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『蝦夷』にあこがれる!

『蝦夷』って、古代東北から北海道の地域に住んでいる人たちに対しての差別的に使われた言葉といわれているのですが、ほんとうにそうなんですかね?

私は、小中で歴史を習った時に最初に感じた違和感は『蘇我蝦夷』『そがのえみし』
言わずもがな、大化の改新で滅ぼされた一族の長の名前です。滅ぼされたといえど日本の国を牛耳っていた一族の長が、なんで、未開の土地に住む人々・半ば差別的に呼ばれている人たちの呼称を自分の名前にしたのか?ということ。

その疑問は、ずーっとあって、
『蝦夷』って『えびす』とも読むし、エビス様って七福神 唯一の日本の神様だし。

中国の最古の王朝「夏王朝」の時に、力の及ばない東西南北の地域への呼び方があったんですが、東側の地域を『東夷』こちらも『えみし』と呼んでいたんですよね。しかも、その名の意味って、えびを食べる人たちって意味。むしろ、それって自分達とは、違う民として、その違いを認めていた事なのではないかな?と思うんですよね。

とか、なんとか、、、
私は、『蝦夷』という言葉に差別用語ではなく、憧れとか、むしろ、誇りのような感覚を持っているんです。父親が岩手出身なので、なおさらかもしれません。

去年、北海道でアイヌの民族共生象徴空間『ウポポイ』が出来、アイヌの人たちへの差別的な対応がクローズアップされるなど、色々な意味で、北の人たち(南の人たちもかな?)を低く見る事って、今までまだ続いている事なんだな。ってあらためて思うのですが。。。

北の民の事は、まだまだ沢山書きたい事があるのですが、こう言う話しも不思議と集まってくるというか、流れ込んでくる感覚があり、これもまたスピリチュアルなのか?と思ってしまいます。

こちらは、『縄文・蝦夷 魂の考察』として、まとめていきたいと思います。
こちらに興味がある方は、是非 コメントくださいね。

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