「密」が「罪」になりゆく世界で、癒着の悪が断罪される

昨今いろんなところでにぎわっていた渦中の人物が、賭けマージャン疑惑報道で辞職をすることになったらしい?

この件、そもそもあんまり私は最初から興味無かったので、「いろいろ騒がれていたみたいだけど、最後がこんなオチなのかぁ。。知らんけど。」みたいな感想しか出てこないのではあるけれど。すいませんね。

ただ、気になったのはこの賭けマージャン、朝日新聞記者と産経新聞記者と一緒によろしくやっていたというではありませんか。

「検察とメディアが違法な賭けマージャンを囲み、癒着していた」

実際それ以外の何物でもないですし、これは大スキャンダルだと思いますよ、ええ。

一方で、「じゃあそもそもなんで新聞記者が検察と麻雀やってたの?」というのも考えなくちゃいけない。学生時代からのお友達?たまたま友達関係に発展してそのまま………いやいやいやいや。たまたま接客された方とたまたま恋愛関係に発展してたまたま関係を持つ建前のお店じゃないんだから。

普通に「お仕事だったから」と考えるのが妥当でしょうね。しかも、同じ報道機関とはいっても、特になにかと最も対立しやすい朝日と産経の記者がそれぞれ同時に立ち合うとかさ。まあ、本当はみんな仲良しこよしという優しい世界だったらそれはそれでいいんだけれども。や、逆にそれはそれでむしろ大問題か。

じゃあ、「なんでお仕事に必要だったの?」と考えると、「情報獲得の基本は人脈作りから」だったとしか言いようがないのでしょうけれども。

従来から、情報を得るためには人脈が必要。人脈を作るためには、人に近づかなければならない。しかし、人に近づくということ自体が文字通り「癒着」そのものな面もあるわけで。バランスが難しいところではある。

「人」に依存する仕組みはとてもアナログで前時代的ですが、社会を動かしているのが人間である以上、いつの時代も本質的には変わらない面があります。なので、いままでもずっとグレーなところで「なあなあ」でやってたところはあるのだろうね。まあ、しかし「だからといって違法なかけ麻雀なんてやるなよ」というのは全くもってその通りではあるのだけれども。

ただ今回は、そうやって「なあなあ」でやってた慣行、おそらく不文律の紳士協定? みたいなものが破られたということでもあるのでしょう。ある意味、時代のトレンドに乗って一気に「人との密を避ける」方向に向かったともいえる………のか?

検察と報道が癒着した挙句に違法賭博をしていたのだから、逆に今までこうならなかった方がおかしい、というのは当然なことですが、とりあえず今回はマスメディア側が突如として慣行を破り、いわば「情報提供者を罠にかけて、公開処刑的に始末」したともいえる状況なわけで。そうなると当然、今後は公的な職業人はメディア関係者と公的な場以外での接触が抑制される流れが強化されるでしょうね。

するとメディア側も、今まで通りのやり方では公的なリリース以外の情報も得難くなる。つまり、(グレーというか黒ですけど)貴重な情報チャンネルの1つを自分達で潰してしまったわけです。他人事ながら、これからどうやって情報を得るのだろう?とも思えたりはしますね。取材拒否も増えるんじゃないだろうか。

公的に公開されているリリースをそのまま流すだけでは、報道は大本営発表的になるリスクもある。一方で、相手の内情や人物を知らないまま、とにかく公的リリースを「敵」であるかのように反発する「ジャーナリズム」を発揮しても、不毛な陰謀論や落としどころのない批判のための批判に明け暮れるワイドショー的にもなりかねないし。特に「相手を理解しない、する必要がない」となれば、同じ人間とは思っていない酷い対応をしがちなのも人間なんだから、難しいところだね。

ちなみに、この構図と似たような前例として。過去には土木建築業の「談合」というものがあります。

公共事業の談合がダメなのは当然ですが、一方で談合を厳しく排除した結果、チキンレースでの赤字請負や安物買いの銭失い的な安普請が続発。企業は疲弊し倒産や衰退。結果として雇用喪失、インフラの劣悪化、そして地域の衰退と少子高齢化加速…なんてことになって誰も幸せにしなかったのが平成時代でもあります。(詳しい現状は、この方の記事⇩を見るといろいろわかるかも)
https://open.mixi.jp/user/20452152/diary/1974593390

平成時代に土木建築業界が辿った道を、今度は令和時代のメディアが辿るのでしょうか。癒着を避けるために「『人』に近づかずに情報を得る」方向に梶を切り、ネット上で「突然のご連絡失礼します!DMにてお話を聞かせて頂きたいのでフォローしていただけませんでしょうか!」みたいなのが主な取材方法になるとか? 知らんけど。 


ともあれ。


今回のような犯罪的な「癒着」は、まあ、論外としても。やっぱり、なんだかんだ言って時代は全体的に人との「密」を避ける方向にうっすら向かっているのかも知れない、というのは感じる。

もちろん、そこには良いこともたくさんあるのだけど、しかし。

人との「密」を避けて得た「自由」「自立」を謳歌した未来に待ち受けているのは、自身の生命力が翳りはじめたころに襲ってくる「孤独」と「不安」でもある。最近、それらに呑み込まれた挙句に孤独死して、風呂場で「スープ」になってしまったエリート女性のお話を読んでゾッとしたりしたのを、ふと思い出した。

人との「癒着」「密」を否定し続けた先に得た自由と解放の「対」になるのは、こういうリスクでもあるんじゃないだろうか。なんて、ぼんやり考える。

新型コロナウイルスの影響で、人との「密」は、距離は、これからますます離れるようになっていくのだろう。人との「距離感」みたいなものを再考しなければならないこれからの未来に、一抹の不安みたいなものを感じてもしまう。「癒着」を否定し続けて「距離」を取り続けた先には、どんな世界が待っているのだろう。



あ、そうそう。最後に話を戻しますけど、今回の黒川氏の違法麻雀の件?

今後原理原則でいくのならば、メディア側も自分達の関係者の実名報道を行うべきだし、朝日新聞と産経新聞も、会社としても社会的責任をキッチリ追及される方向にいかないとおかしいのでは。

それをやらずに黒川氏だけを「葬る」のであれば、それはつまり、「マスメディアは検察よりも強い」となり、なにげに「民主主義の危機」なのでは。なにしろ、マスメディアは民主主義的な選挙で選ばれたわけでもないし、弾劾もないわけですから。関係者の実名報道すらされていない現状、実際かなりヤベーのではないでしょうか。


まあ、私が言うようなことでもないだろうけどね。


おまけ⇩






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