ってばかりで申し訳ないねぇ。何か定期預金かなんかの販促物があったな、洗剤やら何やら。今度あれを持っていこうかねぇ」

係長はみんなに声を掛けた。
机に置かれたダンボールには、胡瓜やトマト、ピーマンにゴーヤなど野菜が山盛りだ。
1番に手を出すのは毎回決まって、勤続年数の長い葉山で、人数分のビニール袋を持ってきて手際良く分けている。

ここでは珍しいことでは無い。
香澄も今までに何回もお裾分けをもらっているが知らない間に机に置かれていた。
誰からか、なんて知らなかったな。
野菜はあの人からだったんだ。


香澄が帰宅し野菜を母に渡すと大喜びだった。
以前は香澄の父母も仕事の片手間に野菜を作っていたが、今は辞めてしまっている。
「毎回ありがたいよ。農協だと野菜には困らないねぇ」
胡瓜やらトマトやらを取り出しながら
あら、立派だよと笑っている。

夕食まで待てずに、香澄はトマトを洗って齧り付いた。
甘酸っぱくて、みずみずしい。
「美味しい」
香澄は自然に声が出ていた。
同時に男の陽に焼けた顔を思い出していた。
きっと私と違って幸せなんだろうな。
そんな笑顔をした男を思った。


それから数日後、出勤前に
香澄はまたあの道を歩いていた。
販促物を持っていくのは本来係長だったのだが、昨日からぎっくり腰をやってしまい
急遽、香澄に白羽の矢が立った。
幸い、一度は畑を訪れている。
香澄は迷う事なく、男の畑に着いた。

男は前と変わらず、額に雨粒の様に汗をかき
作業をしている。
声を掛けようとした香澄は、思わず固まってしまった。


男は、子どもにでも向けるよう様な優しい目を、茎に葉に注いでいる。
土に塗れた手は汚れているが所作は美しかった。

香澄にとっては野菜は野菜でしか無い。
育て、収穫し
売り物として出荷して収入にする。
ただそれだけだと思っていた。


目の前にいる男は売り物と言うより愛ていた。
「花の付きが悪いが、どうした?陽が当たらんか」
「また油虫が食いに来たな。さぞ美味かったんやろう」
男は1つ1つ確かめる様に見ては、言葉をかけていた。
香澄がそこにぼんやり立っている事に、男の方が先に気がついた。
おはようございますと、急に声を掛けられた香澄は慌てた拍子に紙袋を落としてしまい、洗剤を派手に転がしてしまった。

わぁわぁ慌てふためく香澄に、男は土手に散らばった潜在を拾い集めて紙袋へ入れた。
「本当にすいません」
すいませんを繰り返す香澄に男はかぶりを振り、いつもの笑顔で大丈夫だと言った。
香澄が野菜のお礼にと係長から頼まれた事を告げ土の付いた紙袋を渡すと
気を使わせてしまってすいません、と男は帽子を取り軽く頭を下げた。


香澄は久しぶりに土の匂いを嗅いだ。
土手の上だと分からないが、下りてくると、土や植物の匂いがする。
「朝早くにやってしまいたいので、ご用は作業しながら聞かせてもらいますよ」
男は香澄に一礼すると、スイカの受粉を始めた様だ。

雄花の花びらをそっとめくり雌花に優しく擦り付けている。
それはまるで人の交わりの様に見えた。
官能的だと魅入っていた香澄に男は声を掛けた
「やってみますか」
香澄はそれこそ動揺した。
自分のいやらしい気持ちが見えたのかと慌てたが男は淡々と同じ動作を繰り返している。

男の近くにちょこんと屈むと
男の手元を見た。
「花の下に膨らみがあるのが雌花で、これが実になるんです。こっちの膨らみが無いのが雄花。
こうやって花を摘んで、花びらを擦ると花粉同士がくっつくんですよ」
男は雄花と雌花を丁寧に優しく擦り合わせた。

香澄もそれを真似て花同士を擦り合わせる。
別に直ぐに変化は無い。
けれど香澄は夢中になって次から次へと花同士を擦り合わせ続けた。
自分が成し遂げられなかった悔しさを晴らすかのように。

「少し休みましょうか」
目の前ににゅっと、男はペットボトルの水を出した。
香澄は額の汗を拭きながら、有り難く受け取った。
「手伝ってもらったんで早く済みそうですよ」
それを聞いて香澄は時計を見ると、とうに出勤時間は過ぎていた。
以前なら慌てふためくのだろうが、香澄も田舎時間に流れの中に慣れて来ていた。
係長も話せば分かるだろうと思いつつ
ふと男に尋ねてみた。
「こちらのご出身ですか?いや、訛りが無いなと思って」

「あぁ、私は出戻りなんですよ。一度若い時に街に出たんですがね」
どうりで、と香澄が頷くと、男は土手に新聞紙を引き、香澄に勧めた。
男は、どっかりと土に座って話し出した。

「街も良かったんですけどね。
ただ仕事だけにがむしゃらになって、気が付けば自分事は後回し。まぁ、一度しかない人生なら、もう少し自分の好きに生きたいなぁと思いましてね。見様見真似で野菜なんか作ってますよ。おかげ様で道の駅なんかで少しずつ売れるようになりました」

私も、と気が付けば香澄は声を出していた。
「私も街に出ましたけど上手くいかなくて、結局ここに戻ってきてしまいました」

朝の日差しが、だんだんと照りつける強さに変わりつつあった。

「悪かった事ばかりじゃないですよね。
帰ってきたのもまぁ因果なのか縁なのか。
思うのは何処にいても、結局自分の居場所ってのは自分で見つけなきゃいかん、作らなきゃいかんと言う事ですね」
男はそういうと、香澄を見て言葉を続けた。

「私も出戻りなので田舎の煩わしさは経験しました。3年になりますか、未だに慣れず疲れる時もありますが、まぁ向こうは悪気はないんですよ。
そんな世界もあるんだと思うのが楽なんでしょうね」

それを聞いて思わず香澄は全てを話し出した。
全てが途中から狂ってしまった事。
子どもが出来ないと分かると夫の香澄への興味は一気に失われた。
夫婦2人だけの人生を謳歌する人もいるんだと
2人で話し合い
お互いの親が分かりやすい嫌味を言っても
お互いに庇い守ってきたはずだった。
しかしそれは表面だけでしか無かった。
彼は香澄とは違う人を見つけ、そして愛した。
それを人は裏切りと言うのだろうが
香澄は彼の気持ちが痛い程分かった。
分かってしまうと怒りも絶望も
矛先は自分へと向いてしまった事。話しながら香澄自身も驚いていた。
誰にも話していなかった事を
数回しか面識のない男に話す自分は何故だろう。

それでも夢中で話し続けるのを男は終始黙って聞いていた。
蝉が2人が座る横の木に止まったらしい。
唐突に始まった蝉の鳴き声が目覚ましのベルの様に香澄を土手に引き戻した。


「すいません、私の話だなんて。あぁ本当迷惑ですよね。街に出て戻って来られたと聞いて勝手に親近感なんて、本当申し訳ありません」
弾ける様に立ち上がって香澄は頭を下げた。
男も、いいえいいえと言いながら立ち上がった。

「私は思うんですよ。周り道だったり違う道だったり、それを通らなきゃ見つけられない路地道もあるんじゃないのかなと」
男は作業服の土を払いながら言った。
「私はずっと1人だったし、今も1人なので検討違いな事しか言えませんし、電球を変える事しか出来ませんけどね。
それでも私が作った野菜や果物が誰かの家の食卓に並んで、皆んなが笑いながら食べてるところを思うだけで、あぁ自分ってもんがこの世に居ても良いんだなと思えるんですよ。
私は何も出来ないと思って生きて来ましたが、田舎に戻ってきて、自分にも出来る事があるんだと思うんですよ。随分遠回りをしましたけどね」


蝉が2人の会話を遮るように激しく鳴いている。
「お水、ありがとうございました」
香澄が頭を下げると
陽に焼けた顔はまた笑って、いいんですよと答えた。

土手を上りながら香澄は、なんであんな風にペラペラと話してしまったのかと考えていた。
土手を登りきり、振り返ると男は畑の隅にしゃがんでいる。
何だろうと目を凝らすと、小さなお地蔵様が見えた。
手を合わせる男の前に、香澄の手にある水と同じボトルが置いてあった。

お地蔵さんの為の水だったのか、香澄はそう思うと、手にしているボトルがとてつもなく大切なものに思えた。


田舎は暇だ。
遅く職場に戻った香澄を誰も問い詰め無いし、逆に暑かったろうと労いさえあった。
机の隅に置いたボトルを香澄は一日中気にしながら仕事を終えた。

次の日は土曜日で、休みだった香澄は
朝早く出かけた。
夏でも、こんなに早いと涼しいものだ。
田舎道を歩きながら自分が少しだけ軽い足取りな事に香澄は気が付いていた。私と似てる人が居る、そう思うと心強かった。


男はその日も朝から畑に来た。
いつものようにお地蔵様の水とお菓子を持って。
朝に新しいものを置き、帰りに持ち帰るのが常となっている。
昨日は急なことで、水があげれず喉が渇いたろう
男はそう思いながら、隅を見ると
キラキラと朝陽に反射してるものが見える。
水のボトルだ。
男は、あの香澄という女性が気が付いてくれた事が嬉しかった。


それからの香澄の毎日は、
窓口でのんびりする事しか無かった。
登録していた派遣会社からのメールも芳しく無く
いつの間にか毎晩のチェックすら辞めてしまった。
私も田舎の暇な1人になったと苦笑うしかなかった。


それからしばらくした、ある日
入り口の自動ドアが開き、蝉の声が一段と大きくなったなと顔を上げると、あの男がダンボールを抱えて入ってきた。
香澄を見つけると頭を軽く下げ、近付いてくる。
「あの時、受粉を手伝ってもらったスイカがいい頃合いになりました。小玉ですが良い出来だと思いまして」
とカウンターに置いた。
艶々としたスイカが並んでいる。

「最近は収穫量も増えて卸す量も増えましたね」係長がお茶を勧めながら言うと、
「ありがたい事です。毎日ぽつぽつですが売れ残ることも無くて、本当にありがたいです」
貰い物に慣れてる葉山は、早々と香澄の隣で、すでに品定めを始めた様だ。

男はその中から一つ、スイカを取り出すと香澄の前に差し出した。
「あなたが受粉されたやつです。上手いこと実になりましたよ。是非食べてください」

すいませんと香澄が頭を下げ
上げた時にはすでに男は帰り路であった。


香澄は一つ思い出した事を係長に聞いた。



「あぁ、赤木さんだよ。昔は無口でつんけんしたイメージだったけど、こっちに戻ってきてからは随分違うなぁ。
何でも会社を早期退職したってね、今は農家だ。初めは変わってるなぁと思ったけど、今は田舎暮らしが流行りらしいからね」

係長と葉山はスイカをぽんぽんと呑気に叩き合っていた。

その夜、香澄はスイカを切った。
赤い果肉の中に黒々とした種を孕んでいる。
それはまるで子宮の中にいる赤子の様に思えた。
しばらく見ていたが香澄は静かに齧り付いた。
何故だろうか、涙が一筋、また一筋と頬を伝って行く。
赤木と言う男に全てを話した理由が分かった様な気がした。

私は誰かに話したかったんだ。それは誰でも良いと言う訳じゃない。似た様な遠回りをして来た人に話したかったんだ。


私にも見つかるだろうか、遠回り中の私にも。

香澄の受粉したスイカは艶やかで種さえも愛おしいほど赤く、そして甘かった。


処女作の続きを書いて見たいなと思っていました。長くなってしまいましたが、読んで頂けたら嬉しいです( ´ ▽ ` )


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