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人が作られる"モト"

10年前の息子の写真を見ながら
時の速さと
2度とは戻れない時間への
寂しさも感じてしまいます。

息子は10ヶ月でスタスタっと歩き出し
慌ててファーストシューズを買いに行ったら
既にサイズが13だった…と言う
怪物歴史があります。
私も手足がデカイので、そうかなぁと思ってましたが…💦
小学生になるまでが、早いスピードでデカくなり、今は緩やかです。
(私の靴は25、彼は24、因みに中1娘も24)
今も可愛いけど
10年前の彼も愛おしいなぁ。

最近の調子の悪さは
実は仕事も少なからず絡んでいるのは
薄々自覚していたのですが
先日、ある利用者の方と面談をしている時
『あぁ、これだ』と思う核みたいなものを
感じました。

それは"その人が作られているモトについて"…

私は、
障害のある方の一般就労を支援する法人に属していますが
2年前は重度の心身障害の方の余暇を一緒に考え取り組む支援をしていました。
異動があり、今の就労支援にいるのですが
余暇や生きがいを考える支援と
就労を目指す人への支援は
180度違います。

以前、私の担当の方で、
電動車椅子、身体面では、指3本しか動かせない方がいました。
私とあまり変わらない年齢。
24歳で発病し
それまでは税理士事務所でバリバリ働かれていて、見るからに知的な方。
徐々に出来る事が"出来ない"に変わっていくのは、どんだけ辛くきつい事だったか。
20代から30代、40代と少しずつ自立を奪われていく事…
私には想像すらつきません。
私が出会った時は、彼女は首が傾いても、自力では戻す事が出来無いくらいの筋力しか無く、
唯一、動く指3本で電動車椅子を操作するのですが、力が入る、とは少し違って、指を引っ掛けてレバーを引く、押すだけなので、自力で鉛筆を持ち、文字を書くことは無理でした。

彼女が余暇や生きがいを考えた時、正直あまり選択肢はありませんでした。
ご本人も、出来ない事の積み重ねで、
『自分に何が出来るか分からない』と最初は投げやりでした。
しかし、たくさん話をする中で
『働きたいな』と言う願望が見えたんです。

初めは知的な方だし、シャイですが話す事はすこぶるお上手だったので、電話交換手的なものはどうかと言う話になりました。
電話がかかって来た時に、スピーカーのボタンで対応し、内線を回す…。
電話に、色々棒やらスイッチやら取り付けてみましたが、やはり指に力が入らない事が困難さを極めて結局どれも上手くいきませんでした。

だったら、施設の案内係はどうだろうかと提案しました。
私の勤める施設は、入所と通所の両部門があり、大きくて広い上に、移築して4年目の綺麗な施設です。
県内はもとより、県外、国外からも福祉関係の視察団や利用したい方たちが見学にいらっしゃいます。
その方たちに施設の案内をしてみてはどうかと。
まずは施設の案内パンフレットを見ながら、一緒に台本を作りました。
福祉系の学生達が実習に来た時に、練習として案内をして頂きました。
ご本人は、初めは恥ずかしいとなかなか前に進まなかったのですが、数をこなすうちに、楽しいと気持ちが変わってこられ、笑顔も見られるようになりました。
でも、急激に体力が低下してしまい、半年でそれも出来なくなってしまいました。
広い施設が逆効果で、一回り案内する時に、かなりの体力を使ってしまうようでした。

『もう何も出来無いのかな…』
そんな言葉も聞きました。
私も一緒に何かを取り組む度に
彼女に辛い気持ちにさせて無いかと
ぶっちゃけ苦しくて
どうしたらいいか分からなくなっていました。

そんな時、私に研修を受ける機会がありました。
障害当事者の方々の話を聞く、と言う研修で、
生い立ちから今までを聞く機会に
私は彼女を誘ってみました。
どうせ、施設内で行われる研修なんだから
よかったら一緒に聞こうと。

私はそれまで、毎日の生活の中で
障害のある方と接する機会は、そうそうありませんでした。
銀行員時代は、全盲の方に肩を貸してバス停まで歩いた事はありますが、それくらい。
祖母の車椅子や、トイレ介助などもしましたが、身内です。
障害者と言う意識はありませんでした。

それが障害者福祉施設で働くようになって
手話でのやりとりが当たり前になり
車椅子の方とのやりとりが日常になり
少しだけれど、障害と言う事自体に違和感と言うか、戸惑いが薄くなっていた時に受けた研修でしたが、話の内容は私の想像を遥かに超えるものでした。

人が人である事を全拒否、全否定される時代から、やっとここまで来たのかと、まだここまでなのかと、本当に無知で生きてきた自分のアホさに項垂れるくらいの、障害者福祉の発展と理解。
現実を聞き、30キロのバックパックを背負った以上の、ズンとした感覚に居た私の横で、一緒に聴いた彼女は逆にキラキラしていたんです。

研修が終わった後、彼女が私に言ったのは、
『私も語りべになりたい』でした。

30キロのバックパックどころじゃ無い
頭にガツンとって、こんな事だろうと思いました。
私にはただ酷い現実を聞いた研修でしたが、彼女は『自分の事を語る』って事に何かを見出したんです。

ぶっちゃけ、その感覚は
私には無いです。
色んなことを失ってきた私だけれど
彼女とは違う。
理解出来ないなって落ち込んだけど
よくよく考えたら
人が違うんだもん、理解するって自体が
私のエゴやなって。

彼女にそれまでを謝って
一から、語りべとして活動が出来る様に
先輩語りべさん達に会って交流を深めたり…。
彼女の語りべデビューを前に私は今の部署に異動しちゃいましたけど、時折、施設を訪ねて元気な様子の彼女と会っています。

彼女は前向きです。
中途障害を受け入れるのは相当難しいのは、想像出来ます。
彼女の場合は、周りに彼女を受け止めてくれるリアルな人間関係があった。
沢山の色んな方と接する中で
そこの有無って、その後の人生に大きく作用するなって痛感する事です。
障害がある無しに関わらず、何が起きた時、自分を受け止めてくれる人がいるか…。

人が作られるモトって、理解されている、愛されている、その実感があるか無いかで全く違う事を今、毎日見ています。
周りが、理解した、愛したと言っても
本人がそう捉えてないなら、"無い"んです。
その"無い"方への接し方で、今凄く苦しいのが本音です。

彼女の様に、
障害がある上でも、進む気持ちがある人ばかりがクローズアップされますが、同じ様に、進む気持ちがない方も沢山居るのが現実。

書いてて弱音になっちゃいましたが💦
そんな私を支えてくれるのは、やっぱり彼女の様な方々の存在です。
小さなたくさんのありがとうを毎日貰いながら
働けるのは本当にありがたい事だけど
ちょっと疲れたなってのも本音です💦

とりあえず私の持ち味は、なる様になるさ、笑っとけ♪なので、明日からも動きます( ´ ▽ ` )

あー、長過ぎましたね💦
ちょっと弱音すぎました💦



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