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写真屋さんmonogram 後編〜「写真というもの」が在り続けること〜 【写真のはなし#6】

おはようございます。87_graphです。
4月もあっという間に1週間が過ぎ去っていきました。
これを書くのに少し時間がかかってしまいました。

今日は先日書いた「写真屋さん monogram  前編〜写真屋さんへ行こう〜」の続きになりますので、先のエントリーもあわせて読んでいただけると嬉しいです。


ちょっと雑談

前編を書いた後に思い出したのですが、
当時、空前のトイカメラブームがあり、ポパイカメラさんなどかなり盛況だったのを思い出しました。
ロモ、ホルガ、ダイアナ、トイカメラやりたいといって写真部に入部してくる方も多かったです。
今思うとあのブームは何だったのだろうか。
ちなみに私はvivitar ultraを持っていました。懐かしい。


東尚代写真展「死ぬ準備」/東尚代「思い出」展

さて、ここから本題です。
monogramギャラリーで先週まで、“ひさよさん”こと、monogram店長の東尚代さんが写真展を開催していました。

実は私自身、色々あってしばらくmonogramに足を運べていなかったのですが、ひさよさんが展示をやると知り、これは行かねばと足を運びました。

写真展評なんてするあれじゃないのですが、日頃よりお世話なっている感謝を込めて、感じたことを綴りたいと思います。
日記みたいなものと思って読んでいただけると嬉しいです。

東尚代写真展「死ぬ準備」/東尚代「思い出」展
作品を載せるのは抵抗があるので1枚だけ。みかんの皮。


壁に飾られた写真たちを見た私の第一印象は、「あ、ひさよさんの写真だ」でした。
全然変わっていなくって、嬉しい気持ちと懐かしい感じがわいてきました。

1枚1枚の写真にはしっかりと惹かれるものがあります。
ただその一方で、1枚1枚を言語化することは難しいもの。
それらの写真の群を「ことば」で補完し作品へと昇華させるこのプロセス。

見ているのは写真ではなく、この写真たちを撮った、この作品たちを生み出した撮影者自身なのだなと、改めて強く感じました。

「死ぬ準備」


「思い出展」では、2010年と2015年の作品が展示されていました。
そこには説明がなければ過去作だと分からない同じ世界観が広がっています。

ひさよさんの写真はずっと見ているけれど、1本通った線がある。
それを写真とことばで表現できるのは素晴らしい👏

2015年「星のために/邂逅」のひさよさん
2016年「日記展/日付入りの夢」のひさよさん

(2010年の展示も見に行ったと思うけど写真がないな〜たぶんフィルムかな〜)


いまさらかもですが、
写真は見てくれるひとがいてはじめて写真になるのでしょうか。
撮って見せたら喜んでくれるひとがいる、プリントして渡したら喜んでくれる人がいる。やがて写真は私たち撮影者の手を離れ残っていく気がします。


あとがき

ひさよさんのホームページ好きだったのですが、いつの間にクローズされていました。残念。
「オキシドール」のワードはいまだに私の中にこびりついています。
また機会があれば見せていただきたいな。
名義変えた理由も聞きそびれたので、今度伺います!


ひさよさんに謎のカメラ(名前聞いたけど忘れました。ミノルタの何か。笑)で私を撮っていただいたので、私も撮りました。
良き笑顔。

話の流れで歳の話になって、お互い良い年齢になったねと。
確かに若い頃はアトリエを作ったり、ひたすら肉を焼きながら写真談義したり(笑)、がむしゃらに生きていましたが、今となっては良い思い出です。

きょうの1枚も「死ぬ準備」の1枚に加えていただけると幸いです。

私もまた写真を撮り続けます。

87_graph


※写真の掲載についてはご本人に許可をいただいています。

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