向上心のある生活、ない生活
こんにちは。ゆきぽこです。お久しぶりです。
本日、産休5日目。
産休が待ち遠しく、あと何日勤務すれば休めるのかカウントダウンしていたくらいだったけれど、9月10月は体調不良の嵐で有給休暇をたくさん使ってしまい、仕事納めするのがとても大変だった。
(何なら久しぶりに寝かしつけ後に仕事を進めたりしていた。)
無理やり仕事を納めてようやく解放だーーー!と思ったら、産休2日目にして胃腸風邪。2日ほど寝込みようやく回復した。
改めて、今日から産休開始な気持ち。と言っても明日は土日なのでひとまず今日1日をゆったり味わう。
さてさて、産休という自由な時間をどう使うのか?
やらなければならないことや、やりたいことがたくさんある。
目先のことから思いついたままにやってもいいけれど、心落ち着かせるためにまず今思っていることを書きだしてみようと思った。
約1年と少し前からnoteをはじめて、毎日投稿もしていた。
noteやNotion(タスク管理ツール)で自分の思考を吐き出していた時期のほうがいわゆる「充実した生活、向上心のある生活」を送ることができていた気がする。
早起きして、本を読んで、毎日何か思考して、日々のやるべきことをきちんと把握して、実行して、振り返って、感想を述べて、生活水準向上を目指して。
ただその「充実した生活、向上心のある生活」は
私が毎日、毎週、毎月、毎年望んでいるものか?と問われると、そうではない。
私は飽き性なのだ。
この言い方だとネガティブでがっかりされるような気もするけれど、まあ事実だ。
早起きして、本を読んで、毎日何か思考して、日々のやるべきことをきちんと把握して、実行して、振り返って、感想を述べて、生活水準向上を目指して。
そんな日々も好きだ。
けれど続かない。
続かない理由は、私がダメ人間だからかもしれないけれど、
その前に私の気持ちがそういう生活から離れたくなる時が来るから。
別に早起きしなくたってなんも問題は発生しない。
多少家が荒れていても掃除する気分じゃないなら無理して掃除しない。
夜更かしだってしたいならやればいい。
note書くのも面倒ならやらなきゃいい。
そして、ゆるゆるだらだら生活に飽きてきたら、またあの「向上心ある生活」をやってみる。
自分の人生、客観的に見れば常に向上心がある生活を送ったほうがいいんだろうなということはわかる。
けれど、自分の気持ちを差しおいで無理にそう生活するほど、私は頑張れないし頑張る理由も今のところ特にない。
人はみんな違う。
私が思う向上心のある生活を毎日日々積み上げている人だっている。
何の苦心もなくやり続けている人も、自分に喝を入れ努力している人もいる。
それが出来る人と出来ない人がいる。そして私は出来ない人だった。
それは、出来ないからダメということではなくて、ただ違うというだけ。
この考えはもしかしたら間違っているのかもしれない。
私だって努力をすれば、理想の毎日を過ごせるかもしれないけれど、
そもそものその「理想の毎日」とやらが「向上心ある生活」ではなくなる時が来るんであれば、努力なんかする必要なくなってしまう。
2023年の目標は「自分にとって生きやすい考え方を見つける」
noteから離れていた時期の私は、人間として何の成長もしていなかったかもしれない。
でも、だからといって死んだわけじゃないし、給料が下がったわけでもない。余計なことで悩まずに済んだ。
まあ楽しいことがあったかというとそうでもないけれど。
良くも悪くもない日々。
何が言いたいのかわからなくなってきたけれど、
まあ、
その時の気持ちに従って生活すれば、たいがい間違ってないはず、ということ。
なーんて、自分に言い聞かせて今までの自分を正当化したいだけなのか?笑
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