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I'll be back to J league.

皆さんあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

浅川隼人のファンの皆様。
いつもどんな時も応援ありがとうございます。

ご報告大変長らくお待たせしました。

本日リリースがありました通り、2022シーズンから奈良クラブに移籍することを決めました。

シーズンが終わってからの1ヶ月。
毎日自問自答を重ね、自分は何をしたいのか、どうありたいのかを考えてきました。

そうして出てきたのが『奈良クラブ』に移籍するという決断でした。

ここからなぜ奈良クラブに移籍したのか。
そして、改めて浅川隼人は何を大切にし、何を目指していくのかを書いていこうと思います。

自分の気持ちに正直に真っ直ぐ書かせて頂きます。
では、最後まで読んで頂けたらと思います。

Jリーガーになった日

4年前の今日。
僕は念願のJリーガーになりました。

小さい頃から憧れたJリーガー。
1つの夢を叶えた瞬間でした。

思えば大学2年生の頃の4送会で、4年生の進路を聞いた時、初めてJリーガーにならなくても、サッカーができる環境があることを知りました。

Jリーガーになれなかったら大好きなサッカーができないと思っていた自分には衝撃的な事実でした。

その時に『なぜJリーガーになりたいと思ったのか』ということを自問自答しました。

そして出てきたのが、僕が2002年に中村俊輔選手に夢をもらったように自分も『子供達に夢や希望を与えたい』という夢がでした。
※今は夢を追い続けられる環境をつくるという夢にスケールアップしました。

その夢になってから最低でもJリーガーである必要があると思い、どんな形であれJリーガーになりたい一心でY.S.C.C.の一般セレクションを受け、2018.1.18にJリーガーになることができました。

Jリーガーだった4年間

Jリーグに入って4年。
Jリーグの良いところをたくさん知ることができました。

少しだけ4年間の思い出を振り返りたいと思います。

2018年シーズンから2年間Y.S.C.C.に所属しました。

1年目は1試合も出場が叶いませんでしたが、2年目にフルで出場することができ、13点7アシストでロアッソ熊本に移籍することになりました。

この2年間はアマチュア選手として、年俸が0円。

1年目はJリーガーの傍ら、アルバイトなどをして生活をしていましたが、2年目からはレンタルJリーガーという活動のみで生活をさせてもらっていました。

セブ島ボランティアサッカー教室でクラウドファンディングを立ち上げたり、今の活動の原点となる活動を数多くしてきました。

この2年間で、浅川隼人の土台ができた気がします。
サッカー選手としても、大きく成長させてもらった2年間でした。

本当にありがとうございました。

2020年シーズンからはロアッソ熊本に加入して、2シーズンを戦いました。

2シーズンでの記録は15ゴール1アシスト。

本当に沢山の思い出があります。

加入した直後にファンとの交流会を開催し、多くの方に歓迎された熊本生活。

新型コロナウイルスにより、Jリーグも初めての無観客試合の開催。
オープン予定だったアスリート食堂chabudaiも延期に延期を重ねました。

2年目からは選手兼営業という活動もさせていただき、多くの企業さんや地域とクラブを繋げる架け橋を作り、ASAKAWASEATでは、企業さんと共同で子供達に夢を持ってもらうきっかけを作りました。

目標にしていた、1年を通じて自分の年俸を上回る売り上げを達成できたのは、本当に多くの方の支えのおかげです。

そして、何よりJ3優勝、J2昇格という僕が来た時に決めた目標を達成することができました。

得点王にはなれませんでしたが、誰か一人が欠けたら成し遂げられなかったリーグ戦の優勝というのは、本当に特別なものがありました。

一緒に戦ってくれた仲間。
信じて使ってくれたスタッフ。

そして何より、どんな時も僕らの後押しをしてくださったファンサポーター、スポンサーの皆さん。

本当にありがとうございます。

Jリーグという舞台

本当に幸せな4年間でした。
多くのファンの方に支えられ、共に歩んできた4年間。

僕にとってJリーグという舞台は、子供の頃に見ていた景色よりも更に最高の景色でした。

スタジアムで感じる熱気、ゴールを取った時の喜び、勝った時の歓喜。

全てが素晴らしく、やっぱり最高な舞台だなと思いました。

しかし、その反面まだまだ伸ばせるところも見てきました。

県に1チームしかないJリーグクラブにも関わらず、まだ応援に行ったことがない方たちが多くいたこと。

そこに気づき、直接関わることで、人としての魅力を感じてもらい、スタジアムに足を運んでもらったこと。

選手とチームが協力してできたASAKAWASEAT。
スポンサー、ファンと共に熊本の魅力を発信しようと180名ほどのお客さんと、15の新規のスポンサーが協力してくださったこと。

カテゴリーが上がれば。

予算が増やせれば。

この試合に勝てば。

勝負の世界。
もちろん勝つつもりで、優勝するつもりで戦う中で、どうなるかわからない未来を逆算する難しさ。

もちろん結果が出たに越したことはないが、それだけを頼りにはしてはいけない。

『おらが町のサッカークラブ』が気付いたら『彼らのサッカークラブ』になっていないか。

地域に根ざしたサッカークラブを作っていくはずが、自分達の理念を信じて作り上げたチームが、勝敗で監督が変わり、それによってサッカースタイルも変わり、ただただ1位や昇格を目指す。

チームにようやく愛され定着してきたと思ったら引っこ抜きや移籍がある。

そうしていくうちに、自分の知ってる選手はいなくなり、チームのサッカーも変わり、ひさしぶりに行こうとも、サッカー好きしかスタジアムに行けない雰囲気になってはないか。

本当に色んなことを考えます。

その県には、地域にはそこにしかない魅力がある。
また、そこにサッカークラブがあるから解決できる課題もある。

いかに地域の人の言葉に耳を傾け、サッカーのサの字も知らない人に、優勝することに、昇格することに何の意味があるのか。と聞かれた時に何を言えるのか。

そこが本当に重要だと思っています。

『おらが町のJリーグクラブ』という距離感はもっと身近で、日常に落とし込み、文化として根付くことだと思います。

スポーツの語源のデポルターレのようにスポーツは楽しむもの。

日本の教育という名の体育=スポーツから抜け出さないと難しいかもしれないが、まずは身近に関わる選手やチームが増えることで、その環境は作れるのではないかと思います。

優勝や昇格が目的ではない。手段の一つとして追い求められるかどうか。
自分達の理念を貫き通せるかどうかがより必要になってくると思います。

僕はこれからも0距離Jリーガーとして、みなさんと0距離で関わり、共に夢を追っかけ、一緒に作り上げていきます。

選手としてそれをやり続けることが、きっと大きなことにつながることを信じて、これからの選手人生も歩んでいきたいと思います。

奈良県という可能性

僕自身奈良にまだ来たばかりで、右も左もわかりませんが、色々と調べてみました。

奈良といえば、かつての都ですよね。

平城京や世界遺産第一号となった法隆寺
風情が残った町並みも歴史も感じるのではないでしょうか?

僕もこれからたくさん回ってみたいと思います。

その中で僕が気になったのは

・県外就職率が約30%で日本一。
・人口減少されるとされる全国TOP10に5つの村

県外就職率というのは、奈良に住んでいて他の県に仕事をしに行く人の割合ですね。

調べたら僕の地元の千葉も第3位に入っていました。

そして、拍車をかけるように人口減少も進んでいます。

奈良やばいじゃん!!

って思ったんですけど、やばいってことはチャンスということです。

奈良という町の課題を解決する為には、僕はスポーツの力が必要だと思います。

県外就職が多いということは、大阪や京都、兵庫にも出やすく、でも自然もあり、住む場所として選ばれているということです。

このコロナ禍で、在宅勤務も増えたことでしょう。

だからこそ、そんな奈良に在住している方達にスポーツに触れるきっかけを作る。

コロナ禍で外に出ず運動不足の人には、運動するきっかけを。
応援することで、自分の生きる活力を。

スポーツは人生に彩りを与えられるものだと思っています。

奈良にはJFLの奈良クラブ、Bリーグのバンビシャス奈良、Vリーグの奈良ドリーマーズ。

この3つのプロクラブが存在します。

僕はこの奈良を盛り上げる。
奈良に初めてのJリーグクラブを誕生させる。

強い想いと覚悟を持って奈良にきました。

奈良クラブとは

1991年に前身となる『都南クラブ』が創設。

2008年に『奈良クラブ』に名称を変え、Jリーグを目指してきました。

2015年にはJリーグ100年構想に入り、本格的にJリーグ参入することができるようになります。

2021年からクラブ初の外国人監督や、エコノメソッドを導入して、戦ってきました。

サッカーとしてもこれからとても面白くなる。
成長していくであろう奈良クラブに魅力を感じました。

と、それだけではないのです。
奈良クラブが率先して、スポーツの力使って奈良を盛り上げてきた。

盛り上げることで強くなることを知っている。
僕も『0距離』で関わることで、それが自分の力になることを知っています。

奈良クラブがやってきた今までの活動はこちらのnoteをご覧ください。

企業とコラボして奈良クラブや奈良を応援できる商品を作ったり、奈良の残したい景色を公募したり、父の日の奈良ギフトを募集したり、ホームゲームで謎解きを開催したり、学生とコラボしてスタジアムプロジェクトを立ち上げ、ふるさと納税で奈良クラブを応援できるようにまでなりました。

ざっと紹介しただけで、これだけあるのですが、他にも知りたい方は #ならをつなぐプロジェクト を見てみてください。

ちなみに奈良クラブの想いはこちらがとてもわかりやすくnoteの公式に掲載されています。

読んでる皆さん。
どんどん興味を持ってきたのではないですか?

ということで、長くなりましたが、最後に奈良クラブに来た理由を伝えこのnoteを締めさせて頂きます。

奈良クラブに来た理由

冒頭にも書きましたが、改めて。

僕自身、昨年は選手兼営業活動を通じて、新たなスポンサーの獲得や地元の企業とコラボして、地元の子供達を試合に招待を行ったり、自分の給料を超える売り上げを出したりと、活動してきました。

それにより、地域に深く根差し、愛される。
スポーツには勝ち負けは付きものではあるが、勝ち負けだけではない、スポーツの本質的な価値に気づくことができました。

やはりJリーグは素晴らしいリーグだと改めて実感しました。

そういったいい面がある中で、どうしてもまだ昔のJリーグのチームというイメージから抜け出せないチームがいるのも現状あると思います。

奈良クラブの濱田社長をはじめとする、クラブスタッフと話をした際、熱い想いや明確なビジョンやプロジェクトを伝えられ、サッカー選手としての評価はさる事ながら、人間的な価値を評価し、奈良の為に力を貸してほしい旨を伝えられました。

特に濱田社長からは、一緒に奈良を盛り上げるプロジェクトに参加してほしいと。

僕が以前noteに将来『親子3代が集まれる場所を作りたい』ということを書いたものを見てくださったり、アスリート食堂chabudaiも存じ上げて頂き、新拠点の構想も共感する部分が多くありました。

そうして、サッカーが軸となり、地域が作られ、街がつくられ、生活の一部となり、やがて、文化になる。

『おらが町のサッカークラブ』をこれから本当に作っていくワクワクに駆られました。

奈良クラブはJリーグに昇格しなければいけないチーム。
Jリーグのクラブとしてロールモデルとなる存在になることを確信しました。

それだけでなく、サッカースタイルも一貫して奈良クラブのスタイルを作っている。

そこに必要なピースとして、フリアン監督を含めたスタッフ陣に評価して頂きました。

だからこそ、ストライカーとして、多くのゴールを取り、1年で奈良クラブがJリーグに昇格できるよう、奈良の為にピッチ内外で覚悟を持って闘うことを決めました。

しかし、正直この決断に至るまでは時間がかかりました。

今まで夢を持ってJリーガーになった。
そして、今後もJリーガーとして勝負して、カテゴリーを上げて、選手としてチャレンジしていく。

こう思っていました。

4年前には0円でもJリーガーにこだわった自分がいました。

今カテゴリーをJFLにするということは、過去のJリーガーにこだわった自分を否定することになります。

でも、僕自身これは否定ではなく、4年の年月を経て、考えの幅が広がったと考えるようになりました。

悩んで悩んだ挙句『なぜJリーガーでなければいけないのか』という問いに結局答えられなかった。

プライド?肩書き?

そんなのしかなかったら、いらない。
そう思います。

Jリーガーでなくても、魅力的で、多くの人を巻き込み、地域に根差し、愛され、共に成長するクラブも選手もいる。

だからこそこの1年。
プレーヤーとしても人としても更に成長して、来年Jリーグに帰ってきます。

そう

『奈良クラブと共に』

奈良クラブはJリーグクラブのロールモデルに。
浅川隼人は選手としてのロールモデルに。

そうなる為に今年1年間、覚悟を持って闘います。

僕にとって一番厳しく険しくて、ワクワクする道を選びました。

皆さんとなら必ず達成できます。

改めまして、奈良クラブに関わる全ての皆さん。
奈良に関わる全ての皆さん。

ロアッソ熊本から加入しました。
浅川隼人です。

この歴史ある奈良で共に歴史を作っていきましょう。

応援よろしくお願いします!

浅川隼人

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