塗料の歴史 5(紀元前1000年頃、顔料編①)

前回、紹介した樹脂の漆や植物油は近代まで大きな発展が成されませんでした。しかし、顔料に関しては、同時代に人工顔料の使用が多く見られ、多くの顔料が発明され顔料の持つ色彩が政治や宗教で利用されていた事が想像されます。

この時代も太古の時代と同様に塗料の主目的は着色であり、装飾であったと言えます。



■人工顔料の製法と用途


【鉛白2PbCO3・Pb(OH)2)→白色顔料】


まずは容器の底に酢酸を入れ、上部に板状鉛を置き、容器を木皮等の中に放置します。

次に容器内の酢酸蒸気鉛板が反応して塩基性酢酸鉛(Pb(C2H2O2)2Pb(OH)2)が生じます。

最後に木皮が発酵することで生じた二酸化炭素と塩基性酢酸鉛が反応することで鉛白が生成されます。

鉛白は現在の白色顔料の主体となっている酸化チタンが登場するまで白色顔料といえば鉛白でした。

鉛白は美白肌の色彩として美しく見えるので絵画でルノアールは多用したと言われています。また、絵画だけでなく、人間の肌にも美白肌に映るのでオシロイは鉛白が使用されていました。

しかし、鉛化合物は鉛中毒を起こす為、現在塗料では鉛白は使用されていません。

【鉛丹(Pb3O4)→赤橙色顔料】

鉛白または鉛金属を加熱すると一酸化鉛(PbO、黄色顔料、密陀僧、リサージ)を生じ、更に加熱すると鉛丹となる。

鉛丹は古代ローマでは既に使用されており、ポンペイで多用されていたことからポンペイレッドとも呼ばれています。

近年でも防錆顔料として使用されていた歴史があります。船底の赤色は鉛丹であり、建築塗料でも鉛丹錆止め塗料が販売されていました。

しかし、鉛丹も鉛化合物であるため鉛中毒を起こすことから現在は塗料ではほぼ使用されていません。

また、鳥居の朱色で鉛丹を使用した塗装は丹塗りと言い、ニカワと鉛丹を配合して塗られています。(現在でも丹塗りで塗装されている所もあります)

鉛金属の歴史は古く、紀元前6400年には使用が確認され、紀元前3000年には製錬方法が確立されていたので、鉛は鉄と同じくらい長い歴史があります。

古代では身近な金属であった鉛が製造過程や使用状況から鉛白や鉛丹が発見された可能性が高いと個人的には思います。

見つけたものは使ってみるという好奇心、貪欲な姿勢は現代人にはより失われた感覚かも知れません。

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