白秋

「青春」の反対語は「白秋」らしい。風流でいい言葉だと思う。自分の高校時代は完全に「白秋」だった。

高校1年生の時の担任は、異常に厳しかった。

自称進学校だったので、勉強で結果を出さないと怒り狂う。

クラスの平均点が学年全体の平均点を下回ると、1人ずつ何がいけなくて点が悪かったのかを発言させられる。しかも挙手制で、誰も手を上げなければ教室は地獄の静寂に包まれる。

自称進学校にはおなじみの進研模試が終わると、放課後に個人面談が開かれる。褒められることはほぼない。

体育教師のため勉強以外にも厳しい。

新年初のホームルームで、突然「あけましておめでとう!!」と叫んだかと思えば、その返事の声が小さいと30分ほどの説教が始まった。

体育の授業では、チャイムが鳴る前に準備運動まで終えない場合授業内容は全て説教になる。

クラスメイトは全員、担任が嫌いだった。

と思っていたが、三学期も終わりに近づいたある日、それが間違いだったことが発覚した。

ある女子生徒が、担任のために、サプライズで一年の感謝を込めたフォトアルバムを渡そうと提案してきたのである。

なんと彼は、女子生徒からの人気がえげつなかったのだ。

当時女子とほとんど喋らなかったイケてない僕は全く気づかなかった。

正直体育教師にありがちな女贔屓を感じたことはなかった。男女平等に厳しかったし、個人面談の後号泣しながら帰ってくる女子生徒を何人も見てきた。

「なんでこんな奴にアルバムなんか作るんだバカ」と思ったが、女子は全員やる気だった。
そして、当時学級委員だった自分は担任にプレゼントを渡す役を任命されてしまった。不登校になろうと思った。

そして修了式の日、悪しき担任から解放されると僕は大喜びだったが、着々とサプライズの準備は進んでいた。

詳細は忘れてしまったが、自分が「最後にプレゼントがありまーす笑」みたいなことをいってアルバムを渡したのだと思う。

女子はみんな泣いていた。男子はみんな笑っているか真顔だった。僕は真顔だった。

そして大学生になって1年目の夏、高校の同窓会の招待状が届いた。

自分は地元を離れて下宿しており、特にいい思い出のない高校のために帰る義理もないのでコンマ1秒でゴミ箱にダンクした。

しかし同窓会当日、SNSで衝撃の投稿を目にした。

笑顔の担任とそれを取り囲む茶髪の女性たち。当時あのクラスだった女子たちは、進路はバラバラにも関わらず担任のためにほぼ全員集結していた。その姿はまるでバカ殿と腰元。もちろん男子の姿はなかった。

そして投稿文には、同窓会が楽しかったこと、担任に久しぶりに会えて嬉しかったこと、そして、担任が家まで車で送ってくれたことが書かれていた。

なぜ彼がそこまで人気を博していたのか全く分からないが、当時、担任以外の先生に「今はあんな厳しい担任嫌だと思うかもしれないけど、いつか絶対あの人で良かったと思う時が来る。」とよく言われていたことを思い出した。

女子達は、その「いつか」が高1の時点で訪れていたのかもしれない。

羨ましい、と思った。

正直自分にはまだ「いつか」は訪れていない。あれをいいと思う思考回路が理解できない。でも、担任への怒りに震えながら過ごす1年より、担任への感謝を感じながら過ごす1年ほうがよほど充実していただろう。

フォトアルバムを嬉しそうに受け取る担任に、女子たちは一年分の感謝が溢れ出して泣いてしまったのだろう。なんて美しい涙だ。石像のような顔で一刻も早く帰りたいと思っていた自分とは大違いだろう。

担任はフォトアルバムのお礼にと、コブクロの楽曲「轍」を熱唱した。

抱えきれない夢が 不安に変わりそうな日が来たら そんな時は 僕のところへおいで 歌を歌ってあげよ 涙枯れた その後にだけ 見える光 明日を照らす

誰がテメエのところなんか行くかと思いながら聞いていた。
その後歌はこう続く。

そんなに遠い目をして 君は何を見ているの 昨日を振り返るなら 見えない明日に目を凝らせ

真顔でフォトアルバムを渡した自分に言っているのだろうか。よし、先生の言う通り、あなたのような担任に当たった暗黒の、いや白秋の一年なんか忘れて、前を向いて生きて行こう。






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