その「憎しみ」と「敵意」は、他人からの借り物じゃないんですか?

SNSでは、良く漫画などの1シーンがシェアされて回ってくる。おかげで、知らなかった漫画から読んでみたい漫画に変わり、実際に買ってしまった作品も少なくない。

その中でもひときわ心に残るのが、「ラーメン発見伝」の「ラーメンハゲ」こと芹沢達也(42)の光る存在。

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「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」

なんとも人を食ったような言動のハゲですね。大好きです。


しかし、言わんとすることは判らなくもない。「いいものが常に認められるとは限らない」というのは、営業職を経験してきた人間なら痛いほどよくわかる。身近なところでは、良いものたくさんあるくせにPRがド下手でブランド力が弱すぎる福島県という実例とか。

福島県、たとえば米1つとっても『全国食味ランキング「特A」獲得数3年連続日本一!』と『業務用販売比率(つまりブランドや産地がほぼ表に出ないまま消費されている率)65%で日本一!』が両立しているとか、もう目も当てられない。


ともあれ。

「ラーメンを食べているんじゃない。情報を食っているんだ」というのは、類人猿が獲得した共感能力の1つにも関連付けられる? との説もあり。自分が苦手なものでも、仲間が美味しそうに食べていると美味しく感じられるようになるのだとか?? ほえぇ。。。


…と、ここでふと思い当たることが。

こういう人類の共感能力って、そういうポジティブなものだけじゃなく、ネガティブなもの、たとえば誰かにレッテル張って集団で吊るしあげたり無視したりする「社会正義」や「イジメ」にも遺憾なく発揮されてるんじゃないの? と。

たとえば、「アイツは〇×だからダメだ!」みたいな言説とかよく見るんだけど、それって本当に、その人を良く知った上でのものですか? というかそもそも本当に客観的な事実ですか?? なんて思うケースが多々あるなぁ、と。

他人から伝わってきた噂話や印象、共感に、いつの間にかなんとなく染められて。気付けば、「集団」「仲間」「親しい人」などとの共感関係の中で、それら他人の感想や感情・敵意が自分の感想や感情・敵意にすり替えられてしまう。

あなたのその憎しみは、敵意は、悪印象は、なぜそんなに強いんですか? それをもたらした最初のきっかけを、ちゃんと覚えていますか? 仲間内での「共感」と「同調」に、引っ張られていませんか?と。

東電原発事故後の福島に関する「デマ」だってそうでしょ。

「奇形児がたくさん生まれている!」とか「実はもう4300人が亡くなっていて、原発の裏で秘密裏に埋葬されている」とかさ。なにそれ自分で見たの?原発まで行って確認したの? ていうか、原発の「裏」ってどこだよ。いつも航空映像で真上から丸見えだというのに。

「政府や御用学者の言うことは信用できない!」・・それで?代わりに信用しているその話、どっから借りてきたんですか? そもそも信用に値する客観的な根拠は何ですか? というか、そう専門家よりも正しいと主張するあなたは、何の専門家なんですか? と。他人からの「借り物」が、いつの間にか自分自身の信念や「世界の真実」になっちゃってるんでしょ?

「『これが自分だ』と強く持っている信念やアイデンティティだけでなく、他者に対する感情、事実と思い込んでいたことまでもが、実はエコーチェンバー的な集団の中での同調や共感を重ねるうちに、いつの間にか植え付けられた『借り物』であり、虚構だった。」みたいなホラーな話、ホント良くあるよね。入れ物にされてしまったあなたの本当の「中身」、どこにいっちゃったんですか?

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最近では、ツイッターでもトレンドタグがすさまじい数になってテレビでも報道されたりしていましたけれども。芸能人なんかも多数参加したりしてね。

しかし、そのトレンドに「乗った」人たちの感情には、他人からの「借り物」が含まれてしまっていなかったのかな…? なんて、思ってみたりもするわけです。特に、今頃になってアレは含まれるだの切り離しだのとモメているのを見ると尚更。もし、内容も良く知らないのに「乗った」のだとすれば、それは「借り物」だったと言えるのではないでしょうか。ついでに、また貸しのまた貸しで回ってきたソレは、「もともと誰から借りたものだったのか」なんてのも考えてみるといいかもしれません。トレンドに対してまるで「待ち構えていた」かのような反応も一部で見られたとか、見られなかったとか。

でもこれって、形を変えて誰にでも起こりうること。気を付けないといけません、はい。。。

触れる人やものからの影響を侮らず、「これは共感なのか、他人の考えなのか、それとも自分の意志なのか」、自問自答しつつ自覚的でありたいところ。

とはいえ、誰からも影響を受けないということはつまり、成長しない、情報をアップデートしない、自分の殻に閉じこもって社会から距離を置くということと同じでもあったりもする。「自分を自分として持ち続けること」も一長一短。いろいろ大変だよね。

そもそも今回のこういう話だって、ラーメンハゲやテロール教授の漫画に新しく触れたからこそできるようになったわけだからね。新しい出会いとその影響を全て否定するわけにも当然いかない。

なにしろ、思いがけない出会いはいつだって、ハッとさせてくれるような知らない扉、新しい世界を見せてくれるものかもしれないのだからね。



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