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"花と緑あふれる町"のいま

※注意
この記事は、震災や事故にかかわる写真を掲載しています。気分を害される方はブラウザバックを推奨します。












2023年2月25日。仙台から東京方面へ南下していた私は、早起きして1本早い電車に乗れたのをいいことに、予定にはなかった場所へ降り立った。

それが、福島県富岡町にある夜ノ森駅である。


なぜこの駅で降りようと思ったのか。
時間があったというのはもちろんだが、宮城や岩手の被災地訪問は過去2回ほどしたが、福島は特急ひたちでスルーするだけだった。
だからこの際見ておこうと決めた。「現地に行くことではじめてわかることや気づかされることがある」は、被災地訪問をして以来、私の信念のようなものなのだ。


駅前は整備され、新しさが感じられた。
どうやら「花と緑あふれる町」を謳っているようだ。




でも、新しさを感じたのは、駅前だけだった。


駅前の道を少し歩くだけで、この荒れようである。

そして、すれ違う人がいない。
車が数台しかいない。


ヤマザキショップを見つけた。朝食でも買っていこうか。


閉まっていた。そりゃそうだ。営業時間すらわからない。
木の枝が入口を妨げていた。自然ってすごい。

自販機もあった。安いし一本買っていきたかった。


春になると、ここ一帯は桜並木らしい。
あと1か月くらい遅く訪問していれば…なんて思いながら、東方面へ歩く。

途中で人だかりを発見した。みな工事関係者だった。
相変わらず、地元住民らしき人はいない。

先ほどすれ違った人たちが、こうして傷ついた建物を解体していくのだろう。

このベンチが人で埋まるのはいつだろうか、なんて思いながらさらに東へ歩みを進める。

和食屋さんもあった。当たり前のように草は生い茂る。


地元でも見るケーズデンキが突如現れた。

中をのぞくと、包装紙やら台車やら靴やらが散乱していた。
あの時、何があったのだろうか。

"本日は閉店致しました"

倒されていた看板。
ゆくゆくはこの店があったこともわからなくなるだろうが、それまでの間は、役目を果たしている…のか?


2023.9.16追記

どうやらこのケーズデンキ、オープンを迎えぬまま震災を迎えてしまったそうだ。

5:53付近。
「オープン間際の…」
「オープンせずに…オープンせずに…警戒区域となったケーズデンキ」
と発言がある。


コンビニらしきものもあったが、看板が完全に剝がされている。
レンガの形から見てセブンイレブンだろうか。


しまむらも十数年の間、「休業日」である。


こちらは、さらに惨々たる光景が広がっていた。


倒されたカート。散らばった靴。落ちた天井。
何が起きたのか想像に難くない光景だった。


店舗横の窓ガラスはほぼ完全に割れており、中を覗くことは容易だった。

足を進めると「パリッ」という音がした。
その足元には、ガラスの破片があった。

震災遺構は、安全のために直接遺構に触れられるということはまずない。
しかしこうした体験もすることで、はじめて理解は深まるのではないか。そんなことを考えていた。


時間が足りない。ここでの滞在時間は1時間ほど取っていたが、全然足りなかった。小走りで夜ノ森駅へ戻った。

結局、あの工事関係者以外、人とすれ違うことはなかった。
つまり地元の人は誰一人いなかった。

3月7日の読売新聞に、次のような記事があった。

11市町村の避難指示区域からは、約8万8000人が県内外に避難した。解除後の居住人口は約1万6000人で、事故前の約18%にとどまる。放射線量の高い帰還困難区域の一部に設けた特定復興再生拠点区域(復興拠点)でも、昨年は双葉町のほか、葛尾村、大熊町が解除し、今春も浪江町、富岡町、飯館村が解除を目指すが、厳しい状況は同じだ。

2023年3月7日読売新聞1面「東日本大震災12年 新たな課題②」より

地元の人がいなかった理由が、数値で見ると納得してしまう。


2分遅れの電車でこの地をあとにした。小走りした意味とは。




改めて、現地へ行くことの大切さを知った時間だった。

新聞で引用した通り、富岡町の復興拠点は今春解除される予定だ。12年が経過して、ようやく元いた場所に戻れるのだ。

この12年で失ったものは計り知れない。
今後、どのような土地利用がなされていくのだろうか。

機会があれば、近いうちに訪れたい。
次に来た時は「花と緑あふれる町」であることを祈って。


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