個人的に、「クラウドファンディング」が苦手になっている理由みたいなもの。


菊池奈穂さんのブログで、最近ちまたでやたらと増えている「クラウドファンディング」についていろいろ書かれていた。


クラファンは今までの信用貯金の換金装置

との西野さんの言葉からはじまり、

よっぽど ふだんから信用を稼げていないとクラファンは 悪手になる可能性も高いと思います。

と締められている。


…や、これは本当に同感で、私も最近は、やたらと増えているクラファンにはちょっと怖さも感じている。というか過去にはクラファンを使った事業に主体的に関わったことはあるのだけれどね。会計には一切ノータッチであったものの、個人的にはもう二度とやりたくない。以下、あくまでも個人の考え・一般論としてクラファンに感じている個人的な「怖さ」を挙げてみる。


① 夢と期待を集め過ぎてしまうリスク

クラウドファンディングは、「今までの信用の換金」というのはその通りだけれど、個人的には

信用 ➡ お金

となる間に、もう一つ「夢と期待」というワンクッションが入ると思っている。

信用 ➡ 夢と期待 ➡お金

みたいな感じ。たくさんの人たちからの信用を「夢と期待」に変換して、その変換された「夢と期待」からお金を「借りる」。もらえるわけではない。(※ここ重要)

「夢と期待」は、お金を「貸してくれる存在」であること。ただし返済は現金ではなく、相手にとっての「満足」で支払う。「それぞれ異なる想いと満足の『ツボ』がそれぞれ違う不特定多数の人たちを相手に、充分な『満足』をキッチリ提供し「続け」て、返していける自信と根拠はあるのか」(※ここ重要)

なお当然、借りたお金には利子が付く。そして、「その利率は時価かつ相手の気持ち1つで変動する」(※ここ重要)

「ちゃんと最初からリターンは明示されてるじゃないか」

はい、その通りです。ですから今言ったように、そのリターンは返済する元本であって、多くの人はそれ以上の利子をそれぞれに時価とそれぞれのお気持ち1つで勝手に求めます。

なにしろ出資側は「夢と期待」を刺激されての投資ですから、元本保証なんて「当たり前」の扱い。投資が実を結んでさらに多くの利益が得られることを夢見て、期待しちゃうわけです。当然でしょう。多くの場合、明示されているリターンは出資金額に比べてとても「割高」なんですから。その「割高」な支払いをしたに相応しい「満足」を求めてしまうわけで。

さらに、出資者相手には、当然説明責任が生じます。苦情や「ご意見」を受ける窓口も必要になりますし、出資者には当然、それらを述べる「権利」が生じるわけです。それも「利子」のうちです。で、こういう業務上でのリソース⇩も必須となります。


でもこれは、クラウドファンディングという仕組みを考えれば当然であって、出資者が全て悪いわけでもありません。クラファンを始めた側にも責任はあります。「信用」➡「夢と期待」に変換された時点で多かれ少なかれ自然に出てくるもので、抑えられるようなものじゃないのですよね。

でも、この他人の多様な「夢と期待」を甘くみてはいけない。

一度「信用」から変換された「夢と期待」は、どんどん膨れ上がる。ときには現実離れした無茶な要求までもが、出資者の中で「当たり前」とされてしまい、支払う側のハードルはすさまじく高くなることも。

その膨れ上がった「夢と期待」に沿えなかった場合。

それは、一気に「失望」へと変わる。過剰な夢と期待を持ってしまった出資者は、求めている質やスピードの理想通りに進まなかったプロジェクトに失望して出資した自身を責めたり、「騙された」と憤ったりする場合さえも。

結果。熱心なファンはとたんに、熱心なアンチに変わる。熱量が多ければ多いほど、たくさんの人を集めれば集めるほどに。

なお、当然ながらクラファン業者はこういうことに何らサポートはしてくれない。誰かの信用を切り売りして換金したお金から、集めた瞬間に約20%前後にもなる(※業者や方式によって異なります)高い上前をハネるだけハネて、サヨナラ。おしまいです。


② 家計と経営での金銭感覚の乖離

また、クラウドファンディングは、やり方次第では「家計感覚では」結構な金額を集めることができます。しかし、一般の方々から出資を集めた金額は「経営感覚では」たいした金額にはなりません。

たとえば100万円は「家計」「お小遣い」から見れば、途方もない大金です。

ところが、経営をする上でなら、例えば会社のHPを業者に依頼してきちんと作ってもらえば100万円では足りないなんてザラです。そもそも、組織を運営しようとした際に人を1人雇ったとして、1年働いてもらったらいくら支払わなければなりませんか? 100万円で、まっとうな社会人何人をどのくらいの期間働かせられますか? 

…などと考えれば、実はクラウドファンディングで集められる金額は、「経営的には」決して大きい金額とは言えません。挙句、クラファン業者に支払わなければならない上前も大きいわけですから。

ところが、集まった金額を「家計感覚」でみた出資者は、思うでしょう。「こんな莫大な金額を集めている」と。

そりゃそうです。今の日本人、結婚している大の大人が月のお小遣い20,000円なんて珍しくもないですし、氷河期世代なんて非正規雇用のまま生きていくのが精いっぱいのお給料のままの人なんていくらでもいるのです。クラファンで集まった金額は、一般人の家計感覚からすれば夢のような大金に違いないのです。そんなの、私から見たってそうです。

そのズレが、さらに「夢と期待」のインフレを招きます。「こんなに莫大な金額を集めたのだから、どれほどスゴイことをやってくれるのか」と。

…あとはお分かりでしょう。膨れ上がった「夢と期待」に応えられなかった場合、どれだけ適正な会計報告書を作成しようが、丁寧に説明しようが、「横領」「泥棒」扱いされ石を投げられることすらあるでしょう。たとえ不正に個人の懐に入れるような真似を一切せず、半ばボランティアみたいに尽力していたとしてもね。


③ じゃあどうやって資金を集めればいいのか

これまで書いたのは、あくまでも私の個人的な考えでの一般論にすぎません。怖がりすぎかもしれないし、偏見もたっぷりあることでしょう。それは否定しません。

事実、クラウドファンディングがいま、こんなに世の中にたくさんあるということは、成功例もそれなりにあるという裏返しなんでしょうからね。(ただ、クラファンはお金を集めるまでは割と簡単で、集めたあとに「夢と期待」に応えるための「返済」こそが大変だとは思ってるのだけどね)

ただ、こうしたクラウドファンディングと違って

・不特定多数に対する多用な「満足」を「時価で返済」ではなく、返済先を一本化させた上での明朗会計を現金で返済できる
・借りた瞬間にいきなり手数料として20%も徴収されない上に、一般的に利息として支払う率は低い
・手数料だけ取って投げっぱなしではなく、返済計画を一緒に立ててくれたり継続的な商売のために親身にサポートしてくれる

そんなすごいチートな出資元が実はあって。まあ、銀行っていうんですけどね。

まして、特に地方なんかだと地元銀行は商売をやろうとする土地でとても広い人脈や影響力を持っていることが基本なので、商売する上での人脈をつなげてくれたり、新しいお客さんを紹介してくれたり、銀行関係者自身もお客さんの一人になってくれることもあったりして。対してクラファン業者は基本、達成後にお客さんにはならないし、お客さんを連れてきてもくれないんじゃないでしょうか。

クラファンを頼るということは反面、地元の金融機関に行くはずだった仕事を外部業者に委託してしまうという意味も持つわけですから、地元で商売をやっていこうとすることを考えるとデメリットも無視できない気もするんだけどどうなんだろうね?

・・ということなので私も菊池奈穂さんと同様の結論で、継続的な商売をするつもりであれば、安易にクラファンに頼るのは悪手ではないのかな、と思ったりするわけです。まして継続的商売=信用商売なんですから、信用を切り売りして現金化するよりも、信用を稼がなければならないのだから。

あくまでも資金、金銭的な内情は、それを専門とする地元銀行からの融資に頼った上で。そういう台所事情とは別に、クラファンでのリターンに相当する商品を買って応援させてもらった方が、応援する方としても個人的には嬉しい、かもしれない。

もちろん、銀行のお世話になれないような事業を、熱い「想い」でどうしても実現するためだったらクラファンもいいでしょう。要は、使い分けなんだろうけれども。

しかし繰り返しますが、くれぐれも、クラファンで集めたお金は貰ったものだと思ってはダメです。借りたものです。それを百も承知でクリーンな使い方をしていてもなお、期待に応えきれずに失敗することなんて多々あるのです。

私は、たとえ会計に全く関わっていなかったとしても。「夢と期待」を持たせ過ぎてしまったこと、そしてそれに応えきれなかった過去を今でも申し訳なく思っているし、それはずっと消えない心の傷にもなっている。


とりあえず。


つくづく、カネが絡むと人間関係、怖いものだなぁ…なんて思ったりはするかな。


それでも自分が(お付き合いもありますから)クラファンに出資する側になった場合は、とりあえず、事前に明記してあるリターン以上の見返りを一切求めないことを、意識的にしている。






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